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【後編】Life Quest~釜石で○○する人たちの多様な生き方〜第4歩目「ローカルガイド」×福田 学

本記事は、岩手県釜石市で人生を探求し生き方を自分でつくることに挑戦し、様々な活動に取り組むゲストの生き方に迫っていくイベント型オンライン番組『Life Quest』の内容のアーカイブ記事になります。
今回は、2020年6月29日に実施された、第4歩目「ローカルガイド」に取り組む福田 学さんをご紹介します。実際の放送についてはこちらよりご覧ください。

ー後半では、ライフチャートに沿って福田さんの人生を見ていきます。

わたしのLIFEQUEST

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東日本大震災

戸塚)この福田さんのライフチャートをみて感じたのは、震災を機に人生がガラッと変わったのかなというのが第一印象にありました。東日本大震災が1番の転機になるんでしょうか?

福田)そうですね。私の中では東日本大震災が一番大きな転機になりました。

前段として学生時代が就職氷河期だったこともあり、安定した職に就くことや経験を積むことに重きを置いていました。そのような中で、コンピュータ系の専門学校に行き、その後は広告関係の会社に半年ほどお世話になりました。それ以降は安定した収入と専門的なスキルを身につけるために、大手の印刷会社さんで転職することになりました。

会社員時代は、普通にお金をもらって毎日黙々とルーティーンをこなすように働いていて、このまま自分の人生続けていていいのだろうかと人生を模索していました。

何より働いている中で、働きがいとか喜びとか実感する体験がないと思うようになり、そのタイミングで東日本大震災が起こりました。

そこから自分の価値観が180度変わり、自分自身どんな生き方するのか、どんな働き方したいのかを強く考えるようになりました。自分の母親の出身地である岩手が被災し、この震災をきっかけに岩手にどんな形に関われたらいいんだろうと模索する時代がライフチャートの波線部分になります。

戸塚)どんな模索をしていたのですか?

福田)まず目の前のお客さんが喜んでもらうのが、自分の一番の喜びや働きがいだなと思うようになり、サービスの提供をする中で、目の前のお客さんが反応してくれる飲食業に興味がありました。だからパティシエを3ヶ月かじったりしました(笑)

戸塚)その会社員の時は、目の前の人と接するような接客業のような仕事だったんですか?

福田)いや、一切無く、パソコンの前でひたすら作業をしていて、目の前の人と接するような機会はありませんでしたね。

戸塚)そこからガラっと変えて新しいことに挑戦したいということでもあったんでしょうね。生き方の価値観が震災によってガラッと変わってどういう風に生きていこうかと試行錯誤してた時期だと思いますが、実際移住することになったきっかけを教えてください。

福田)岩手のつながりある恩人たちの出会いというのがありました。東京の有楽町にあるふるさと回帰支援センターで、移住情報の提供があったりイベントが開催されていたりしました。そのイベントに参加し、トークセッションの登壇者の方にどのように岩手に関わったらいいのかわからないと相談しました。岩手とのつながりを色々紹介してくださり、そのご縁から岩手とのつながりがどんどん濃厚になってきました。その出会いがなかったら、全然移住していたかはわからないくらいの出来事でした。

沿岸一人旅で釜石の夕陽と出会う!

戸塚)はじめは、生き方を模索している中のひとつとしての岩手だったんですね。その後沿岸を一人旅したというのはどんな経験でしょうか?

福田)岩手の中でも釜石の地域の人たちと知り合う機会が多く、話を聞くたび釜石は面白そうな町だなと感じていました。震災後沿岸の方には行ったことがなかったので、ちょうど4年前に一人旅をしました。この写真はその時に出会ったタクシーの運転手さんに、この辺で景色のいい場所ありませんかと尋ねたところ、この沿岸の場所に連れて行っていただきました。

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当時この景色を見た時に、いつかこういう場所に住んでみたいなと強く刻まれた一枚です。

戸塚)この景色を見た時はどのような気持ちになったんですか?

福田)生き方に悩んでいましたし、東京でこのまま働いているのも自分の中では違和感を感じていて、どのようにして生きていくかを考えているタイミングでこの景色に出会ったので、自分の価値観をガラッと変えてくれましたね。そしてこの景色を見た瞬間にここに今すぐ飛び込みたいと思いました。それくらいインパクトが大きかった景色との出会いでした。

戸塚)それで飛び込んでしまうというのもまたすごいですけどね。

釜石LV就任&移住

戸塚)次、実際に移住しようとなったわけなのですが、その後移住してどのような生活だったかというのを聞かせてください。

福田)地域おこし協力隊1年目は、釜石という場所がまだ知らない土地だったので、当然知るところから始めました。歴史だったり、観光地だったり、市内を自転車(クロスバイク)を使って市内のコースを模索してルートを作ることに注力していました。

