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「嫌われない」=「好かれる」とはならないのが世の常。

数日前にYoutubeで「火曜サスペンス劇場」のテーマ曲を集めた動画があったので見てしまった。

そしてひたすら竹内まりやを聞いてしまうほどに、やや中毒気味になってしまっている状態をどうすれば脱することができるか教えて下さい。

ちなみに曲はシングル・アゲインです。


さて本題。

多くの人には「嫌われたくない」という感情があると思います。できればワイも嫌われたくないと思ってますよ。

そう言えば、かつて<嫌われる勇気>なんて本もありましたけど。

嫌われることを恐れた時点で正しくない。

この言葉を見て『嫌われることは間違ってない!』なんて勘違いしてはいけません。なぜなら「嫌われることは”目的”じゃない」ので。正しいことをするために、周囲から「嫌われる」ことを恐れたらアカンってことです。

嫌われたくないために、誰かに対して忖度したり機嫌を取ったりしようとする。そして、正しいことを曲げてしまうなんてことはアカンってことです。

では、正しいこととは何か?

それは<誰かにとって正しいこと>でもなければ、<自分にとって正しいこと>でもありません。人に依存してしまうものは正しさとは言えないってことです。

置かれた状況・やり遂げるべき事柄にとっての正しさ…とでも言えばいいでしょうか。正しさの主語は<誰か>ではなく<何か>だと思います。

例えばこんなケース。

(1) 任された仕事で上司と打ち合わせした。そのとき上司に『俺はこのやり方で上手くいったからその通りに進めるように』と言われた。自分の考えた案もあったけど説明するタイミングが掴めず、上司に言われた通りに仕事した。

(2) 友人二人が言い争いをしていて仲裁に入った。そのうち友人Aは親友で付き合いも長かったから、その親友にだけ理由を聞いたところ『友人Bの発言が原因』と分かった。なので友人Bには聞くこともなく『次から気をつけろよ』と注意した。

いずれも×です。

なぜなら(1)では、上司の言うことを聞き入れてしまっているからです。自分の考えがあったのに説明も伝えることもせず、上司の言われた通りにやってしまっています。いわば”上司が正しい”と判断しちゃった状態。

本来なら、自分の考えを伝えて意見をぶつけ合うのが正しい姿。上司に忖度したのと同じ結果でしかないですからね。

そして(2)は、片側の意見だけを聞いて『Aが正しい』と思い込んでしまったことが×。いずれの言い分も聞いて「何が問題だったか」を判断しなければならないシーンだったと思います。これも”友人Aは正しい”と思い込んでしまった結果です。

時に正しいことを伝えるためには、「特定の誰かから嫌われる疎まれる」ことも起こり得ます。しかし、それを恐れたり逃げたりしてしまったら、正しい判断なんてできるはずもない。

正しくあるためには、ときに意見がぶつかり合うものだし、誰かと軋轢が生まれることもあります。さらに言えば「自分自身が正しい判断をできているか?」という問題にも直面します。

そのためには自分の発言や行動を振り返らなければならないし、アップデートをし続ける必要もあります。


3ヶ月間にした自分の判断が正しくなかった…なんてこともあり得るわけですから。しかし、それに気づいて軌道修正をかけられる自分は持っていたいものです。

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「」をテーマに見つけた本。


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