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眠れない夜に飲むお茶は

眠れない夜はぐるぐると思考が渦巻く、なんて言いますが実際には記憶や断片的な思考のかけらという映像を自分のものにできないまま、ただランダムに無理矢理見せられている様な状態に近いんじゃないかと最近思うのです。文章にすると時計仕掛けのオレンジの人格矯正プログラムのシーンを思い起こさせてしまいますね。
漠然と浮かぶ思考の表面だけをなぞっていて、それが考え事をしている錯覚に陥る。とはいえ人は1日に約3万回思考するそうですから仕方のないことかもしれません。

幸いにも青島刑事の名台詞のおかげで事件は会議室で起きているんじゃない、現場で起きているのだと教えられてきた私たちです。とはいえ策も無しに現場に急行してもレインボーブリッジは封鎖できません。すみません、未履修なので何故作中で封鎖できなかったのか私は存じておりません。
ただ考えるだけでなく動かないと何も変わらないと知ってはいても、動けるまでのプランが纏まらない日々だってあると思います。そもそも出る幕の無い問題だと先に結論が見えているパターンだってあります。ああしていれば、なんてたらればの後悔をする人もしない人もいますが、後悔しなくともただ映像を見る羽目になる日もあります。


今夜の私もそんな時間を過ごしています。
加湿器にアロマオイルを入れました。小洒落た輸入食材屋に立ち寄った時に買った睡眠前に向いた温かいハーブティーを飲んでみたり。ですが私の交感神経はまだまだピンと弦を張ったようで、困ったものです。

行動は思考若しくは感情が原動力となっており、それらには原体験が伴います。
①原体験があるから②その考えや感情が生まれて③行動を起こす、と時系列で書いた方が分かりやすいでしょうか。②③は意外と仏教用語である因果というやつです。
唇がカサついていると気付いたからリップクリームを塗る、それはこの季節に乾燥したまま煙草を吸うと唇の皮がフィルターに張り付いて全て持っていかれると知っているから。ということですね。
痛いですよね、アレ。鋼の錬金術師の冒頭のエドの「畜生ォ、持って行かれた…!!」という台詞が毎年この時期は脳裏をよぎります。
私も含めた眠れない人の心は②の真っ只中で結論が出ない状態でしょう。

時には気持ちとは全く離反したどうでもいいことを考えてみました。
かつての数学や科学の天才たちを一同に蘇らせることができれば世界はどう傾くのだろうか、だとか。
いきなり召喚されたピタゴラスやアインシュタインやフォン・ノイマンは困惑の極みでしょうが現代の最先端技術を見て何を思うのか、どんな言葉を漏らすのか。そして現代の天才たちと何かを創り上げるとしたらそれは世界に平和をもたらすものなのか、それとも殺戮を生むものなのか、まだ予想もしない秩序を乱すものなのか。
それは、プラスチックを便利な素材と捉えるか環境破壊の一因と捉えるかの違いに過ぎないのだろうか。尤も、最近ではプラスチックと岩が融合した状態で発見されたなんて報告もあるそうです。

そんな答えの無い思考実験の真似事をしてみても気付けば元の映像に頭は切り替わっています。思考は流動的なのでこれもまた仕方ありません。
何も考えずに目瞑っとけよ、そう思われる方も多いでしょうがあの時間は私は苦手なのです。不眠症との付き合いももう相当長くなる私は「あと2時間後には起きて会社行かないといけないのに眠れない」と、睡眠という己の中に存在した義務を遂行できないことに静かに半狂乱になりつつあった日々を思い出してしまうからです。

視界のコントラストのように、静かな存在が時折放つ刺されてしまう熱のように、何故か安心できる香りや肌触りのように、一瞬にして心を奪われてしまう何かで埋め尽くすことができれば良いのですが、其れで飽和する末路は少し寂しいものです。人は上昇志向、裏を返せば強欲を持ち合わせているからでしょうか。

