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ぼくたちは選ばなかったほうの道を歩いているのかもしれない。(恋愛エッセイ#36)

先日とある女の子の後輩と昔話をした。


数年前その後輩と
一緒に滋賀まで出張に行き
ごはんを食べ
少し観光をして
仕事をした。


違う配属先だったので
「一緒に仕事をした」
という言葉に収められるものは
その出張だけだった。


出張は短い2泊3日。
電話で話したことはあるものの
会うのは初めてだった。
待ち合わせは新幹線の座席だった。


振り返ってみると
なんともドキドキしてしまう
要素しかないではないか。


3日間という短い期間だったけれど
彼女と時間を過ごしてみて
とても過ごしやすくて
とても気を使わないでいて
とても居心地がよかった。


おそらく
人はああやって
恋に落ちていくのだろう。


恋がうまくいくときは
だいたい出逢ったその瞬間から
スムーズにときが流れていく。


今の季節
ポカリスエットが
体に染み入っていくかのように
障害なくとても自然に。


実際にぼくは
彼女のことが気になっていく
それはとても自然な自然な
流れるプールに身を投じそうであった。


ただあのときの僕らの
持ち合わせていた
「恋人と別れたばかり」
という要素が余計だった。


その出張のまえ
ぼくは彼女にフラれたばかりだった。


先日聞いた話では
彼女も恋人と別れたばかりであったらしい。


お互いになんとなく
恋に臆病になり
異性とそして恋に距離を置きたくなる
そんな時間だったようだ。


今さらながら
先日彼女がそんな話をしてくれたのだから
都合のいいぼくは
彼女も少なからず
ぼくに好意を持ってくれていた
のかもしれない
そんな風に思った。
(うぬぼれも大概にしろ。)


「たられば」は人生にとても似合う。


もしかしたらぼくたちは
「選ばなかったほうの人生」を
今歩いているのかもしれない。


そのときそのときで
ぼくたちは
自ら進むで道を選択して
これからを決めている。



「選べなかった」ということも
あるかもしれないけれど
今の自分は
過去の自分が歩いてきた
その先にいるのだ。


ただそれは
「選ばなかったほうのその先」
と同義である。


選ぶ人生があれば
選ばなかった人生もある。


3月に彼女は結婚した。


それを知ったぼくは
その次の日に
「おめでとう」というお祝いを
明るく彼女に送った。


ぼくも彼女も
きっと間違っていない


彼女の左手薬指に
光るそれを見て
ぼくは静かにそう思った。



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