真っ白。
母から電話があった。
いつもの調子だった。いつもの口調で始まった。
いつもの内容の無い、遠回しに家にたまには顔を出せといういつものアレかと思った。
その電話はいつも、親不孝をしているな。という気持ちにさせられるから得意ではない。
普遍的な、意味の無い電話とはどれだけ幸せな事なのだろう。
電話を切るまで、当たり前に存在するものがどれだけ幸せなのか忘れていた。
いつもの母の声。いつも気にかけてくれているという気持ち。
そんなに遠くに住んでいるわけではないのだから、ちょっと顔を出さなくたって何もないよ。いつもどおりだよ。
いつもの調子、いつもの口調のまま電話は終わった。
でも内容はいつもどおりではなかった。
父に癌が見つかったという内容の電話だった。
そんな電話を受けてもわたしに出来ることは少ない。
数時間後に迫る出勤。正直、こんな状況でおかまバーに仕事をしに行くなんて趣味の悪いジョークみたいだと思った。
でも仕事に貴賎はありませんから。
わたしはわたしに出来ることを生業にしている。それを放棄するということは生を放棄する事に等しい。
夜が明けた今日、病院に父の顔を見に行った。病に冒された家族の顔など好んで見に行きたいなんて人は誰も居ない。
直視出来なかった。チューブに取り憑かれ、青白い顔色をした父に幾重かのフィルムをかけてようやく話が出来る程度だった。
それだけ向き合いたくない。これが真実だと、これが現実だと受け入れたくなかった。
来週にかけて転移など無いかを検査するらしい。
ヨソヨソしい、家族とは思えない核心に触れない数分だった。
わたしはまだ、現実を直視出来ない。
でも、最悪は想像する。
だから会いに行った。
わたしはわたしの父に対する思いや心配を父に告げることなど出来なかった。
少なくとも泣かずに思いや心配を告げられる自信が無い。
どれだけ親不孝をしていても、涙を見せるということだけはしたくなかった。それが一番の親不孝だと思うから。
だから核心には触れるどころか近づきさえしなかった。
それは父も同じだろう。わたしに必要以上の心配をかけないように振舞ってくれた。
ごめんね。こんな状況でも父親の愛に甘えてしまった。
なんて弱いのだろう。
わたしは病室帰りのエレベーターの前で、耐えていた涙をこぼした。
次に流す涙は出来れば安堵の涙であってほしい。
今は父の癌のステージが低いことだけを祈ります。
性別とか性違和とか、カミングアウトとか。生という本質の前では瑣末なものですね。。。
皆様、ご自愛下さい。
そしてご家族や愛する人の健康に感謝を忘れずに。。。
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