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金の籠 15

 それから三日待っても雷三は帰ってこなかった。
 この都市には人間を保護する条例があるという。人間を見かけたらすぐに保護区に連絡が来るはずだ。しかし雷三の情報はどこからも届かなかった。

 依子は毎日扉の近くにいて、時には扉の外に出て雷三の姿を探した。けれど通り過ぎるのは異形ばかりで、人間はどこにも存在しないように見えた。
 振り返れば数えきれないほどの人間が部屋の中にはいる。けれど彼らは依子の心の中に入ってはこない。

「依子、落ちついて待とう。雷三はきっとどこかで迷子になっているだけだよ」

 正樹の言葉にも依子は首を横に振り、立ちつづけた。

「依子、雷三が見つかってからでいいんだけど」

 依子が振り返ると、正樹はいつものように、にっこりと笑う。

「僕と一緒に暮さないか」

「一緒にって……」

 正樹の笑みがますます深まる。

「地球的に言うなら、結婚してほしいってこと」

 依子は目を真ん丸にして黙りこんだ。

「返事は今すぐじゃなくてもいいんだ、雷三が……」

「雷三を探します」

 きっぱりと力強く宣言した依子に、正樹は困ったような表情をして見せる。

「大丈夫だよ、きっと戻ってくるから」

「大丈夫じゃない。私、雷三がいなかったら大丈夫じゃないの」

 正樹は眉間に皺を寄せた。初めて見る正樹の笑っていない表情は暗く、依子は思わず一歩後ずさった。

「雷三は、君にとってなんなの」

 依子は怖れつつ、けれどきっぱりと口を開いた。

「雷三は私が殺した、私が育てた、私を守ってくれる人。私も雷三を守るの。だから、さよなら」

 依子は扉を出ると振り返らずに歩き出した。


「よりこー、よりこまってー」

 しばらく歩いていると後ろからミドリが走ってきて依子の腕に抱きついた。

「ミドリ!? どうしたの?」

「正樹がね、いっしょに行ってあげてっていったの」

「正樹さんが……」

「ねえ、よりこ、どこいくの?」

 ミドリは依子の腕をぶらぶらと振りながら楽しそうにたずねる。

「雷三を探しに行くのよ」

「らいぞー?」

「私と一緒にいた男の子。覚えていない?」

「わかんなーい」

 依子はがっくりと肩を落とした。が、すぐに気を取り直してしゃがみ込むと、ミドリの目を見て話した。

「ミドリ、異形に……、ええと、仲間達に聞いてくれる?」

「なんて?」

「人間の男の子を見ませんでしたか?って」

 ミドリは大きく口を開け、おなかいっぱいに空気を吸い込むと、大音量で「ギーーーー!!」と鳴いた。通りすがりの異形たちが驚いて足を止める。

「キーキー、キーキー」

 依子にはそれは同じ音を繰り返しているだけにしか聞こえなかったが、異形たちは興味深そうに近づいて来て、ミドリの言葉に耳を傾けている。

「キーキー?」

 ミドリが疑問形だとはっきり分かる言葉で演説を締めくくると、異形たちが口々に不快な音でしゃべり始めた。
 すぐ近くでドラを鳴らされ続けるような苦痛に依子は両手で耳をふさいで耐えていたが、ミドリは平気な顔をして異形たちの声を聞きつづけた。

「みんなしらないっていったよー」

 数分たってミドリが伝えてくれたのはその一言だけだった。依子はがっかりした態度を隠す事も出来ず、ミドリに返事もできない。

「よりこ、ギーのところへいこう」

「え? ギーって?」

「ギーだよ」

 不可思議な音を繰り返すとミドリは走り出した。

「あ、待って!」

 依子はあわてて追いかける。ミドリはちょろちょろと異形の足の間を通り抜け、中には転んでしまう異形もいた。依子は通りすがりに異形たちに「ごめんなさい!」と謝りながらミドリを追い続けた。

「ギー!!」

 一枚の金属製の扉の前でミドリがわめくと、中から背の高い異形が出てきた。銀色の服を着ている。
 ミドリは異形に駆け寄ると、両手のひらを前に突き出した。異形は服の懐から色とりどりのクッキーを取り出しミドリの手に渡した。ミドリは受け取るとはしから頬張っていく。
 銀色の服を着た異形は依子に向かって小声で「キー」と鳴いた。

「ひみつだよ」

「え?」

 お菓子を頬張ったまま聞き取りにくい発音でミドリが繰り返す。

「ひみつだよ、ミドリのママにはひみつだよ」

 依子はあっけに取られた。可愛がっているのだろうが、ギーはミドリを甘やかしているらしい。
 小さいころ隣に住んでいたおばさんを思い出した。親に内緒でお菓子をもらっていた記憶がある。久しぶりに思い出した地球の懐かしい人たちの顔。亡くなった両親、クラスメイト、世話になった施設の先生たち、みんな優しい思い出たち。
 依子の目に涙が浮かんだ。

「よりこもたべる?」

 ミドリの明るい声に依子は涙を押し隠しながら答える。

「ううん、私はいいわ。それよりミドリ、ギーにお礼を言ったの?」

「いってない」

「人からお菓子をもらったら、ありがとうって言わなくちゃ」

「だってひとじゃないもん」

「それはそうだけど、仲間でしょ?」

「ちがうよ、なかまじゃないよ、かちくだよ!」

「家畜?」

「ママがいってたもん。こいつらはにんげんにたべものをはこぶためのかちくだって」

 依子は背中に冷水を浴びせられたようなショックを覚えた。こんなに小さな子が『家畜』という言葉を使う。『仲間』だなんて言っておきながら影では『家畜』と呼んでいる。
 その『家畜』は人間をどう思っているんだろう。

 ぞっとした。そこに悪意が固まって真っ黒な怪物が生まれ出てきそうな気がした。

「よりこ、みなとににんげんがいるって!」

 いつの間にかミドリは依子がまとっている布の裾をつかみ引っぱっていた。依子はその手から逃げ出したい衝動をぐっと押さえてミドリに言葉を返した。

「港ってどこ?」

「オレンジの道をすすんだところ! いこう、よりこ」

「ミドリ、あなたは帰りなさい」

「ええ? どうしてえ?」

「道案内をありがとう。だけどあとは私一人で探すわ」

 ミドリは地団太を踏んでキーキーと叫びだした。ギーはミドリを抱き上げて依子にうなずいて見せた。ミドリを預かってくれるらしい。依子はギーにお辞儀すると通路をオレンジの標識の方へ走りだした。

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