人は強欲で、自分が可愛い生き物です。いくら自分や他人を嫌ってもそれは本能です。それを理解した上で例えば他人の嫌な部分を垣間見た時に、ああ、確かに自分可愛さ本位でこのような言動が出るのだなと理解できてしまった瞬間に本当は大嫌いなはずの自分も自分が可愛いのか、なんて小さな絶望を感じることは本来必要ないのです、が。理解してもすぐ身にできるわけではありません。自転車の構造をいくら理解していても何度も転びながら練習しないと乗れないことと同じです。
こういった瞬間的に浮かぶ考えを心理学用語では“自動思考”というのですが、これを意識的に変えようとなると先述の原体験から何を思い、そう考えたり行動するようになったのかという歴史を深掘りする必要があります。

もしこれを読むあなたも私と同じ、頭が渦巻き眠れない夜を過ごしているのであれば。
何故そう感じたのか、そう感じるようになったきっかけは何なのかを見つめ直すと解決の糸口になるかもしれません。
ですが、正直結構苦痛です。場合によってはトラウマをほじくり返したりだとか、結局辛いことの根本を思い出そうとしているわけですから。
ただ思考の整理はその悩みが解決しなかったとしてもその過程の中で案外他のアイデアに繋がったりもします。

残酷なほど、現実的な2つをお伝えしましょう。

先述した鋼の錬金術のエドが持って行かれた(ちなみに何を持って行かれたかというと自分の左足と弟の全身です)と血を流しながら叫ぶシーンのコマの間に書かれている一文です。
「痛みを伴わない教訓には意義がない
人は何かの犠牲なしに何も得ることができないのだから」 _鋼の錬金術師 1巻より引用
百発百中でそうなのかと言われればごく僅かな例外はあるかもしれませんが私は作者の荒川弘先生に概ね同意です。個人的には“痛い思いをするほどやらかしたか、めちゃくちゃ痛かったことはさすがに覚えてる”と考えています。

そしてもう一つ。
「どうしても気の持ちようをどうにもできなくなってしまうことは悪ではないが、実際世界は気の持ちようで視て出来ている」
これは私の持論です。その昔鬱を経験し理解してほしい人に報告した際に「気の持ちようやで」と言われて傷付いたことのある私がそう書いてしまって良いものかと少しばかり悩みましたが。
鬱病ならばまた相応の対処もありますが、鬱であろうとそうでなかろうと自分で見て聞いたものを認識して生きている以上、どう認識するかは当人次第です。

ですがやはり辛い作業になるかもしれませんしどうにもできない夜はどうにもできないものです。今以上に辛いことを考える余裕なんざあるか、という声はご尤もです。
そんな夜は私と同じように、気休めの温かいお茶でも飲んでみてはいかがでしょうか。
ノンカフェインにしろだとか細かいことを言うつもりはありませんが、寝酒は次の日に残る上に大抵そんな時は酒ばかり進んで上手く酔えないのであまりおすすめしません。あと太る。

何故かって。
一つ目の残酷な現実は野生にも共通した話です。そして2つ目の残酷な現実は思考力と感受性を持った人間の悩みです。
屋根と壁と、この文章を読んでいるということは少なくともネットワークはある環境で眠らないといけないのになと考えながら、真逆のお茶を飲むという行動と時間が作れるということは人間に与えられた特権、つまり幸福だとは思いませんか。
もしお茶の温もりや香りに癒されて余裕が出るようであれば、明日以降の自分にできることを少し考えてみる。
無理なら先のことは翌日の昼過ぎ以降ぐらいに考えるよう後回しにして、今はこの感情に1人でとことん浸る。お茶を飲み切ってベッドに入っても映像にとことん付き合ってやる。極論、浸り切って脳疲労を起こせばそのうち落ちます。人体の仕様です。

いずれにせよ今夜はどうにもできないのですから、そんな程度でいいのではないでしょうか。

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