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鎌田航史は何しにシンガポールへ?

アジア越境チャレンジプログラム修了

9/3~9/9の約1週間、シンガポール&マレーシアにてアジア越境チャレンジプログラムに参加してきました。毎日のnoteを読んでいただいた方はありがとうございます。とても充実した学びができ、時間が過ぎるのがあっという間でした。

とはいえ客観的にみると、「なんでシンガポール?」「サッカーではない留学?」と疑問に思う方も多いと思います。
実際、帰国した本日は数名の部員に「なにしにいってたの?」と聞かれました。
そりゃそうですよね。サッカーしかしていない僕がサッカーではない海外渡航となると皆疑問でしょう。

そこで今回のnoteでは、今回の旅のまとめとして、自分がシンガポールで何をしてきたのか。どのような学びや発見があったのか。価値観の変化など詳し書き綴っていきたいと思います。


これまでの鎌田航史について

シンガポール渡航前の自分を改めて振り返る。

基本的にサッカー漬けの毎日。プレイヤーとしての練習とコーチとしての練習の二部練が基本で、それに自主練、筋トレ、ミーティングなどが重なると24時間のほとんどは部の活動で消化する。

サッカーや蹴球部に対する想いは強い。そしてそこに対するプライドもある。達成したい目標や使命感も明確に抱いている。
ただ、一つのことに偏った生活をしていると必然的に価値観も偏っていくもので、

「こうあるべき」「こうでなければならない」「これが当たり前」

と、自分の中での正解を決めつけていた。

そして、その基準を高くすればするほど、自分に対しても仲間に対しても批判的に思考してしまっていた。
「本当にこれでいいのか?」「こんなもんなのか?」「本当に誇れる組織なのか?」
勝手に自分を苦しめていたように思う。

そんな思考の癖は、「他人の目を気にする」というところにまで影響を与えていた。

俺は対人関係のバランスをとるのが得意で、基本誰とでも仲良くできる。
ただその反面、「この人はサッカーが好きだから自分のサッカー的な面をメインで見せよう」「この人は学校の友達だからできるだけ優しく、棘々しくならないようにしよう」など、相手に合わせて自分を変容させてきた。

別にそれ自体は悪いことではないし、だれでも無意識にやっていることだと思う。
ただ自分の場合は、自分自身でぶち上げた高い基準周りから求められているのではないかと錯覚し、完璧であろうとしていたのだと思う。求められたものを提供する姿勢で生き過ぎていた。

他人に求めていることを勝手に自分にも求めてしまうという「完璧主義の負のサイクル」である。見られ方を気にしすぎている状態だ。

そんな完璧主義で偏った価値観を持っていた自分が、今回の旅でどのように変わったのだろうか。


慢心・過信・自意識過剰

「大学サッカーを4年間やりきること」

非常に価値が高いとされている。
実際、4年間やり抜くことは簡単なことではない。大学生活は様々な誘惑があるし、将来に対する漠然とした不安も抱える時期。そんな中でサッカーに集中して取り組むことができた4年間、というのは明らかに他との差別化が図れているし、素晴らしいことだと思う。

しかし、本当にそんなに素晴らしいことなのだろうか。

世の中には多様な人たちがいる。それはシンガポールでの旅を経て強く感じたことだ。
日本に照らし合わせてみるとどうだろう。

・サッカーに興味がない人
・体育会系のノリ的なものが嫌いな人
・スポーツをすることが苦手な人

社会のほとんどはこういう人達だ。我々とは全く価値観の違う人たち。
(悪いとか、否定したいわけではない。ただ「違う」というだけ)

では、我々大学サッカー選手はそういった世間の大半の人たちにとって本当に価値がある存在なのだろうか。一般社会で必要とされるような存在になれているのだろうか。

答えはNOだ。

これだけ毎日サッカーに向き合って、プレイヤー以外の活動も積極的に行って、色々場数も踏んできた俺が言うのだから間違いはない。

『サッカー関係の活動で得られるものには、限界がある』

「こんだけやってたら社会に出ても余裕っしょ」
「ビジネスの世界でも活躍できるに決まっている」

完全なる慢心・過信・自信過剰。今思うと恥ずかしい。

でもこれは、俺だけではないはず。

筑波大学蹴球部の人間は特にそうだと思うが、大学でサッカーをやっているだけで、なんか他の大学生より優れていると思っちゃってない?

世界が狭いのは我々サッカー界の方で、俺たちより優秀な人間は世界中・日本中に数えられないほどいる。

俺たちはなぜか勘違いをしてしまう。
ただサッカーを頑張っているだけなのに。


3つの教訓

今回のシンガポールでの挑戦を経て、3つの教訓が得られた。
それぞれについて書いていきたいと思う。

①ボコボコにされろ

一週間を通して、様々なミッションが与えられた。
それらのほとんどが、今まで自分が取り組んだことのない分野だった。
でも、正直なところ、「俺ならいけるっしょ」的なマインドで臨んでいたところがあった。

これまでの人生、サッカー以外で「やればできる」が叶わなかったことはほとんどない。基本やればできることの方が多い人生だった。

これまでの経験から、自分がどれくらいの熱量感でどれくらいのパフォーマンスを発揮できれば目標を達成できるかは、何となくわかっていた。

しかし、今回の旅では、そうはいかなかった。

自分がクリアできたミッションは1週間で1つだけ。
それ以外はミッションクリアとはならなかった。

正直、めちゃめちゃ悔しかった。
「やればできる」が実現しなかったのは久しぶりだった。

この経験から、もっとボコボコにされた方が良いという教訓を得た。

失敗から学ぶことは多い。そして年齢が上がってくると、失敗ができる環境は以外と少ない。
失敗が許されない、というのもある。ただ何より、失敗を自覚させてくれるほどのフィードバックをくれる人がいない。

自分が本気で取り組んでできた成果物に対して、「そこを突いてくるか!」というようなフィードバックをくれる人は、周りにいるだろうか?

