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【進化心理学】進撃の巨人から読み解く人生幸福学〜 『世界を救う教』に同期がはまった 〜part.2


アルミンとハンジ


アルミンとハンジはかなり似ている。性格ではなく、その想像力のあり方が似ている。


繊細な面があっても咄嗟の機転で仲間を救うことのできるアルミン。

知的好奇心と仲間からのバトンをドライブに実験を繰り返し解決策を見出すのがハンジ。


二人とも、時に非人道的な選択をすることがあれど、根っこの部分は生き物の持つ無限大の可能性と夢に魅了されている

この可能性というのは定量化するのが難しい。想像を膨らませれば膨らませるだけそこには可能性があり、その中には、もちろんまあ問題への解決策があったりもする。二人は思考のループを繰り返してそこに辿り着くことができる。

まさに思考筋肉が発達したブレインである。現代で言うと究極のオタクである。

エレンとミカサ

それに比べるとエレンは良くも悪くもより現実派だ。それは現実を冷静に見ることができるという意味ではなく、感覚的に、彼はより直感的でそして事実的にしか物事を受け取ることができないと言う意味である。

もちろんエレンにも想像力はある。これは傾向の話で、MBTIで言うところのxSxx、xNxxのS(感覚型)とN(直感型)の違いと言うところだろう。Sの人間とN型の人間の違いで面白いのは、感受性の違いでありながら運動神経に言及されているところだ。S型の人間の中には特に運動に秀でている者、スポーツが得意な人などが多い。N型は脳を使う作業に特化している人が多い。

現代日本において例えばアルミンがガテン系の仕事に就いているところを想像できるだろうか?エレンはどうか?ミカサは?そう、エレンもミカサもS型、それも超感覚的実践型だ。


だからこそ二人は袂を分かった。アルミン(ハンジもN型)は基本的には優しい人である。マーレ襲撃の際で戦艦を港ごと吹っ飛ばす際もかなり心苦しい表情をしている。

アルミンは戦場ではそれが命取りになると分かっていても、敵にも何かしらの可能性を見出してそれが惜しくなってしまう人だ。そしてパラディ島以外の、文明の発達した世界に対しても、殺意を向けられているとしても心を踊らせる。

そこに住む人達に無限の可能性を感じている。

その人達の日々の暮らしや感情を想像できる。


エレンもそれを想像できない訳ではない。想像どころか実際に現地の人たちと触れ合い、同じ屋根の下で暮らし同じ釜の飯を食った。


しかし、エレンの基盤はいつだってパラディスにあり、一時的に触れ合ったとしてもエレンの幸福世界の中に入ることは難しい。そういった意味で彼は非常に一貫性のあるキャラクターであると言える。

ほとんどの人間がそこで決心が鈍ってしまうだろう。


だから四期以降のエレンは眼光鋭い覚悟ガンギマリマンと化しているのであり、それに比べてアルミン、ハンジ、ミカサなどの主要キャラはどこか基盤が明確でないような、理想郷を探しているような印象を受けるのだ。(もちろん彼らは彼らで平和的解決策を模索している)


以前は立場が逆で、口ばっかりで実力が伴っていないエレン、伴っているけれど突っ走りがちなミカサ、才覚はあるのに過小評価しがちのアルミンだった。(そして適材適所のハンジ)

四期からは実力が伴い未来を知り彼のやるべきことをやっているエレン、実力はあるのにエレンに戸惑い本人と十分に向き合わず戦闘以外では歯切れの悪いミカサ、そして問題解決を先延ばしにしがちなアルミンになった。ハンジは団長というゼネラリストと完璧主義を求められる、絶対に合っていない不自由な立場に陥った。