やっぱり移住して変わったのは季節の移り変わりを実際に暮らしの中で感じながら生きられるというのが私の中ではとても新鮮でした。東京では「星をちゃんと見たことなかったな」とか、小さいことが喜びに感じたり感動したりしながら1年目は暮らしていました。

戸塚)1年目は暮らしに慣れることや、岩手の暮らしの日々の1つ1つが新鮮に写っていて、いきいきとされていて楽しそうな印象があります。

ローカルベンチャーの取り組みというと、最大3年間で終わってしまう中の1年目なので時間の使い方としては、下見にいくなど準備段階といった感じですね。

福田)私のなかでは地道なコースづくりや人との関係づくりで進歩があったと捉えていて、1年目では基礎を作ったつもりでいました。

しかし、次の2年目に入ってからどういうことをやるのかを市の担当者と話をする機会があった際に福田さん何にもやってないよねと言われてしまいました。

表立って何か活動していたとか発信していたとか形にはまだなっていない状況だったので、市の方からの評価としてはもう少しアクションしよう、イベントを開催しようなどとアドバイスをもらい、2年目からは2回ほど集客を行いサイクリングツアーを開催しました。

平元)私は福田さんが知らない土地に来て一生懸命頑張って場所に慣れようとしていたり、何か新しい事業をしようとしたりしていたのを見ていましたが、外から見えていた評価というのは何もやっていなかったかのように言われて、自分と感じていたこととは真逆だったように言われた際にはどう感じて、どう動いたのですか?

福田)実際に発信も何もしていなかったので、まずは発信していかなきゃなと決意しましたね。

平元)3年で事業を作らなければならないという地域おこし協力隊の制度が決まっている中で、0ベースから始まった福田さんは常に時間との戦いみたいなプレッシャーがありましたよね。

戸塚)辞めなかったのがすごいですよね。何が原動力だったんですか?

福田)1回原点回帰して自分は何がやりたいのかをもう一回考え直した時に、やっぱり景色に感動して移住しましたし、サイクリングというのは地域の魅力を伝える一つのツールとして可能性を感じて、やっていることは間違っていないということにたどり着きましたね。

平元)福田さんはサイクリングのガイドや案内人としてのこだわりをとても感じました。

会社員時代は模索して色々ぶれてしまっていたような福田さんから、釜石に来てからこだわりがあり、ぶれない自分ができているなと感じますが、どのような出来事や考え方の変化があったのですか?

福田)会社員時代は、情熱やプライドを持って働いていなかった分、地域おこし協力隊になってからは、岩手とのつながりやアイデンティティもありましたし、失敗して途中で帰るということを絶対したくないというプライドがありました。何のために自分が飛び込んだのかとかが無意味になるようなチャレンジはせず、何かを残したいという気持ちがありました。だから大変でしたけど、自分なりに形にしたいという情熱だけは心の中に常にあり今に至っています。

戸塚)プライドや情熱が自分を奮い立たせるものだったんですね。釜石に来て自分の中で変われたことや意思決定のポイントでの変化は何ですか?

福田)後悔しない選択をしないということですかね。やらない後悔よりもやって後悔する方がいいですし、それは後悔というよりも、チャレンジだと思います。結果的に成功したとしたら、その失敗も無駄にはなってなかったということになりますし、まずはアクションすることを大事にしています。

戸塚)また、釜石に来て1番びっくりしたことや初めての岩手暮らしでイメージのギャップはなかったですか?

福田)水道凍結防止の栓があったり、凍結予報などが天気で流れるんですよ。それが1番衝撃でしたね。雪国の経験がなかったので、こういうことをやっているんだという驚きがありました。あとゴミ袋に名前書くのとか・・・東京との生活の違いがあったので、これが地方で暮らすことなんだなと驚きの連続でした。

戸塚)環境や人との距離感とかもですよね。仮宿ツアーは今もやってますか?

福田)先ほどスライドの中でご紹介した以外にも、もう一つコースがあるのですが、そちらは隣の大槌町という町までいけるルートがあります。その2つコースどちらともご注文に沿ってご案内できます。

戸塚)ぜひ皆さんも体験してみてください。

あなたにとって「釜石」とは?

私の人生を変えた場所

福田)1つの景色で私の人生が変わりましたし、ふるさと回帰支援センターでの出会いがなければ釜石に来てなかったですからね。土地とのご縁だと思っています。

戸塚)人生だけではなく、性格や考え方などいろいろなことが変わったように思えます。

福田)本当にそうだと思います。

あなたにとって人生の道標とは?

情熱と信念

福田)初志貫徹でこれを持ち続ける人が最終的には結果を出せるものだと今でも信じております。

戸塚)協力隊は卒業されましたが、今も自分の事業として活動は続いていて、情熱や信念を持ち続けていると生き様自体になっているようにと感じました。とても説得力のある言葉ですね!ありがとうございました!

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