大阪市はホヤ?背骨を見失ってふくらむ水都
見出し写真は天王寺公園の慶沢園の龍神さま。
大阪市を南北に貫く上町台地は、大阪市の背骨。ただの背骨ではなく、巨大な地下水を秘めた信仰の血脈です。
仁徳天皇が高津宮で仁政を営まれた時代、宮中には、イクタマ、イカスリの2つの巫女集団がありました。イクタマは台地からみはらす東西の海に生成する砂州の国産みの神。イカスリは地下水の神。
高津宮の南には、龍神の聖域、荒陵(アラハカ)が広がっていました。江戸時代初期、小野妹子の末裔、秋野家により編纂された四天王寺文献によれば、仁徳天皇はここに陵を定め工事にかかられた。しかし、龍神の怒りにふれ断念された。そして、現在の仁徳天皇陵に場所を変更された。龍神の怒りとは、台地の上にもかかわらず豊富にわき出す地下水の処理ができなかった、ということではないでしょうか。
日本書紀、仁徳天皇五十八年の夏五月に、荒陵の松原の南の道に当たりて、たちまちにふたつのくぬぎ生いたり。路をはさみて末は合えり。
連理の木です。あたかも門や鳥居のように、路の上で合わさりつながる。簡単な記述ですが、荒陵が聖域であり、あるいは後に聖徳太子により一大官立寺院が創建されることを、日本書紀は記しているのかもしれません。
何度となく述べてきましたが、四天王寺の信仰の根底には、水があります。それは、上町台地を貫く、背骨の脊髄液です。
やがて難波宮が造営され、時代はくだり、蓮如が石山本願寺を創建。広がりゆく砂州は大門前町として発展します。
徳川と豊臣の最終決戦、二度の大坂の陣で焦土と化した後、家康はまず四天王寺の再建から大坂の復興にかかります。
大阪市は骨の髄まで、宗教文化都市です。
ところで、ホヤです。よくまちがってホヤ貝といわれますが、軟体動物ではありません。人間と同じ脊索動物です。成体には背骨はありませんが、幼体は背骨のある体で泳ぎまわります。やがて岩などに固着すると、背骨を消して身体をふくらませます。
新潟市マリンピア日本海、のユウレイホヤの映像。
背骨を持って生まれ、固着してからは背骨を失う。ホヤは幼体の時は一刻もはやく固着する場所を見つけなければならないから、脊髄や脳神経は発達している。しかし、固着してしまうと、脳脊髄は不要になるので栄養として溶かしてしまう。
合理的なあホヤ!
上町台地の水の信仰文化から生まれたにもかかわらず、近代大阪はその背骨を見失ってしまった。まるで、ホヤみたいな街やな。
台地ですから、無数の坂があります。愛染坂は名前も情趣ゆたかです。横には共に四天王寺の支院である、大江神社と勝鬘院があります。勝鬘院のご本尊が愛染明王。愛染祭りは大阪の夏祭りの筆頭を飾る、まだ梅雨の明けきらない時期におこなわれます。だから雨が多いので、愛染しとしと、と語られます。
私のヘボな歌。
のぼりはて愛染坂をふりかえる
風と来て愛染坂で出逢う人なし
しとしとと愛にそまらぬ雨無情
うたがきを亡者の騒ぎと封じこめ
わがまちよ孤独の闇に日はくれぬ
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