そしてその勢いのまま、最終話まで行った。

畑違いの団長ハンジ


アニメ放送時に、ハンジの最期に対して責任丸投げじゃないかと何かしっくり来なかった視聴者が多かったのはこのためだろう。

一応団長として、ハンジは器以上に役目を果たした。そもそも畑違いなのに、である。


基本的にマッドサイエンティストとして自由に研究させるのが一番輝いている人に決断だの規則だのを決める側にする方が間違っている。間違っていた。でも調査兵団は深刻な人手不足である。人材を育成している時間がない。その中では適解である。実際結果は残したし。


他者に対して想像力が働く人間、優しい人間ほど戦場では先に死んでいく。戦場とは、これまたそれありきの特殊な「畑」だからだ。だから、自分達が死ぬかもしれないという場面、相手が話を聞いてくれず自分を殺しかかっている場面で、それに対して何の解決策を見出せていない状況で実力と一緒に走り出したマッドエレンをとりあえず止めようとするだけのハンジに、パラディス側の我々(でない人もいるだろうが)は失望したのである。

これは倫理の話ではない。これは生死の話である。

エレンにはその感覚が分かった。それは彼のパーセプションが超現実型であるからである。肉体を使って、五感をフルに活用していないと死んでるも同様だよねタイプだからである。

だから、戦争のない平和なスクールカースト時空において、頭を使ってオタク活動を遂行できるタイプの人間は割とイキイキしていて(アルミンやハンジ)、自分のスキルや才能、趣向を生かせないタイプの人間はぼんやり生きているのである(エレンやエルヴィン)。


いつの時代も、想像の世界を生きたくて現実に叩きのめされた男がエレンである。エレンにも想像力がある。エレンの理想とする、生きている感触のある現実を生きるという想像が(悪い意味ではなく、厨二)。


ハンジに話を戻す。

戦場での想像力は、司令官としてぐらいしか使い道がない。ハンジはフィジカルもエリートだ(女性なのを考慮してもどう考えてもおかしいぐらい強い)。アルミンは戦略的ピンチヒッター。しかし最終戦以降は、割と肉弾戦メインである。(メインというかそれが戦争の本質)

外交的も存在しないようなものなので、その能力を生かすところが(敵を殺すための)武器の発明ぐらいしかない。ハンジも大量殺戮はだめでも、発明なら楽しい。(そして戦時中の発明は多かれ少なかれ多くの人を殺戮したり、救ったりもする。そして戦争がなければその発明は生まれなかった


みんながブレているように見えるのは、それは元々あった幸せ世界の階層を無視して、突然現れた新たな世界を優先させようとしているところだ。


イェーガー派


例えばフロックはすごく嫌な性格設定をされていたし、飛行艇を飛ばす際のフロック達イエーガー派は、清々しいまでに全滅した。
同期のダズやサミュエルとアルミンコニーの悲壮なシーンはまだしも、アニの華々しいカムバックとライナーとの夢の巨人タッグ、ミカサの相変わらずの強烈な立体機動装置裁き、そして鳥型顎巨人のお披露目の踏み台に、なった。

(アニメのミカサが首を跳ねた後に雷槍で死体を爆発させる描写入れる必要あった?画的には良くても肢体への冒涜がひどい、キリッとしている場合じゃない)    


エレンだけではなく、イェーガー派もやり方が悪いし、味方に思われたくない。そういう心理も作用したのではないのだろうか?

ではこれが正義のイェーガー派だったら?


サミュエルがコニーに泣きながら言った。

俺たちは仲間じゃなかったのかよ、と。


その通りだよ。


家族や友達、仲間を殺してまでほぼ見知らぬ異国人を救うために自分達を助けるためにあらゆる手段を取っている友達(エレン)を殺そうとするのは、歴史的に考えて異常者だよ。

友達だからこそ?

