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父親の入院~病気になること①突然にくる~

こんばんは、今日もお疲れ様です。
#猛暑日  はなくなったものの、30度台の日々が続くと、体力が削られますね。今日の午後から #ゲリラ雷雨 #記録的短時間集中豪雨  でした。かみなり怖かった。

ご無沙汰しておりました。2020年8月は、家族の事情で、終われる日々でした。
先月、父親(75)が入院しました。病名は #多発性骨髄腫 です。

今回の件、「高齢の家族で、具合が悪くて、病院に通院、治療・入院すること、その後の介護」について考えさせられました。
今までの経験とはまったく逆です。「わたしが患者だった」ため、見失う要点も多かったです。
本稿の目的は、家庭環境の違いや病気は様々とはいえ、父親の事例を具体的に書くことで、読み手のみなさんにも「ご自身の家族の場合」に置き換えて想像して、拙文を読了いただければ幸いです。よろしくお願い申し上げます。拝

【前提の考え方】
・高度高齢化社会の現代では、永遠に健康であり続けることはできない。病気になってからこそ、「第二の人生が再び始まる」といっても過言ではない。わたしのような「おひとりさま」もしかり。寿命が延びることは、遺伝子の変質も起こる、ガンになる可能性も高い。
病気になること、病院に通院すること、入院することは「恥」ではありません。いま #流行中の感染症  で、いじめ・社会忌避が起きていることは、昔の肺結核(通称・労咳《ろうがい》)差別と同じ状況です。#ならぬことはならぬもの です。ジブリ映画「となりのトトロ」では、お母さんがサナトリウムで療養しているシーンありますね。
・病気には「突然」になります。病気自体は時間をかけて、身体のなかで静かに進行しているのですが、「突然に気づく」といったほうが良いですね。極端な例ですが、縄文時代でも「ガン」はありました。今ほど平均寿命は短く「しこり」程度の認識だったのではないでしょうか。ガンと認識できるのは科学技術つまり医学の発達のせいです。
・医療技術が進めば進むほど「不治の病」というのがハッキリしてくる。

【わたしの人生の教訓】
・先の大戦における戦中戦後の研究をしていたため、#死生観 が一変しました。「健康で長く生きること」が幸せだと思いません、幸せの一つの選択肢でしょう。時代の状況で「幸せ観」は変わります。貧しさや戦争で短い命でも、充実した生きた方があると思うのです。#障がい者は不自由であっても不幸ではない 、私はそう思うようになりました。


【具体例:病状の経緯】
<患者のひととなり>
・高度経済成長期の男という性格。真面目で、人一倍働く。「我慢と努力」
・父は20年前、大腸がん手術を経て、術前後の健康管理や健康診断など真面目に行っていました。喫煙・飲酒など、ガンを契機にやめました。
・現職は管理職ゆえの過多なストレスはありました。
・退職後も公職を勤務。ここ10年は、温泉、バス旅行や、自宅で「趣味の庭仕事」に明け暮れていました。

▼今年6月 庭の植木の作業中、腰を痛めて、ちかくのクリニック(整形外科)に通いだす。レントゲン撮影で「腰椎の軟骨が擦り減っている」症状を指摘。ロキソニンテープと痛み止め、処置室の緩和療法など。

▼今年7月 さらに具合悪くなる。痛みで歩けなくなり寝たきり状態に。松葉づえでやっと歩けるようになる。衰弱がとてもひどい。隣の市の大きな整形外科に通院。 #MRI  検査や血液検査など受けて、結果が出たら、すぐその場で「入院」を強く勧められた。当院では、治療のための専門科がある総合病院を探す。本人も検査結果を聞くつもりが「即入院」で、いかに重症化を思い知らされた。
※本人は病院嫌い、通院するまで時間がかかりました。ひどく嫌がっていました。

▼今年8月 市内でも大総合病院へ転院。整形外科ではなく血液内科へ転院。家族はみな驚く。骨髄液など精密検査を経て、病名判明と具体的な治療法が決定。
※例の感染病対策のため「入院の面会は自粛」。父親とは会えず、交換日記ノートと携帯電話をコミュニケーションしています。もう1か月が経ちます。

【父親入院で学んだこと】
※「わたしの入院日記」を掲載したことありますが、家族の入院という体験では、感じることや悩むことがまったく違いますね。

(1)家族の入院は、「家族それぞれが病気になる」ことと同義。
家族みな落ち込みました、喧嘩もしました。「なぜそばにいても何もできないのか」と悔やんで、泣きました。母親も趣味や公務があり継続しようと努力したものの、時間調整がうまくできず、父親の世話が中心となる新生活になったのです。

(2)具合が悪いときは、症状が緩和するまで、徹底的に病院を変えて通院し納得すること。
病院を変えることに、抵抗を感じてはいけません。医師から「コロコロ変えて!」と諫められても、その医師がどこまで責任を負うのか定かではありません。ある大病院は3か月ごとに主治医が変わり(※医局から派遣ゆえ)、引継ぎも不十分。無責任で、治療に一貫性がありませんでした。

(3)病院も医療従事者も千差万別。自分に合うかどうか、指標を持つべき。
【環境】症状が回復しない、違和感を感じる病院に行くのは止めましょう。我慢することはありません。お金と寿命のムダです。こちらは命がかかっているのですから。患者本人が通いたいかどうかが要です。
【検査内容】病院規模で使用する薬品や検査器具の有無など、天と地の違いがあります。後で受けた病院で「ほんとうの病名がわかること」も当然の帰結であります。家族としては早期に通院してたのに悔しい限りですけれども。

(4)ひとつの症状だけではなく、身体全体の異常を見逃さない。
結果には原因があります。身体に予兆は必ずあります。それらを見逃さず、いままでの経験を活かしつつ、専門的に総合的に判断できる力が、#医療従事者 がプロフェッショナルかどうかです。

≪父親の予兆≫
①はじまりは「腰痛」←整形外科の通院だけ。素人判断。
②さらに痛みひどく、寝たきり状態になる。
③体力がなくなり、やせる。自力で歩けない。
④貧血になる。幼少期から虚弱体質で「おとなになるまで生きられない」と幼少時の主治医に言われたそうで、健康には気を付けてきたそうです。
⑤思い返せば、それまで感染症に強かったのに、インフルエンザや帯状疱疹になったり、ここ数年で体調ががらりと変わってきた。
⑥よくうつ症状。眠れない。イライラする。痛み止めをよく服用していた。


(5)「自分の身体は自分がいちばん知っている」という言葉あるけれども、そうとは限らない。病気は本人が苦しんでいても、他人がわかる情報もありうる。
だれでも病院は苦手、嫌い。行くのがしんどい。診察結果が怖い。それでも家族は付き添ってでも励ましながら、通院するのがベスト。患者本人とは違う別次元で「病気」と向き合えるから。そして決してあきらめない。最期の最期まで、悪あがきしましょう。

(6)生まれた時も「病院」、健康診断も病気もなったときも「病院」、亡くなるときも「病院」。なるべく早い時期に『病院との付き合い方』を学ぼう。
病院への考え方やスキルをもっと深く学ぶべきである。「まないたの鯉」状態ではダメであり、高度情報社会である現在、医師は先生様ではなく、対等な関係で話せるようにありたい。医療従事者にとって、何千人の一人かもしれませんが、病院を受診する「わたしはひとりのみ」、命がけの覚悟がある。


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