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【後編】Life Quest ~釜石で〇〇する人たちの多様な生き方〜第11歩目「ローカル複業家」×岩城一哉

本記事は、岩手県釜石市で人生を探求し生き方を自分でつくることに挑戦し、様々な活動に取り組むゲストの生き方に迫っていくイベント型オンライン番組『Life Quest』の内容をnoteに転載しています。         
今回は、2020年10月19日に実施された第11歩目「ローカル複業家」に取り組む岩城一哉さんをご紹介します。実際の放送については、こちらよりご覧ください。

わたしのLIFEQUEST

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戸塚)後半は、岩城さんご自身の人生についてお話して頂きます。まず、岩城さんは、学童でキャリアをスタートしたということでこのあたりからお話していただけますか?

学童保育時代

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岩城)はい、埼玉県の草加市という場所で仕事をしていました。この草加市はいわゆるベッドタウンと呼ばれる場所で、待機児童など問題になっていますが、この学童も待機児童がいる状態でした。私はここで、放課後の子供達や保護者の支援などで約6年働いていました。そこでは、20人ぐらいのお父さんたちがキャンプを行ったりして、自分もそこに入って活動していました。

先ほどベッドタウンということも触れましたが、お父さんたちって子供ができて、引っ越してきたという方がほとんどで、家に来ても寝るだけの場所だと思っていた人もいるぐらいつながりというものがありませんでした。でも、この学童のキャンプなどを通じて、お父さん同士で夜飲みに行く関係が築けたり、他の子どもとも触れあうことで普段会ったら挨拶をするなど地域での横のつながりをつくることの大切さに気付きました。都会だと知らない大人から声かけられると不審者情報が流れてしまう世の中ですが、そうではなく地域全体で子供達の成長を見守り、その中で大人達も成長していくんだという所は釜石でもそれは同じだなと思っています。

岩城)また、学童の職場って気が付いたら同期の誰かが辞めているということが多くて、その中でも横のつながりを作って相談できる相手が必要だよねということになって、定期的にみんなで飲みに行くようになりました。この集まりもわたしが学童を辞めた後も後輩が引き継いでくれました。仕事を辞めること続けることって本人の自由だとは思うのですが、その中でも相談できる相手がいることって本当に大切だと思います。これは、地域で生きていく、活動していく中でも同じように重要なことだなと思っています。実際に学童時代の仲間が何回か釜石来てくれていて、そのたびに昔とやっていること変わらないなって言われることがあるので、本当にここが私の原点だと思います。

戸塚)実際に釜石でみんなでスポーツしようとか声かけて、やっていることって、つながりをつくっていることなんだなとお話を聞いて思っていて、今の岩城さんにリンクする所がとてもあるなと思い、聞いていました。

仕事を辞めて、釜石へ

戸塚)だいぶとんでしまうかもしれませんが、東日本大震災を経て釜石に来ようと決めたのは、どんな心境の変化があったのは教えてください。

岩城)はい、元々このままでいいのかという気持ちが芽生え始めていて、仕事を退職する年に全国の学童の研修会に参加しました。その時の会場が岩手県だったんです。そこでは、実際に岩手県の学童で働かれている方のお話をきいたのですが、震災後すぐにその先生が学童に行ったところ壊れた学童の前で子供達が待っていたそうなんです。というのも医療関係や警察関係の親御さんは仕事に行かなくてはいけなくて、その為子供を預けるしかなくて、置いていくしかなかったということでした。実際に親が亡くなったりして、子供たちも荒れて、ひどい言葉をその先生が言われたりして、自分も被害に遭っているのに「何でこんな言葉を言われなくてはいけないのだろう、辞めたい」と思っていたそうです。しかし、親御さんから子供達の為にも、先生が必要だという言葉を受け、学童の先生を続ける覚悟をしたというお話でした。この話を聞いた後にこの先生自身の心配がされていないことがずっと心に引っ掛かり、自分が行って助けたいと思ったのが理由の一つにあります。

また、自分の働いていた学童で東北に寄付をするという活動をおこなっていました。1年目は学童の子供たちがやろうって意気込んでくれていたのですが、3、4年と時間が経つにつれてもう送らなくていいんじゃないかという声が子供達から出始めました。その時に、まだ仮設住宅で暮らしている人がいるなどの話をしたのですが、やはり子供たちはそれにしっくりきていない感じでした。これが、なぜかと考えた時にやはり自分がみて感じていないから伝わらないということに気が付き、もうこれは東北に行くしかないと思いました。

しかし、自分は行動力が全くないので、どうしようかと考えた時に、ニートになれば生きていく為に行動せざるを得ない=東北にいくしかないという状況をつくればいいと思い、職場をやめました。これが理由の2つ目になります。

戸塚)とても決断力と行動力あると思うのですが、そうではないのでしょうか?

岩城)はい、私は、仕事をしながらでも他のことを実行できるのが行動力だと思っています。自分には、それはないので行動するために退路を断ったという感じですね笑

戸塚)なるほど。自分から退路を断つことによって釜石に来たということですね。

なぜ、釜石にいるのか

岩城)釜石にきて、長期的に子供の支援に携わりたいという思いから、三陸ひとつなぎ自然学校で活動させていただくことになりました。当時、28歳のニートであった僕を温かく受け入れてくださいました。代表の佐々木さんからははじめ「えっ」とは言われたのですが・・・・笑

釜石は、ボランティアで外から人が来ることに慣れているからか子供達もわたしを受け入れてくれて、自分がここにいてよかった、楽しいと感じました。

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これは、かまっこまつりというイベントなんですが、ここである子どもから言われた言葉が残っています。当時、たくさんのボランティアさんが来ていたのですが、そこで出会いもあれば別れもあるというのを子供たちも知っていました。そこで、一人の子から「またねって言うけどまたこないじゃん」という言葉を受け、とても胸を打たれました。半年間とは言わずに、もっと釜石にいようと思ったきっかけにもなりました。

釜石に来たことでいい意味で人生を狂わされたなと感じていますし、私以外にもそう思っている人は案内人の戸塚さんも含め、多いのではないかと思います笑

あなたにとって釜石とは?

「みんなの」ふるさと

岩城)わたしにとってという質問に対して、「みんなの」とつけてしまったのですが、本当にこの言葉が当てはまるなと思いました。地元にいる人だけではなく外から来た人もまた来たくなる場所だなというのが自分の中で大きいなと思い、この言葉にしました。自分の生まれた場所が好きだから残るという感覚が全く分からなかったのですが、釜石で地元が好きだから残るという話を聞くと段々とわかってきたような気がします。

戸塚)この質問に対して「みんなの」とつけるあたりとても岩城さんらしいです!

わたしにとって人生の道しるべとは?

岩城)2つあるのですが、、、、

自分の目で「見て」「感じる」  助け合って・・・支え合って・・・

岩城)1つ目は先ほどお話した部分ではあるのですが、やはり自分の言葉で伝えるのに「見て」「感じる」ことは大切であると思っています。また、2つ目ですが、本当に自分は色んな人に助けて頂いていて、声をかけて頂くことが多いです。もし、これがなかったら釜石にはいないと思っています。

戸塚)本当に最後まで岩城さんらしい謙虚さが表れた言葉でした。岩城さん、本当にありがとうございました!

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