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金の籠 20

 それからのことを依子は言葉で表すことができない。
 すべては高速で行われ、依子の意見を聞いてもらえる事など、一度もなかった。

 マーティンとアリスは街の警察署に駆け込み、フランス語と英語で各々遭遇した出来事について報告しているようだった。
 警察官は中途半端な笑みを浮かべて二人を追いかえそうとしたが、依子と雷三のぼろぼろの姿を見て、二人をベンチに座らせ暖かいココアを渡してくれた。

 依子は久々に味わう人間の飲み物に、ぽろぽろと涙をこぼし、涙で塩っぱくなったココアを少しずつ大事に飲んだ。
 雷三は猫舌なようでふうふうと吹きながらゆっくりとココアを飲みほした。

 マーティンとアリスはココアを断ったが、マリーのために寝る場所を交渉したらしい。警察官の休憩所のようなところに通されて、ソファにマリーを寝かせることが出来た。
 依子と雷三もその部屋で何かが起きるのを待った。

 日が落ちて窓から見える外の景色が暗くなっていく頃、一人の警察官がやってきて依子と雷三とマーティンを外へ連れ出した。
 アリスとマリーは警察署に残るようだった。マーティンを先頭に警察官が四人、列になり森へ向かった。
 依子と雷三は警察官の間に挟まれ窮屈な思いをしながら森を歩いた。

 マーティンは懐中電灯で地図と方位磁石をたびたび確認しながら、森の奥へ進んだ。
 来る時はあんなに長く感じた道が、戻る時にはあっという間だった。異形の宇宙船が着陸している空き地についたのは、月が昇って空がうっすらと明るくなったころだった。

 宇宙船を見た警察官たちは押し黙った。一人が前に進み出て宇宙船の周りを巡り、懐中電灯を向け無人な事を確かめた。

 マーティンは警察官たちを森へ導いた。依子と雷三は空き地に残されたが、警察官たちの驚愕の声を聞いて異形のいるあたりへ歩いていった。
 異形は息絶え、目はぼんやりと開かれたままだった。依子は自分が見殺しにした異形の命から目を背け、唇をかんだ。

 異形を見た警察官たちは皆、茫然として何も喋れないようだった。マーティンが何かを滔々と警察官たちに訴えると、中の一人が無線で街に連絡をしたようだった。

 依子たちとマーティンは空き地に戻され、そこで次の展開を待った。街からやってきた警官達は異形の体を黒いシートで包み街へ運んだ。
 三人は警官に前後を挟まれ街へ戻ると、留置場へ入れられた。マーティンは叫び続けたが同じ留置場へアリスとマリーが連れてこられて、少し静かになった。
 依子と雷三は檻の中の湿ったベッドに横になった。

「ねえ、雷三」

「なに、依子?」

「ここは本当に地球よね?」

「そうだよ」

「なんで私達、籠の中にいるのかしら」

 雷三は答えず、依子のそばへ寄りぎゅっと依子を抱きしめた。


 黒い生き物だ。しゅーしゅーと息を吐きながら、とぐろを巻く。異形がその生き物に球状の筐体を被せる。

 生き物はしゅーしゅーという息を激しくし、その息で筐体は宙に浮いた。空飛ぶ船は宙に浮かんだかと思うと急降下した。地面には金の糸に巻かれた異形たち。空飛ぶ船は異形に飛びかかり踏み潰す。

 また宙に浮かび飛び下りる。下にはスイミーや使用人、劇場の異形たちが居並ぶ。空飛ぶ船が落ちていき、みんなまとめてぺしゃんこになる。

 正樹、ミドリ、保護区のみんな目掛けて船は急降下する。
 操縦席には依子。残忍な顔で船を操り、誰も彼も踏み潰そうとする。
 真っ黒な宇宙船は急降下する。森の中へ。依子が見捨てて殺した異形の上へ。

「やめてー!」

 自分の声で依子は目覚めた。雷三は依子を膝に抱き、眠ったままぴくりとも動かない。依子はがばっと起き上がると、雷三の鼻先に指を近づけた。確かな呼吸を感じる。ほっとして手を離す。

 喧騒に気付きそちらを振り向くと、檻の外は警官であふれ、みんな慌てふためいて忙しく歩き回っている。
 依子はただぼんやりとその様子を見ていた。警官は誰も二人のことに気付かない。
 二人は二人だけで放っておかれた。まるで自分たちとは関係ない、知らない世界を見ているように感じた。

 数十分、ただぼんやりしていると、警官の波を縫って背の高い女性と若い警官が檻に近づいてきた。女性は檻の格子越しに依子に話しかけた。

「日本人ですね?」

 突然の質問に依子はぽかんと口を開けた。

「違いますか?」

「日本人です」

 いつのまにか目を覚ましていた雷三が、はっきりと答えた。女性は軽くうなずく。

「私は日本語通訳のためにカナダ警察から要請を受けてきました」

「カナダ? 要請?」

 依子はオウム返しにつぶやくことしかできない。若い警官は黙って依子と雷三の様子を見ている。

「柿崎綾子と言います。あなたたちの名前を教えてください」

「私は、立花依子。この子は雷三」

 柿崎は手にしたクリップボードに書き込みながら質問を続ける。

「雷蔵さん。苗字は?」

「あの、この子は日本人じゃないんです。名前はちゃんとあって」

「o`n beshinchi sana」

 雷三が口にした言葉に、柿崎は首をかしげた。

「え? 今なんて言ったんですか?」

「俺の名前。o`n beshinchi sana」

「すみません、聞きとれなくて。取りあえず、今は雷蔵さんとお呼びしますね」

 柿崎が書きとりをした内容を警官が読んでいる間に依子は質問する。

「ここはカナダなんですか?」

 柿崎は顔を上げてうなずいた。

「そう、カナダのアルバータ州、バンフという町よ。質問を続けていいかしら」

「あ、はい」

 依子は柿崎に問われるまま国籍、住所、パスポートの有無、渡航目的などを答えた。

「渡航目的というか……。異形から逃げるために宇宙船に忍び込んで、ついたのがここだったんです」

 柿崎はぽかんと口を開けた。

「宇宙船? いぎょう?」

 依子は自分が間違ったことを言っているような気になって、いたたまれず床を見つめた。雷三がしっかりした声で言葉を継ぐ。

「俺たち異形に攫われたんだ。地球じゃないところに連れてかれて金の籠に入れられて、ペットにされてたんだ」

 柿崎はぽかんとしたまま手が止まっている。警官にうながされ、やっとまぬけな口を閉じ通訳を始めた。
 通訳された話を聞き終わった警官もぽかんと口を開け、依子と雷三の顔を見比べて笑いだした。

「笑うな。本当なんだ」

 雷三の言葉を柿崎は訳さず、今度は雷三に質問した。国籍を聞かれ雷三はまた聞きとりが難しい言葉を口にした。

「O'zbek」

「ええっと、ウズベキスタン?」

 柿崎がカタカナ発音で聞いても雷三は首をかしげるだけだった。

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