仲間だけど、仲間を助けて世界を救う。

イェレナが言った通り、これは数のゲームであって、どっちが正しいとかない。


「世界を救う」


それは尊い。でもその後の世界が全ユミルの民抹殺にならなかったのは結果論だし、楽観。確かに犠牲になる数は世界の方が圧倒的だが、そもそもみんなそんな打算的で数学的な基準で動いているようにはみえない

となればそれはもう、自己満足なのである。世界中のみんなを殺してしまったら罪悪感で夜も眠れないし、そんな自分が許せないので、思い出試合しようである。精一杯頑張って世界救ってみようぜ、な、ライナー。

そんな自己満足ゲーに付き合わされる島民の気持ちを考えてみよう。


カッケエよお前ら…

でもお前ら、いきなり「世界を救う教」にハマったようにしか見えねえよ……つらいよ

てか逆になんで友達を優先しないんだよ


(以降は島の声ではない)
特にコニーお前は脳筋だろうが……お母さんが望んでいるのは多分お前が生還することぐらいだよ……お母さんのこと知らないけど……少なくとも積極的に島や仲間を裏切ることではない。

敵の子どもを巨人にするのをやめた時点でだいぶ君の他者への優しさメーターは振り切れている。
結構なクズと描写されるフロックと同じことを言うようになるのはアレだが、フロックじゃなくても言いたくなる。

お前よく頑張ったよ。すごく良い奴だよ。もう、これ以上変な方向に頑張らないでくれよ。今まで(パラディス島という)世界の生存のために心臓を捧げてきた全部無駄になっちゃうだろうが。



世界(想像)の広がり


つまり、彼らの世界もまた広がって、幸せの定義に「パラディス以外の全ての世界」まで一気に増幅させ、かつ新しい世界を生まれ育った故郷を裏切り友人や仲間を殺しまくってまで救いたいになっちゃったのである。


異常である。

当時のナショナリズム的価値観から言っても正気の沙汰ではない。

紛れもなく国賊だし、最終話でピークの言った通り、全員乗った船が海の真ん中で沈められても全くおかしくないのである。(話の流れとはいえなんで全員乗ってるんだ…)


これは誰が正しくいか正しくないかの話をしているのではない。

自然は常にニュートラルである。

善悪を決めるのは我々で、歴史を書くのは勝者である。


104期(と他)はエレンとの生存戦争に勝利した。

だからアルミンが歴史を語っているのだ。勝者の視点で。


もしエレンが全人類地ならしを完遂したらどうなっていただろう?もちろんみんなにはずっとしこりが残るだろう。これで良かったのかな?と。(家族を踏み潰された者は生きていく希望がなくなるだろう)

でもそれもエレンが記憶を消せるんだよね?

全ての問題解決を提供してそれに他に解決策が出せずNoと言えるのは、もう気持ちの問題である。

何か食べたいものある?なんでもいいよと言っておいてやっぱパスタはやだ、パスタだけは嫌。えラーメン?ちょっと今糖質制限してるから、麺類がダメってそういう意味だから。でも本当そうじゃなかったらなんでもいいよ。え中華?うーん……

なのである。(何?)

つまり自分達や仲間が死んでも、そういった気持ちを抱えるくらいならとりあえず味方相手でも戦って死にたい。ということ。



我々は単純なので、ヒーローには格好良くいてほしい。葛藤は必要だ。難しい判断をすぐに下せるような(簡単にではないが)エルヴィンのようなヒーローは人気だ。その判断が人を救うから。

戦場では判断の遅さが死に直結する。味方を巻き込む思考型は勝手に死に急ぎ型以上に(死に急ぎが人類の最後の希望であればそれは死に急ぎの方が悪いが)タチが悪い


だから我々はせめて戦場では潔い味方が見たい。例えば、サシャ

長くなってしまったので、ここで一旦区切り、次の記事はサシャ、ミカサ、ヒストリア、ユミル(同期の方)とまとめて分析した上で、では彼らの人生から私たちが幸福を考える上で何が鍵なのかを探っていく。

part1. 【進化心理学】進撃の巨人主人公エレンから読み解く人生幸福学 「世界を目指す」その前に

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