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【読書日記】11/18 大人の階段のぼる。「十一月の扉/高楼方子」

十一月の扉
高楼方子 著 新潮文庫

十一月荘、と名づけられた白い壁に赤い屋根の洋館。

白い柵をめぐらした庭のところどころに、背の高い木がたち、その向こうに、赤茶色の屋根の白い木造の二階家があった。西洋の人形の家を思わせる、四角い大きな家だった。この季節のことだから、窓はみなしまっていたが、どの窓からも房掛けでまとめられた細かい花柄のカーテンがのぞいていた。

爽子は双眼鏡で見た洋館を探しに自転車を走らせた

ずんぐりした鉛筆形の看板の下げられた「文房具ラピス」で見つけたドードー鳥の細密画が型押しされたノート。

大きな判の厚手のノートで、再生紙らしい茶色の表紙には、あの絶滅した鳥、ドードーの細密画が、額絵のように型押しされている。そして、ページが開くのを押さえるためのものなのだろう、布の背と同じ色に染められた紺色のゴム紐が、縦にわたされていた。

どうしても欲しくなるし、何か特別なことを書きたくなるノート

これらの道具立ては、かつての児童文学愛好家の心をそわそわと騒がせます。

中学二年生の爽子は、十一月の初め、親の転勤が決まったものの二学期が終わるまで、との約束で「十一月荘」に下宿することになりました。
約二か月の下宿生活の中で、爽子は家庭と学校を中心とした閉じた世界から一歩出た外の世界を知ります。
児童文学の王道「少年少女が冒険に出て、仲間に出会い、困難に立ち向かい、成長して戻ってくる」という型を踏まえた成長譚。

十一月荘に住んでいるのは、主である老婦人、閑(のどか)さん、下宿している苑子さんと馥子さんと馥子さんの娘のるみちゃん。
ご近所さんである文房具ラピスのご主人とその妹で野次馬気質の鹿島夫人。
閑さんに英語を習いに来る中学生の耿介(こうすけ)。

この人々と暮らす日々に何か目覚ましい事件が起こるわけではありませんが、他人の中で生活する、ということで今まで気付くことのない視点や思考を身につけていきます。

元英語教師の閑さんが十一月荘を建てた経緯
三十代半ばの建築士・苑子さんの学生時代
苑子さんの高校時代の同級生の馥子さんが夫と別れた理由

これらの話を聞くうちに、爽子は、新たな扉を開くように外の世界について考えるようになるのです。

爽子は、ここに来るまでは全く縁のなかった三十代の女の人たちの若いころというのを興味深く聞いた。何というのだろう、ぱっと大人になったわけではないことはわかっているのに、三十歳の人には、三十歳の、四十歳の人には四十歳の、その時の時間しかないような気が、どうしてもしていたのだ。それまでの時間など、ビデオの早送りのように呆気なく過ぎたような、そんな気が。ちょうど、偉人伝の子供時代がそう感じられるように。でも、それはぜったいに違う。むかしも一日は二十四時間だったのだし、一年は三百六十五日だったのだ。そして、いつの時も、その時、そのときが一番新しい現実で、明日以降は、不安な未来だったのだ。今日と同じように。爽子は、苑子さんの話を聞いているうちに、それを不意に「発見」したのだった。

中学生の頃は二十代以上は「ただのおじさんおばさん」にみえるけど。

多くの人たちが普通だと思ってやってきたことと違うことをやるのは、気楽なものではないし、それ相応の覚悟もいるものなのよね。・・・でも、それくらいのこと、とも言えるのかもしれないけど

閑さんのことば。仰る通り、結構大変です。

爽子は自分の母親についても一人の人間として、やや批判的に見るようになります。しかし、同時に母の内面を考え理解しようとする気持ちも芽生えました。
さらに、爽子が下宿すると決めたことが水面にさざ波を起こすように母親の心にも影響を及ぼし、行動を変え、それがどこかしっくりとこなかった関係を再構築するきっかけとなるのです。

自分が中学生のころ、やはり親や先生など周りの大人たちが絶対的に正しく強い存在ではなく、欠点も弱点もある存在であることに気付いて複雑な気持ちだったことを思い出しました。
これもまた、大人になる大切な過程なのでしょう。

さて、本書の魅力のひとつは、爽子が「ドードーのノート」に綴る物語。
爽子は、十一月荘で出会った人々をモデルに、るみちゃんの可愛がっているぬいぐるみのねずみやカラスの活躍するくまのプーさんのような趣向の物語を書き始めます。

「ドードー森の物語」を書くことに没頭する様子、お話を書き上げたその充足感と高揚感は、私も爽子と同じくらいの年に気に入りのノートに自分だけの物語を綴っていたことがあるので、甘酸っぱく懐かしい思いを呼び起こさせるものでした。

爽子はぐうっと伸びをしながら
「ああ、あたし、何だかすごく自由だ!」
と声に出して言わずにいられなかった。ありもしなかったものを、自分の力で、目に見えるようにしたことの満足感は、自由を得た解放感にも似ていた。伸びやかな広がりの中で心を飛ばしているような気持だったのだ。

分かる分かる。私も久々に何か書きたくなります。

爽子の書くドードー森の物語は、現実とシンクロしつつ幸せな大団円を迎えます。
同時に爽子は、一回り成長して家族のもとへと戻っていくのです。

(お母さん、わがままを許してくれたことを、心から感謝します)
美しい「飛翔」の音色に心を飛ばしながら、爽子は明日からの日々を思った。だいじょうぶ。きっときっと未来もすてきだ。唇をかみしめ、そっと涙をぬぐいながら爽子は満ち足りていた。

爽子のお別れを兼ねたコンサート

さて、十一月荘の名前の由来は、終盤に閑さんに語られます。
あることをきっかけに閑さんは「十一月には扉を開け」という信念を持つようになりました。
判断に迷うことがあっても、それが十一月ならば前向きに受け止めて前へ進むのだ、と。
爽子は「そういう月が一つあるのっていいなあ」と言いますが、同感です。
お正月や年度初めの四月ではないところが、また、良いのです。

余談ですが、11月半ばを過ぎて、町はすっかりクリスマス仕様となりました。
もう少し11月というときを大事にすればよいのに、きらびやかなイルミネーションを見ながらそんなことを考えています。

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