「誤解されたくない」は、伝える仕事に有利?
「誤解されたくない」という言葉というか、感情がありますよね。
皆さんも、そのような感情を抱いたことは、ありませんか。
「誤解されたくない」という感情は、基本、ネガティブに捉えられるかもしれません。
しかし、「誤解されたくない」という感情は、意外に長所にもなり得るということを、ここでは紹介していきますね。
それでは、少しのお時間、お付き合いください。
「誤解されたくない」のいいところ
「誤解されたくない」と思うことによって、どんないいことがあるのでしょうか。
それは、正確に、一生懸命情報を伝えられる、ということだと思います。
これは、伝達関係の仕事、あるいは趣味で文章を書いている人にとって、大いに役立つのではないでしょうか。
マスコミ関係で働いている人・個人で情報を発信している人にとっては、このような少しの恐怖というか、責任感というのは大切、と僕は思います。
「誤解されてもいい」と思っていると、やっていることの質が落ちますから、仕事や趣味等で、成果が落ちますよね。
「誤解されたくない」という感情があることによって、伝達の質が上がります。
「誤解されたくない」を活かす方法
まず、「誤解されたくない」は、「いいんだ」と認識してみてはどうでしょうか。
そうすることによって、「誤解されたくない」のデメリットであるネガティブな感情を和らげることができます。
方法としては、客観視がある、と思います。
「誤解されたくない」と思った時に、「今自分は、誤解されたくないと思っている」と言ってみてください。もちろん、心の中でも、構いません。
コツは、重い感じというよりも、軽い感じです。
「ああ、今自分は、誤解されたくないと思っているなあ」的な感じで。
完璧に、情報を伝達するというのは、おそらく不可能でしょうからね。
そして、「誤解されたくない」という少しの恐怖を、持ったままにしてみてください。
少しの恐怖なら、力に変えることもできるはずです。
あとは、情報を、正確に、一生懸命伝えられるように、試行錯誤を繰り返すのみです。
本の力を、借りてみてもいいですよね(もちろん、可能な範囲で、実践してみてくださいね)。
そうすることによって、相手に情報が伝わりやすくなり、成果が上がり、自分に自信を持てるようになります。
「誤解されたくない」を活かしてみて、気づいたこと。
実際に、「誤解されたくない」は長所だと捉えて、「スピランド」というブログを200記事程度書いたところ、文章力は向上したような気がします。
最初の頃と比べてみると、少し上達しているのが、分かるかもしれません。
安定度が増した、というか。
もちろん、しっかり伝達しようと、質の高い本を読んだり、一生懸命文章を書いたりしたから、上達したのはある、と思います。
しかし、それよりも前の2・3年前(かめれもん★のnote)と比べてみると、かなり文章力は上がっている、と思います。
以前の僕のnoteの投稿履歴を、よかったら、確認してみてください。
かなり変わっているはずです。
※追記
実際に見てみたら、微妙だったから、ちょっと落ち込みました(笑)。
とはいえ、情報の手数も増えたし、あまり苦痛なく文章を書ける等、成長している部分もあると思います。
安定的に、ある一定の質の文章を書けるようにもなったかな、とも思います。
なので、よしとしておきますね(笑)。
「誤解されたくない」というささいな恐怖から、文章力は向上することがあると思いますので、皆さんがnoteでの活動において、何らかの気づきを得てもらえると、幸いです。
おわりに
僕の記事に、多少の共感等していただけましたら、「スピランド」という個人ブログも、よかったら、チラッとのぞいてみてください。
200記事以上既にあり、遊びに関すること(主にインドア・休息系)とか人生論など、色々書いています。
最新の記事の方が、それなりに質が高いと思いますので、そちらから見てもらえると、幸いです。
noteの最初の頃の2記事を、紹介しておきますね。
今回の記事と、よかったら比べてみてくださいね。
最後まで、読んでいただき、ありがとうございます。
あなたと今日つながれたことを、誇りに思います。