静かすぎる、この静けさに耐えられない『異人たち』


映画は19:25から始まった。座席は10席ちょっとくらい埋まっていた気がする。公開初日のこの時間にしては閑散としすぎな気もする。しばらく予告編はゴジラや猿の惑星なんかが流れていた。

(c)2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.

ポール・メスカル、幽霊、謎の隣人、のようなワードに惹かれて『異人たち』を観た。かなり好きだった。好きすぎる映画はなかなか感想が書けない。今回は記憶の鮮度が高いうちにさくさくと書いておかないと、悩んで何も書けなくなるなと思ったので書いてる。

主人公・アダムが昔住んでいた家には、彼が小さい頃に事故で亡くなったはずの両親が住んでいる。アダムは両親に会えることが嬉しくて、何度もそこに足を運んでは、他愛もないことや、幼い頃に話すことができなかった、自身のセクシュアリティ、そのことで受けたいじめについて話す。

両親が生きていた頃から、何度も頭の中で反芻したゲイであると言う事実を告げる。それを聞いた母は焦りを隠せない。ゲイであることで子供を持てないことをあなたはどう考えているの?と問われて、そんなの深く考えたこともない、と投げやりに、苛立った様子で返す。

今まで考えて、考えつくしたことだったからこそ、愛する家族に受け入れてもらえないことへの絶望感が増したようだった。その苛立った時の繊細な身体や顔の動きの表現が心に残っている。家族が相手だからこそ、分かり合えないと感じるときに出来る溝は次第に深くなっていく。両親と再会しているときの主人公は10代の少年のままで、心はどこまでも繊細で不安定だった。

どこか少年のままでありながらも、彼も両親が死んだ時の年齢と同じくらいになり、ようやく両親の考えや態度を受け入れることができたのだった。ここは『aftersun』と同じテーマを描いているようにも感じた。

終盤、同じマンションに住んでいる謎の青年・ハリーは「静かすぎる、この静けさに耐えられない」と言う。もう肉体がない彼も、生前からずっと孤独だったのだとはっきりと分かる言葉だった。ハリーはアダムに背を向け、子供のように丸くなって眠る。それをアダムは守るように抱きしめて眠る。人を愛したことがないから愛がわからないと言ったアダムの腕は、どこまでも大切なものを抱き抱えているようで、さみしく、さみしいのに決して孤独ではなかった。

エンドロールのあと、席を立つときに鼻を啜る音がいくつか聞こえきて、この映画を観て泣く人がいることが嬉しかった。私はもちろん泣いた。帰りに、集めているサーチライトのパンフレットを買った。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?