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生きるということは【脱洗脳記録⑥ 完結】

⑥とある新興宗教の団体と知らずに関りを持ち、1年間寮に入ることを決意した。

しかし、担当カウンセラーさんの過剰な干渉、あまりにも”普通”の一面を目の当たりにする。

望むような ”悩みも葛藤もない完璧な幸せ” が約束されているものだとすっかり思い込まされていたわたしは、少し目を覚ます。

しかし、もう戻れない。

彼に1年間消えることを告げると、止められたが…。

映画『DISTANCE』(是枝裕和 監督)

ボーっとした頭でいとこの家に行き、いとこは仕事なのでわたしはひとりそこで数時間過ごすことになった。

シャバでの最後の楽しみとして、映画でも観るか、、とレンタルショップに入った。

頭はボーっとしているものの、心だけは剥き出しみたいな状態。

この世の恋愛や親子愛、友情、全部が嘘や偽りに見えていた。

(みんな本当じゃない、本当のことを知らない)そう思っていた。

無駄に涙ぐんだりしながら歩く店内。

ある棚で一本の映画が目に入った。

是枝裕和監督の『DISTANCE』。こんなあらすじだ。

カルト教団「真理の箱舟」が無差別殺人を起こし、その5人の実行犯が教団の手で殺害され、教祖も自殺した事件から3年後の夏。
4人の加害者の遺族はその命日に集まり、遺灰を撒いたとされる山間の湖に慰霊に行ったが、車を盗まれたため、その場に居合わせた元信者である坂田の案内で、実行犯たちが潜伏していたロッジで一夜を明かすことになる。
5人はそこで否応なく過去と向き合う事になる。私たちは被害者なのだろうか、加害者なのだろうか。果たして私たちは何か確かなものを手にすることができたのだろうか、と。

わたしは、自分が出入りしている団体が新興宗教だとは知らなかった。何度も疑ったけれど否定されてきていたし、自分事としてというよりは(こんな事件もあるんだよね。ちょっと怪しいけど、こういう団体じゃなくてよかった。一応、こういう世界も見ておこう。)くらいに思っていたと思う。

残される側の視点

ボーっと見ていた。

ラストに向かうにつれて、ただただ泣いていた。

時々、(この感じなんだっけ?)と忘れていた感覚が呼び起こされるような瞬間もあった。

それは、ここまでの時間でわたしが完全に失っていたものに気が付く前触れだった。

この映画では教団に居た側の視点と残された家族の視点が、どちらに偏ることもなく、淡々と描かれていた。誰が悪い、何が悪い、何が正しい、そんなことは何一つ語っていなかった。

ただ、答えのない問いを抱えたまま日常に戻るしかない”人間”の表情だけが描かれていた。

それを観たときに、”残された側の視点”が一気に戻ってきた。

想像力とはなんだ

何も言わずに、もしくは曖昧な説明で、急に家を引き払い、仕事もバンドもやめて、寮に入る。

それは、兄の命を救うためかもしれない。

自分の心の平安のためかもしれない。

善悪を知り、真実の道を進むためかもしれない。

何て立派で崇高な目的だろう。サタンに惑わせられながら不安を抱えて生きるより、何倍も幸せだ。

そう信じていた。

でも、突然連絡が取れなくなったら親はどう思うだろう。

友達は、自分に何かできなかったのか?と悲しむのかな。

バンドメンバーは途方に暮れるかもしれない。

そんな、わたしを囲んでいた馴染みのある存在たちの表情や感情は、ピントがずれた写真のようにしか視界に入っていなかったことに気が付いた。

残される側の視点が一気に戻ってきたことで、制御されていたものが動き出した。

想像力だ。

”これが正しい”と信じることで、想像力って奪われるのか?!

だとしたら、宗教が誕生した何千年も前から人間は一体何をしてきてるんだ?!

BOOK OFFで知る事実

DISTANCEを見終わったわたしは、これまでのことを、信頼できる人に話し始めた。みんな口を揃えて「それはおかしい。宗教だからやめな。」と言った。

それからは、ビデオセンターに行くことを止めた。

しつこい電話などはなかった。

少しして、リスさんから一枚のハガキが届いた。

「michiさんが来なくなったことは、私も考えるきっかけになりました。」みたいな事が書いてあったと思う。罵詈雑言を浴びせられてもよさそうなのに、リスさんは最後まで良い人だった。彼女は今、幸せだろうか?

映画のあとは、本がわたしに事実を教えてくれた。

もう関わらないという決断をしたわたしは、次の不安と戦っていた。

万能感を与えてくれていたものに、もう縋ることはできなくなった。

人と話してもそれは一瞬の誤魔化しにしかならなかったので、本屋が一番心を落ち着かせてくれた。

そこで目にしたタイトル。

『マインドコントロールされていた私』『マインドコントロールの恐怖』!!!

ちらっと手に取って中を見ると、なんとわたしが体験してきたことが全部書いてあった。(これじゃん)の一言。

で、そこに ~元・統一協会員の手記~ というサブタイトルがあったという訳です。

この旅は終わらない

あ~よかったね、と言って『それからは自分を信じて生きています』となれたら、そんな簡単でつまらない人生はない。

シンプルさに自分を寄せて得られるパワーも知ってるけど、これは生まれつきなのかな、続かないよね。その人種だったら、noteは書いてないな。

『答えは自分の中にある』とか『ありのままの自分で』とか、もうハイハイって感じで。その言葉の高揚と効用を売り物にしているのが多すぎる。

芸術や表現や創作はさ、絶対の答えなんか外にも中にもない、ないと思ったらあったかも、あったと思ったらない、という所で生まれてくる。それは終わらない。終わらせないためにやっているようなものなんだ。

(数年後に読んだ村上春樹さんのオウム事件を追ったノンフィクション作品『約束された場所で』の最後にも、そんなような事が書いてあった。)

超偏見だけど、noteにはそんな人たちばっかりいて、だから好き。

だから、noteにこの体験を書き残しておこうと思ったんだ。

最後に

万能感? そんなの恋愛で盛り上がってる一瞬しか感じないよ。

心の平安? 24時間平安だったら生きてる意味ないね。

不安? 貪欲さの同義語でしょ。

でもさ、さみしさだけは慎重に扱おうね。



長々と、読んでくれて本当にありがとうございました!!

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