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結婚は自分の思いですることなのに人が結婚する話を聞いて心ゆらゆらする話。(恋愛エッセイ#35)

ここ数日結婚の話をよく耳にする。


地元の親友
地元の仲良し友だち(異性)
職場の後輩
職場の後輩
同期(結婚の決意表明)


すでに入籍したり
これから入籍予定だったり
結婚の決意表明だったり
状況はばらばらであるけれど


「結婚する」
という事実に向かって
みんな確実に歩みを進めている。


そこまで結婚に対して
しなきゃいけない焦りとか
したい欲求とかないけれど
さすがにこの周りの動きは
心に響くものがある。


小学生のときに流行った
「たまごっち」ムーブメントを
ふと思い出した。


ぼくが小学校5年のころ
たまごっちがとっても流行った。
爆発的人気だったという表現で
間違いないと思う。


みんなこぞって
片手サイズの機械のなかで
生き物を卵から育てて
日々成長しただの
死んでしまったなど
成長の情報交換に
忙しかった。


空前絶後の流行りのなか
ぼくには全然欲しい気持ちがなく
持ってなかったので
クラスのみんながほぼ全員
手に入れたかどうかくらいで
ちょっと欲しい気持ちになった。


ちょっと欲しい気持ちになったぼくは


「持っていない」ということは
間違いなのかもしれない


という想いを抱いていた。


今回もほぼその状況に似ている。


みんなが同じ方向に向かうというなか
自分は立ち止まるか
逆行するかという立ち位置。


そしてそれが正しいとか
正しくないとか
考えてしまう心情。

人はやっぱり
多数派にいた方が安心するし
マジョリティにいた方が正しいという
気がしてしまうものだと思う。


でもそれは「正しいように見える」であって
「正しい」わけではない。


自分が望むも望まないも
その気持ちのあるところが
「正しさ」の置かれる場所なんだと思う。


今の気持ちのまま
「んー結婚どうしようかな」
という気持ちも正しくて
「あっ結婚したい」
っていう気持ちに切り替わるのも
きっと正しい


ぼくの心のゆらめきのなかにいるような
ゆらゆら揺れる
いつもと同じ電車のなかで
そんなことを考えている。

かめがや ひろしです。いつも読んでいただきありがとうございます。いただいたサポートは、インプットのための小説やうどん、noteを書くときのコーヒーと甘いものにたいせつに使わせていただきます。