映画「マイ・ブロークン・マリコ」が心のカサブタを剥がしてくる
漫画原作の実写化映画と聞くと嫌な予感を覚える方も多いと思いますが、マイ・ブロークン・マリコに関してはその心配は必要ありませんでした。
奈緒さん演じるマリコの笑顔にタイトルが表示された瞬間に劇場で声が出そうになった。
綺麗で純粋で危なっかしくて面倒臭い、あの見事な笑顔。
(この感想は本作のネタバレを大いに含みますので、自己判断でお読み下さい)
原作の感想はすでに書きましたが、映画を観た後も同じ気持ちになってしまいました。漫画と実写映画で感想が変わらないというのは、作品としての軸が同じであるということだと思います。
実写化されてようやく意味が分かることもあり、遺骨を抱えたシイノがマリコの実家のベランダから飛び降り川を渡るのは、三途の川を渡ったであろうマリコの行動のトレースであり、死んでしまったマリコの元へ行く、マリコの魂と共に在ることの表現だったのだとようやく気付きました。だからあのシーンは印象的だったんですね。
その直前にマリコの父親がシイノの姿と娘のマリコの姿をダブらせていたのは、そういう意味だったのだと。
そしてこの男に何故心優しい再婚相手がいるのかという謎が映画でさらに深まってしまいました。再婚相手を演じているのはなんと吉田羊さんなので……。
この実の娘に暴力を振るい強姦する最低クソ野郎に何故吉田羊さんが……と本当に頭を抱えてしまう。一番苦しんで罰せられるべき存在はこの父親だろうに。
まるで清涼剤のようだった吉田羊さんもですが、憎々しく愚かな父親を演じた尾美としのりさんも、とにかく出て来た役者さんたちが全員素晴らしかった。
主役のシイノを演じた永野芽郁さんの足を開いてタバコを吸うやさぐれた仕草、マリコを心配するあまり声を荒げる気質、バスで同乗した女の子に手を振る姿、荒々しい言動の中に思わず縋り付きたくなるような優しさが彼女の核にはあるのだと伝わってきて、ああそりゃマリコも抱きつきたくなるよな、と納得感が凄かった。「平気よ、もう怒られっこないわ」の言い方がすごく好きです。
マリコを演じた奈緒さんは一括りにメンヘラとは言えない危うさに凄みがある。一見丁寧な暮らしとかしていそうな女性に見えるのに、ふとした表情が硝子みたいに脆い。カフェのシーンで窓際のキラキラした日差しを浴びながらも、すでに彼女がやり直しが効かないところまで来ていること、すでにあちら側へ足を踏み込んでしまっているような緊迫感を覚える表情が素晴らしかった。
実写映画を観る前に一番心配だったのは、窪田正孝さん演じるマキオとシイノの間に変に恋愛要素を足されたりしないかだったのですが、映画オリジナルシーンはありながらも、そうはならないラインを保っているように思えてそれも良かったです。同性の親友の喪失を異性との出逢いや恋の芽生えによって乗り越えました!みたいな改変のされ方をされるのが私は一番嫌だったので……。
どこか仙人のように達観しているマキオの存在に、窪田さんの優しい声が加わることで柔らかさが増したように感じました。
ハミガキを渡したりお弁当を渡したりと、半年前に死のうとした彼が生きることに繋がるものをシイノに手渡していくという、とても重要な存在になっていたと思います。
一番ウワッとなったのは冒頭のLINEでのやり取りでシイノが選んだ方の服を着て現れたマリコの幻(多分そうだと思ったのですが違う服だったらすみません)。シーン自体は原作にもあるしセリフもそのままだった筈なのに、
「服」という要素が加わったことでこの二人の間にあったものが一層重みを増してしまった。
子どもの頃に約束して出来なかった花火を大人になってからする二人、不審者に襲われて助けを求めてくる女の子とシイノの接点をバスの時点で作っておいたり、シイノが勤めている会社の描写を具体的にすることでシイノの日常をより細かく描いたりと、映画で追加されたシーンがどれも必要だと感じられたのも凄かったです。
原作の感想を書いた際にも少しだけ触れたのですが、高校生時代の私にはマリコに少し似ている友だちがいました。ただ、私はとても彼女のことを背負いきれなかった。
学年が上がってクラスが分かれたときは少しホッとしてしまったし、別のクラスになった彼女が違う女の子にべったりし始めたのを見て「私じゃなくても良かったんだ」と安堵と失望を同時に抱いたのを覚えています。
私は面倒臭くて厄介な彼女のことをシイノがマリコにしたように抱き締めることは出来なくて、そのことすら大人になってからは忘れていたのに「マイ・ブロークン・マリコ」によって思い出してしまった。
原作も映画も、とても心に残る作品になりました。
制作に関わった全ての方々、素敵な作品をありがとうございました。
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