今回の旅では、刺激的かつ細かいフィードバックを自分の視野外からされまくったことにより、多くの失敗経験を積むことができた。

自分の中で、成長に歯止めがかかっていたことに気が付いた。やはり、成長を望むのであれば人はできるだけボコボコにされた方が良い。

失敗できる環境に飛び込むこと。そして、失敗しそうなことに取り組むこと。

②Oneであれ

一週間を通して、シンガポールで色々な人たちに会った。
フィールドワークを通しておそらく200人くらいに英語で声をかけたし、現地に住んでいる日本人の方々ともお話させてもらった。

特に自分が心動かされたのは、現地に住んでいる日本人の方々との話だ。

海外で仕事をしながら生活をする、というのは一般的な日本人からしたら特殊だと感じるだろう。
月並みな表現にはなるが、そんな「他人と違う道」を進んだ人たちの話は刺激的だった。

彼らは、自分の中に確かな意思を持っており、「どういう人生にしたいのか」「仕事に対して何を求めているのか」「なぜ海外で働くのか」という考えが極めて明確だった。

その中には、これまでの自分には全くなかった考えも多く、とても新鮮だった。

この経験から得た教訓。それは、自分の人生を決める権利は自分にしかないということだ。

人生というものは、当人のものでしかない。
自分の人生を決めるのは自分で、
他人の人生を決めるのは、他人なのである。

人は、他人の人生に口をはさみたくなるものだ。
でも、そんなことには意味はない。なぜなら、人生を決めることができるのはその人生を生きる本人しかいないのだから。

他人に、世間の目に、社会の風習に流されることなく、人生を通して自分自身を表現し、他の誰でもない ”One” であることが幸せな人生を生きるために重要な考え方なのではないだろうか。

自分の人生は、誰にも邪魔させてはならない。
自分は自分。Oneであれ。

③先駆者であれ

得られた教訓、最後の3つ目。それは、どんな時も先駆者マインドを持ち、自分からアクションする姿勢を持つ、ということである。

多くの人とコミュニケーションを取る中で、自分からアクションし相手に寄り添う姿勢が大切だと気付いた。

世界には色々な人がいる。
人種、宗教、国籍、性別、本当に多種多様なのだ。

それは、日本国内でも同じだ。
日本は単一民族国家なので、あまり感じないと思うが、人種や宗教などでなくても、価値観は人それぞれで、合う人もいれば合わない人もいるのが当たり前だ。

そんな多様な人々との関わり合いの中で生きていくためには、自分から相手に寄り添い、相手のことを知ろうとする、相手のフィールドに立って話をすることが非常に重要なのである。

自分から一歩目を踏み出すのは恥ずかしい。その気持ちは自分も痛いほどわかる。
でも、そのいらないプライドや恥じらいを捨て、コミュニケーションにおける先駆者になる事。誰よりも先駆けて相手の世界に入り込むこと。

それが、鎌田航史にとっての幸せな人生を生きるためには必要なことだと、気付くことができた。

どんな時も、先駆者であれ


最後に

この一週間は、超絶カオスの中で動き続けたことにより、濃密な学びをすることができた。

ただ、1週間という期間、俺はサッカーから離れている。これはサッカー選手ならかなり抵抗感のあることだ。

実際、サッカー以外のインターンでチームを空けることなど今までの自分なら絶対にしていなかったと思う。
ただ、今回はある想いがあって参加する決断をした。

「チャレンジすることに対するハードルを下げたい」

チームを空けること、サッカーから離れること。これは多方面に迷惑をかけることは間違いない。チームの戦力も少なからず落ちるし、コンディションを戻すのにも多少時間を要する。

でもそんな障壁を越え、自分のような典型的なサッカー人間、ザ・筑波大学蹴球部員がコンフォートゾーンを抜け出してチャレンジすることにより、仲間たち(特に後輩たち)がチャレンジするハードルを下げられるのではないかと思ったのだ。

「俺もいってみようかな」
「外に出てチャレンジしてみたいな」

という仲間が1人でも出てきてくれたら本当に嬉しい。


Next ”Beyond The Border” Challenge

旅の終わり時、参加した皆で「今後3か月の越境チャレンジ」を考え、発表した。

鎌田航史の越境チャレンジ。それは、

『100人の人たちと新たに繋がる/再び繋がる』

である。

今回の旅を通して本当に多くの学びをした。
それは、ただ「シンガポールに行ったから」できたことではない。
シンガポールという地で出会った人たち、仲間たちのおかげで有意義な学びができたのだ。
改めて、新たな人との繋がりの良さを感じた。

もっと色々な人たちと話したい。
自分のことを知ってくれている人たちを増やしたい。
もっと多様な価値観に触れてみたい。

そんな想いをこのチャレンジに込めている。

この先3か月で、多くの人たちと繋がることで、自分の中でまた新たな目標や価値観が見つかれば最高だし、それに共感してくれる仲間が増えればもっと最高だ。

鎌田航史の越境チャレンジは、まだまだ続きます。



この一週間、自分のツイートやnoteを読んでいただきありがとうございました。今後もよろしくお願いします。

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