気付いたら睡眠薬を2ヶ月分飲んでいた
2022/09/20㈫
気付いたら睡眠薬を2ヶ月分飲んでいた。
最近眠れていないから少し多めに睡眠薬を飲もうと思ったところまでは記憶しているのだが。
なぜそんなにも飲んでしまったか?
ぽかーん…..という感じである。
大量服薬した2日後、友だちに発見された。
発見時のことを友だちに聞いても話してくれず、笑ってごまかされる。
なかなかの状況だったみたいだ。
本当になぜこんなことになってしまったのか?
自分が把握している不調や出来事の大きさと大量服薬という結果が結び付かない。
なんでこれだけのことで??という心情だ。
しかしこんなことは繰り返したくない。
もう本当にこりごり。
そこで今回のことをちょっと改めて状況を整理して考えてみたいと思う。
〇大きな原因?コロナ後遺症?
7月の初旬、私はコロナに感染した。症状は軽症だった。
しかし療養解除後も38℃近い熱が続き、トイレにも行けないくらい倦怠感も酷かったため、近くの内科から総合病院を紹介され内科的あらゆる検査をすることになった。
そもそも自律神経がかなりおかしくなっている自覚とコロナ後遺症ではないかという気持ちがあった。
しかし総合病院の内科医がとても丁寧で親身な先生で、コロナ後遺症と診断するにしても他の病気の可能性がないか検査しましょうという方針で対応してくれた。
結果内科の検査では何も異常が見つからず、自律神経が大きく乱れていることやコロナの後遺症が考えられるということだった。
その結論が出た時点でコロナ感染から1ヶ月半経っていた。
しかし熱も倦怠感も改善しないままだった。
そしてその1ヶ月半の間、私は総合病院の他にも漢方内科や睡眠クリニックに通い、睡眠クリニックでは睡眠時無呼吸症候群の治療がはじまることになった。
そして前述の総合病院に紹介してもらった別の総合病院の内分泌科で、ホルモン異常の可能性があるとして検査入院をする予定だ。
そして今現在は、微熱はあるものの倦怠感は改善されている。
しかしながら7月後半から連日大きな検査や病院通いが続き、とても疲れてしまった。
そして病院通いで軽躁になっていると気付いたとき、治療への意欲は減退しやる気がなくなっていた。
〇きっかけ?主治医からの診察拒否
私がいろいろな病院をめぐることになったのは、主治医の一言があったからだ。
不調の原因が自律神経の乱れかもしれないと主治医に話すと、「自律神経失調症は精神科では診られない」「自分は精神科医として薬の調整をするのが役目だ」と言われた。
(この主治医の言葉は非常に冷たいが、自律神経失調症は何科で診るかも治療対象かどうかも曖昧なものらしい。だから主治医は無責任なことは言っていない。)
だから私はこの不調を自分で何とかするしかないのだと病院巡りに奔走した。
しかしいろいろ病院巡りをしたことが、結果として主治医を怒らせ診察拒否されるという形になってしまった。
前回の診察で私が診察室に入るとすぐ
「いい加減にしてください。こっちは振り回されています。」
「今度から他の病院を受診してください。」
怒りに震える声でそう言われてしまった。
そう言われた原因を考えてみたが、はっきりと思いつかなかった。
睡眠クリニックや入院する総合病院への紹介状をお願いしたことや、熱があったことで精神科病院から来院拒否され受診予約の変更が重なったことなどが良くなかったのかも?ということくらいしか。
本当はきっと何かもっと大きな大きな原因があったのだろう。
いずれにしても私はとてもこの主治医に迷惑をかけ、怒らせてしまうことをしてしまったのだ。
〇問題点?純粋な感情に向き合わないという欠点
こんなショッキングな出来事があったにもかかわらず、私は主治医との関係が切れただけだと変に冷静に納得してしまった。
本当はショックや悔しさや悲しさ怒りがいっぱいだったはずなのに、自分でその感情に向き合おうとしなかった。
もう自分に関係のない人間のために感情を無駄使いしたくないと考えてしまったのだ。
たぶんこれが一番の良くなかったと思う。
頭で理解していることと心のダメージのバランスがおかしくなったのだろう。
そして大量服薬という自傷行為に逃げたのだと思う。
言うまでもなく、自傷行為は感情表現として健全な形ではない。
しかし私は病気を発症してからずっとこの問題を解決できないでいる。
ちなみに私の悪の根源である過食もストレスのはけ口であり、自傷行為だ。
本当にこんな自傷行為はもうイヤだ。
心のダメージや負の感情を過食や大量服薬という形ではなく、もっと上手く処理できるようになりたい。
でもどうすればいいのだろうか??
イヤな感情を激しく吐き出せばいい?
主治医とけんかすればいい?
周りの人に泣きながら被害者ぶって話を聞いてもらえばいい??
そうやって未熟な自分勝手な自分をさらけ出せばいい??
私はそんな自分が大嫌いだ。
私は感情、特に怒りは何か前向きな目的を達成するために用いるべきだと思っている。
関係や問題点を改善したいから怒りをぶつけたり、傷つけることを言ったりするのだと思う。
そして怒りは、愛情がある人(家族や友だち)にしか向けない。
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私はなんてきれいごとを言っているのだろう...
私はきっととてもプライドが高いのだろう。
そして常にありたい自分であるために、無意識レベルで自己プロデュースしているのだと思う。
だから醜い自分や生産性のない自分を抑える。
感情とは別の次元で自分を俯瞰しながら。
しかしながらその結果がこれだ。
もう20年も感情の処理が上手くできず自傷行為に至るという問題から抜け出せていない。
それがここまで文章を書いてやっと分かったことだ。
あぁとても恥ずかしい。
この問題についてもっと本腰を入れて解決しなければならない。
本気で。
この文章を書いて解決策を見つけた気になってスッキリしている場合ではない。
〇気付きと反省?「頑張って治療する」を見直す
今回自分の大きな問題点に気付くと同時に、病院巡りを含む一連の出来事から反省することもたくさんあった。
その反省のひとつは、私の不調全体を診てくれる医師を探そうとしていたことだ。
うまく表現できないが、全力で私の不調を治してくれる熱い医師を私は探していたのだと思う。
しかしながら病院巡りを通して、西洋医学のそれぞれ専門の範囲で診てもらうことしかできないと今さらながら気付いたのだ。
総合診療科や他科との連携を掲げる病院でも、不調全体を診てもらうことは難しい。
そして大きなことに気付いた。
私が3月までお世話になっていた前の主治医がしてくれていたように、不調の原因や対策を探して治療の道筋を決めて、それに従って私は治療がんばります‼みたいなテンションは私自身、もう必要がないのかもしれないと思ったのだ。
やっぱりうまく表現できないのだが、医師に積極的治療を望み、何としかしてもらう時期はもう終わったように感じているのだ。
それは自分の双極性障害という病気の治療が一区切り付き、以前よりはとても安定しているからだと思う。
自分のことも自分でできない、働くなんてまだまだ無理だという今の私の段階でも双極性障害の積極的治療は一区切りついているように感じる。
(それが絶望や諦めなのかはまだ分かっていないが。)
そしてこれからは自己管理をして自分で不調を防ぎ、病気や体調となんとかうまくやっていくという段階にきているのではないかと思ったのだ。
「頑張って治療する」のではなく、「ベターな自分を作る(保つ)」ことがこれから必要になってきているのではないかと。
それについてはまた長くなりそうなので、次回書いていきたいと思う。
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