憩いの蛾
柔らかな風が頬を嬲る、快晴の朝だ。十二月だというのに、気温は二十度を上回っている。二十二度だ。俺好みの暖かさだ。デート向きだ。だが俺は近所の喫茶店で陽が暮れるまで書き物をすると心に決めたのだ。それでもこの穏やかな気候に、心は弾んだ。さらさらと書ける気がする。ことによると、午過ぎくらいに終えられるかもしれない。そうしたら夕方に「真っ赤な星」でも観にいこう。それでも夜勤までまだ二時間くらいは眠れるだろう。そうだ、ビデオでも借りて帰って、一二回抜いてから寝よう。何だか幸福だ。映画の前に何を食おうか。「たつみ」のチキン南蛮、「笑麺亭」の油そば、それとも川崎に着いてから食おうか。ああ、何もかもが好転しそうな気がする。あと二週間で三十歳だ。想像していた大人とはいささか違ったが、二年後、そうだ、二年後を意識することだ。一年では短く、三年は遠すぎる。二年後を想像すると希望が湧いてくる。たしかにいまは貯蓄が底を尽いているし、月末に引き落とされる支払いのことを考えると眩暈がする。それに友人たちがマンションのローンに頭を抱えているなかで、下着露出狂の女がひたすら自慰行為に耽ける映像を月極で購うかどうかを懊悩している俺ではあるが、二年後は蝉や蝶のように土を這う者から蜜を吸い地上を見下ろす者に脱皮しているはずだ。いまおれが背にしているこのアパート、不良外人と淫乱夫婦と夜な夜なバイクのエンジンをふかして遊ぶ莫迦餓鬼どもが巣食うこの豚小屋から俺は抜け出すだろう。いつまでも居座り続ける狂った女からも逃げおおせ、養豚場のアルバイトだって辞めているはずだ。三十過ぎてまで豚の餌やりを続けるのは不毛すぎる、それも家畜としての豚ならまだしも人間の姿をした豚相手だ。あれほど不毛な仕事は東京中探したって中々ない。どぶさらいの方がまだマシだ。首筋に励ますような優しい陽射しを感じる。母の微笑みたいな陽射しだ。嬲る風には珍しくドブ川の臭いがない。まぎれもない太陽の香りだ! 壁にそって停めてある自転車の空色のフレームが輝いている。さあ風を切って街を疾駆しよう。飛ばせば火照りつつある躰に十二月らしい俄かな涼味を帯びるだろう。勢いよくペダルを踏んだ。不意に、アスファルトが削れるような不快な音が路地に響いた。俺はよろめいて壁に躰をぶつけた。灰色のトレーナーに煤のような汚れがたなびいた。舌打ちをしながらタイヤを見ると、画鋲のような形をした釘が何本も打ち込まれていた。呆然と鈍色のタイヤの前に屈んでいると、通りがかった近所の小学生の男の子が俺の背中を指差して、にいちゃん大変だよ、と言った。俺は、ああ大変なんだ、と言ってトレーナーを手の甲でサッと払った。すると、ニチャ、というような、冷たい贓物めいた厭な感触がして、俺はゾッとして立ち上がった。手の甲にはベッタリと潰れ白く濁った体液にまみれた蛾の死骸がはりついていた。どうしてか一瞬それを赫い舌でベロリと舐めとる自分の姿が浮かんだ。男の子が、可哀相な蝶々さん、にいちゃん罰が当たるね、と言って路地を走り去った。違う、これは蝶じゃないよ、と俺は独りごちた。アパートの壁を見ると、五百円玉くらいの白い蛾が十匹ほど翅を憩めていた。このアパートには、なぜか雨がふると黒い毛虫が沸くのだった。この蛾どもは僅かな生き残りで、不覚にも一匹殺してしまったのだ。この蛾はおれだ、と暗澹としてくる気分で考えた。蝶のような色彩もなく、気味の悪いフサフサとした骨色の翅をもち、花の蜜よりもアパートの壁に生える黴を好む蛾。十二月のこの上なく陽気な朝に不条理に潰される不運な蛾。俺は蛾の肉片と体液に汚れた手の甲とトレーナーを洗うためにアパートに引き返した。ああ、夜勤までにタイヤも直さねばならない。チューブ交換に三千円也。ちょうど、飯代と映画のチケット代を足したくらいだ。自転車を雑色まで押して歩くことを考えると、アパートを出るのが急に億劫になった。洗面台で手を洗い、トレーナーをカゴに放り込んで裸のままソファに倒れこんだ。仰向けになって携帯をひらいた。何を考えても気怠く士気が上がらない。筆をとる気が起きない。甘いラテが飲みたかった。甘い、甘いラテの味を舌で想像する。そしてお気に入りのウエイトレス。やがて食指が動き始めた。下着露出狂女の自慰記録を思い切って購読した。これもまた三千円也。知ったことか。俺は、悪い膿をすっかり出し尽くしてしまわねばならないのだ。ぶよぶよとした睾丸につまった蛾の体液そっくりの膿を。そうすれば、物事はきっと好転していくはずなのだ。さあ、あと二週間で三十歳だ。……
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