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雨の日のカヌレ屋にて

読まなくても差し支えないですが一応こちらの後日談にあたります。


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小雨が降る午前に私は最寄りの地下鉄の駅に向かっていました。途中で通り道にある、人1人が入れるような小さなカヌレ専門店に立ち寄りました。
いつもは店の前に数人の列ができていますがその時は時間と天候も相まってか誰も並んでいませんでした。

こんにちは、と挨拶してくださった店主のお姉さんは眉毛より上の短い前髪、丸メガネの似合う可愛らしい女性でした。
「季節の商品が2種類、それから本日の気まぐれカヌレはチョコレートとナッツです」
お姉さんは丁寧に説明してくれて、私はさて何個入りを買おうかと考えていました。

「どちらかに手土産用ですか?」
少し悩んでいるとお姉さんが声をかけてきました。
「ええ、友人とちょっとした集まりがありまして」
「へえ、良いですね。同窓会か何かですか?」

一瞬言葉が詰まったのはありのままに話すとお姉さんを困らせてしまうと思ったからです。

「…今日は同級生の命日なんです。もう13回忌になるのかな。手を合わせに向こうのお家にお邪魔するんです」

2人きりの店内で少しだけ間を置いてから、まあそんなものです等と濁すこともできたはずの私はお姉さんにそのままを話しました。


前日の朝まで手を合わせに行くか決めかねていて整理するように、そしてずっと書くべきか迷っていた割にその出来事についての以前のnoteの記事を一気に書き上げた私はふと今年の命日は日曜日であることと、大阪に住んでいて亡くなった彼とも仲の良かった1人のやたらとフットワークの軽い同級生の顔が浮かんだのです。

あいつ、日曜なら休みやな。こういう時は潔く人と約束を作ってしまえばええねん。都合付かへんならその後考えよう、と。
連絡するととんとん拍子に話は進み、先方に直前の連絡になってしまったことへのお詫びと共に都合を伺うと、是非とお返事を頂きました。


お姉さんは少し目を開いて驚いたようでしたが、そうでしたか、と穏やかな声で言いました。

テクニカルサポートのコールセンター勤めをしていた頃に「亡くなった子供が使っていた端末についての相談なのですが」といった案件もいくつか対応したことがあります。
そういった案件の時は些細な言葉が相手の気を逆撫でぬように細心の注意と絶対にミスを起こさないよう徹底的なフローの確認、電話口の向こうの状況や環境を読み取って努めて冷静に無難な声かけをすることが私の中の最適解でした。滞りなく相手を不快にさせずこちらに非も無く無事に対応を終えるには下手なことは言わず、切り際に「他の必要手続きにも追われているかもしれませんが、どうぞご自愛ください」とだけ伝えるのがベターです。

ごめんなさい、お姉さん。面倒な客になってしまったかもしれないけれど私はちょっとだけ誰かに聞いてほしかったのかもしれません。いえ、口に出すことで今日を実感しないといけないと感じたのかもしれません。どのみち言わない方が良かったかしらと思いつつも、お姉さんにとっても私にとっても今日はただ今日でしかないからと一瞬頭を過って言ってしまったのです。

「すみませんね、この詰め合わせ1つください」
私は苦笑いしながら注文しました。

包装とお会計をしながら、私も父を亡くしているんですけど、とお姉さんは前置きして私に話し始めました。
「早い死ってとても悲しくて寂しいですけど、遺された人たちが時間を作って集まれることは素敵なことだと思います。父を思い出して訪ねてくれる人がいると、なんだか嬉しくて」
「ええ。一緒に思い出せることは良いこと、かもしれません」
「ずっと毎年行っていらっしゃるんですか?」
「そうだったんですけどコロナでしばらく伺えていないんです。向こうは京都で、私は大阪に住んで勤めていたので。4、5年振りになっちゃいました」
そう言いながら、私はコロナ禍という理由でここ2年は先方へ碌に連絡も入れずにいたことを心の内で思い返しました。少し何処かが痛んだ気がしました。

「選んでいただいてありがとうございます」
「実は前にもここのカヌレを持って行ったんです。その時にも美味しいって喜んでいただけたんですよ」
お姉さんは嬉しそうにお礼を言ってくれました。

「どうぞお気を付けて行ってきてください」
「ありがとうございます。近くに住んでいるのでまた個人用にも買いに来ます」


私はビニール傘をまた開いて薄ら暗い空の下を歩き始めました。
今日はもしかしたら悲しいことを考えてしまうかもしれない。寂しいと感じるかもしれない。もう泣くことはないと思うけれど、もしかすると今晩は少し泣いているかもしれない。そんな日と既に解っている日です。
でも私は今日は手を合わせに行こうと決めた日です。変わらず生きてはいますよ、忘れてなどいませんよと伝える日であり、変わらない笑顔を保ちも思い出しもする日です。
そういえばコロナ前より10キロ以上痩せたので心配されるだろうから上手く言っておかなくては。

「同級生、他も誰か来てるやろか」

大通り沿いを歩く小さな私の独り言は雨道を走る車の音で誰にも聞こえなかったはずです。


数時間後の京都にて。

誘い合わせた友人以外にも2人来て同級生は私と男子(とは言えど皆アラサーです)が3人、他にも同級生の母親たちと彼の生家に居ました。
うち1人、子供の頃はよく先生に叱られていた悪ガキ気質だった友人はその日集まった人の中で唯一喪服に身を包み、御供養ののし紙付きの地元のおかきの詰め合わせときちんと数珠を持って来ていたので何とも不思議な気持ちになりました。

ですが私がママさん勢とスキンケアについて話をしている真横で「あーそのポケモンならつちタイプが…」と男3人が話す声が聞こえて来ました。
「あんたらほんま、小学生の頃から話変わらへんのかいな!」
ママさん勢の愉快な声のツッコミが飛びました。

その賑やかな声を聞きながら、私は何度も見た懐かしい遺影の笑顔の彼をまた眺めました。

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