見出し画像

病は気から

2022/01/09(日)

診察の前後で自分が劇的に変わることがある。

昨年末の診察はまさにそうだった。

その診察までの一週間ずっと調子が悪く、診察の日も起きられずに大幅に遅刻して病院に向かった。待合室では寝転んで待つくらい体がきつかった。

しかしその日診察室を出た後、私はすっかり元気になった。そして年を越して約2週間、大きく調子を崩すことなく今日に至っている。

その状態からすると、そもそも体調不良も大したことではなかったのかとさえ思う。

しかし、私の不調の特徴である暴食や徘徊などからして重めの症状だったし、それが偽りだとはとても思えない。


では診察で何があったのか?

薬も変わってない。ただ主治医と話しただけなのだ。

話をしただけで気持ちが上向きになり、心も体も元気になったということに改めてびっくりする。

気の持ちようでこんなに元気になるのだ。


病は気から、気の持ちようで何とでもなる、といった言葉は嫌いだ。

私の心が弱く根性がなかったから、病気になったのだと思ってしまうからだ。

そしてこれらの言葉の裏にある、もっと楽しいことをしなさい、気持ちを切り替えなさい、ポジティブに行きなさいといったメッセージが、それができない私をとても責めるのである。


しかし改めて昨年末からの好調のきっかけとなった診察を振り返ると、病は気から、気の持ちようで何とかなるという言葉自体は正しいのだと思いはじめた。

肝心なのは私の場合、自分で気持ちを上に向けることができないというところが病気だということだ。

その部分をずいぶんと長い間見落としていた。

すぐに絡まり凝り固まり沈んでしまう私の思考の糸を整理して、上に向かうスイッチを押してくれるのが診察なのだ。

(もちろん時に診察で逆に落ち込んだり、腹が立ったり、やる気を出しすぎて躁になったりすることもある。)

診察室で話しただけで私をこんなに元気にしてくれる精神科医は、私にとって宇宙レベルの神秘的な存在である。そしてその精神科医の謎をいつか明かしたいと思っている。

もちろん精神科医だけではなく、家族や友だちの言葉が上向きスイッチを押してくれることも多い。


これから私は、私の放っておいたら絡む固まる沈む思考こそが私の病気の部分だと、きちんと認識しようと思う。

そしてその思考を誰かの助けを借りて上向きにすることができたら、私は元気でいられるのだ。

(もちろんそれだけではだめだが、今日の結論として。)


今後もし誰かから、気の持ちようなのだからがんばれと言われてももう傷つかない。

気の持ちようなのだから、(私は人の助けを借りて気を上向きにすることを)がんばるのだ。

主治医をはじめ周りの人に助けてほしい、明るい気持ちにさせてほしいと頼っていくことをがんばろうと思う。


ここまで書いたことは、あくまでも今日の私の結論であり、私だけに当てはまるものだと思う。

今私は薬が固定され、主治医や周りの人が絶対的な味方だと信じられている。

(周りの人のことで悩み落ち込むことはいくらでもあるにしても。)

その今の私の恵まれた環境でのみ、周りに私の気持ちを上向きにして=私の機嫌を取れ、など甘ったれたことが言えるのである。

みなさんありがとう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?