第3回 日本の会社を辞めて中国上海で働くまでの経緯。

2020年現在
僕は台湾に住んでいる。
CAPSULE Inc.で取締役をしている。
個人的にもYouTubeのチャンネルで動画を投稿している。
そんな僕は最近経歴を聞かれたりする。
個人的には正直過去なんてどうでもいいと思っているけど
そんな時のためにここに過去の自分が書いた記事をまとめておこうかと思った。
今後時間を作って今思うことなどもnoteで記載したり動画にしていきます。
ご興味あればフォローのほどよろしくお願いいたします
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Twitter:https://twitter.com/88momoka88
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僕は2011年4月下旬上海に飛んだ。
大学生の時、僕は初めて海外に行った。
中国北京だった

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電波少年の猿岩石の影響が強く自由に放浪するような旅にあこがれていた。
そのためツアーではなく、地球の歩き方を持って自由きままに仲間と2人旅をした。
そのときの印象、北京はエネルギーあふれる街だなということ、
そして留学してもよい、住んでもよいと思ったぐらい肌に合った。
その後大学在籍中に中国で言えば、上海、杭州にも訪れた。

大学時代も含めれば今回、上海は2回目の訪問だった。

なぜ中国で働こうと思ったのか。
これは、中国に住んでいると挨拶のように聞かれる質問だ。
簡単に言えば、
【人生1回限り。今自分の目の前にある選択肢で最もわくわくする道を選んだ。
その結果、上海にいた。】
ということになる。

もう少し詳細を言えば、
◆大学時代からベンチマークしていた先輩が、上海で働くという事を聞いて、僕は何を勘違いしたのかわからないが自分もそういう選択肢があると本気で思い込んだということ。
◆当時働いていた日本のベンチャー企業で3年働いて、さらに今後思い切ったチャレンジをしてみたいと思っていた。会社に与えてもらうよりも自分自身でチャレンジする機会を取りにいったほうが早いと思ったこと。
◆良い意味で将来の自分がどのようになっているのか見えない、そんなわくわくを求めていたということ。
◆自分で意思決定するという自由な生き方、チャレンジをして成長するという自分の生き方に従ったということ。
こんな理由で、上海で働くことを決断した。
ただやはりこういう事はあとからロジックで考えればというほうが正確かもしれない。
当時は、心のわくわくに従った。それだけだったかも。
辞めておいたほうが良い、絶対に苦労する、バカじゃないのか、そんなことも言われたりもした。
でも、僕のわくわくは、もうとめられなかった。
行動したくてしたくてしょうがなかった。

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上海についてから、タクシーに乗って市内へ。
すでに上海に住んでいる先輩のオフィスへ向かった。


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