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誰かのためなら大胆になれる
住宅街を走る小さなコミュニティバスで帰宅中のこと。
停車ボタンが押されたバス停で、降りるはずの人が降りられていない。
その人は、手すりと座席に大きくもたれかかってしまっている。
本人さえも自分の状況が分かっていないようで、運転手さんから「大丈夫ですか?」と聞かれて、はっとした表情をしていた。
年齢は、若く見える70代女性かなと予想した。
その人は、なんとかバスを降りたが、その場に座り込んでしまった。意識はしっかりしているようで、気にする運転手さんに「大丈夫です」と、また答えた。
少しの間、様子を見て停車していたが、問題ないと判断したのかバスは動き出した。
バスの中は不安な空気が流れたが、10秒もするとみんなの意識が別のことに移ったのを感じた。
わたしは、そのおばさんの事が心配で気になってしまい、反射的に次のバス停で降りた。
急いでひとつ前のバス停に戻ると、おばさんはまだ座り込んでいる。
わたしは駆け寄って「心配で戻ってきました」と言った。
母親と同じくらいの年齢に見え、とても放っておけなかったのだ。
救急車を呼ぶかも悩んだが、
白かった顔色もだんだんと血色を取り戻してきたので様子を見ることにした。
ふくらはぎを揉んだり、ゆっくりと会話をしたりしているうちに、だいぶ良くなってきたようだ。
わたしは、そのおばさんを家まで送り、
お礼に苺を1パックいただいた。
今日は不思議な日だった。
この出来事の前にも、困っている友人のために
見知らぬ人にたくさんの電話をかけた。
その時もそうだったが、
「わたしにできる事を"この人のために"してあげたい」と思った時の、突き動かされる衝動は計り知れない。
それこそ何でもできそうな大胆さが自分の中に芽生える。
これが自分のことだと、あれこれ考えたりして二の足を踏むこともある。
そこまでする必要ないか、と諦めることもある。
もしかしたら人は、自分のためよりも、
"誰かのため"の方が力を発揮するように作られているのかもしれない。
そして、そんな機会が自分にやって来ないかと、実は待っている。
迷うことなく自分の大胆さを解放できた今日、わたしは世の中の循環を感じた。
他人は自分を動かすために存在していて、そうやってお互い活かし合うところに経済が生まれる。
今日いただいた苺は、そのはじまり。
自分の存在を大声で叫ぶのはやめよう。
誰かのために大胆になっていこう。
そう決意した1日だった。
#コラム #エッセイ #経済 #心理 #生き方
#cakesコンテスト
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