本が読めるまで(5)志賀直哉を読む。

 かなり久々の投稿になってしまいました。やることが多すぎて本が読めない。本を読むために飛び込んだ環境が、逆に本を読めなくさせている。そんなもやもやな日々です。こういうときは短編しか読めませんね。

 今日は志賀直哉の「真鶴」を読もうと思います。チョイスが大分渋いでしょうか。志賀は文学史ではかなり重要とされる作家であるはずなのに、夏目漱石や芥川龍之介、安部公房とか(?)と比べるとあまり一般に読まれていない感じを抱きます。好きな作家は。「志賀直哉」と答えると大分コアな文学好きという感じがしますね。ただ作品は簡潔な中に深みがあるというか、表現というものを考えるときに大事な作家のような気がします。その中でも「真鶴」は隠れた代表作というか傑作に思います。

 初めの感想としては、「あらすじが書けない…」。これは小説を考えるときに結構重要なことです。現代の小説はストーリーの面白さに惹きつけられるところがあるので、志賀が文豪として当時存在していたということと、その作品の魅力を考えるときにこのことは大事なことのように思います。私もまだまだその魅力を知ることができているとは言えません。

 ただ変に技巧に凝っていないという所は素人目にも魅力的に感じます。でもその割に詩的なところがある……。文章一文一文が短いんですよね。しかも読点も少ない。でも何か詩的で深みがある……というような。感想がかなり抽象的ですが、個人的な感想としてはそこが魅力的にうつります。

 余談ですが、さきほど名前を挙げた芥川龍之介は志賀直哉の作品を高く評価していたようです。芥川と志賀というと全く違う筆の執り方という感じがしますが、だからこそでしょうか。確かに志賀の文章は端正な感じがします。ちなみに志賀直哉は長命です。電車にぶつかったりしていますが……(これは「城の崎にて」の冒頭に記されています)、長命です。当時の文学者で長命というのも珍しい気がして、そこも自分が好きな理由の一つかもしれません。これから文庫版の志賀集を少しずつ読んでいこうかな。

(今日はおわり)

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