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思いっきり、深呼吸・・・

深呼吸
思いっきり吐いて、両手を広げて胸いっぱいに吸う

吐くことがポイント!

ため息を吐く
これも深呼吸と知った

それならば、吐ききったらいっぱい吸える
吸ったら胸を張れるじゃないって思った

人をキズつけたこと、ありますか?

福祉施設の事務の募集を見つけ、応募したときの面接での質問だった

私は迷わず

『あると思います』

そう応えた。

『言葉は、時には暴力にもなると考えています。
知らず識らずのうちに、良かれと思って声を掛けたことが、声を掛けられた方にとっては、言わたくなかったかもしれない言葉だったり、それがストレスやプレッシャーになもなり得ること。
そして、1度口から発してしまった言葉は、戻らない。』

面接をしてくださった理事長と副理事長は、大きく頷いてくれた。

結果、ご縁あって、採用となった。
施設の利用者さんたちも名前と顔を覚えてくれて、お昼休みは、話をしてくれたり、時には質問もあったり。
ここでの時間は、ゆっくりと流れる。


自分が嫌だと思うことは、しちゃいけない!

幼い頃から、両親から言い聞かされてきた。
この言葉は、
子どもながらに、耐えるを知った。

そして、noteを、読んでいるとそう言われてという記事を目にした。
自分だけじゃない、と思った。


言葉を暴力と感じた時

小学4年生の時に、転校をした。
家を建てたことで、引越したけれど、そこでは、転校生というラベルと優等生というレッテルを貼られた。
クラス委員長選出も、2学期になると選挙で1番票を集めてしまう。
その後、5年生になりクラス替えをしても同じ結果となる。

私にとっては、クラス委員長は、針の上のむしろでしかなかった。 

意見を求めても、反応なし。
競争心をむき出しにしていた一部のクラスメイトからは、委員長なんだからしっかりしろと言わる。
協力してくれたことは一切ない。
司会進行をしていて姿勢を崩すようなことがあれば、ちゃんと立てと言われる。

言い訳はしたくないから、唇を噛みしめる。

理不尽を感じた。

心の中で
みんなは、座ってるよね。
私は、ずっと立ってる。
私だけなの?

私は自分が嫌だと思うことはしない。
でも、相手はお構い無し。
土足で踏込でくる。

6年生になり、先生に呼ばれた。
今度のクラス役員決めは、立候補制にしようと思う。
だけど、惠さんには立候補をしないでほしい。
私は頷いた。

役員決めの時間、立候補を募っても誰も出てこない。

しばらくすると、私に向かって

『なんでおまえ、立候補しないんだよ』

私は、黙っていた。

すると先生が、今までやってきてくれたので、長老として関わってもらうからと言ってくれた。

結局、私に対して闘争心むき出しだった子がクラス委員長になった。
そして、議事進行中に

〇〇さんが良いと思う人、手を上げてください。
〇〇さんで良いと思う人、手を上げてください。

違和感が‥
先生がすかさず指摘。
『が』と『で』の違い、どう思う?
先生が容赦なく、ひとりひとり指名して意見を求めた。
ちゃんと意見が言えた子は、私ともうひとり、副委員長をして支えてくれた子だけだった。

司会進行をしていたクラス委員長は、顔を真っ赤にして俯いていた。
それからは、何事にも私に対して批判的だった姿がなくなった。

先生は、ちゃんと見ててくれたんだ。
上を向けた、胸を張れた時だった。

ただ、私には、ここがストレスの限界だったんだと思う。

偏頭痛と閃輝暗点

6年生の秋、酷い頭痛と視界の異常で学校で倒れた。
真っ青になり、脂汗。
父が迎えにきてくれて、脳神経外科に行った。

最初に起こる症状は、視界の異常だった。窓ガラスに雫がついたような景色。そのうちキラキラとギザギザに光だし、頭痛と吐き気、そして下痢。
1日臥せってやっと回復する。

大学病院での検査で、脳波やCT
血管造影検査

検査技師さんから
『注射、痛くない?』

『大丈夫です』‥と応える。

『そうなんだ、注射痛くないんだ。学校、ズルなんだね』

学校に行きたくない、仮病?
こんなに辛いのに?
自問自答もした。
自分が嫌い?
情けない?

いや違う。

この人には、ひとの痛みは一生わからないだろうと思った。

薬の勉強をする頃になって、人間は痛みの極限を超すと吐くということを知った。
そして、視界の症状から、
閃輝暗点ということが分かった。

芥川龍之介が、『歯車』という小説でこの閃輝暗点の出る頭痛を書いていると知り読んだ。この人も苦しんだんだ‥…。
そして、ピカソの絵で、左右が互い違いになる絵がある。
この閃輝暗点の症状が出ているときに描いた絵ではとも言われている。

偏頭痛

中枢神経の血管の収縮で起こる。
血管が収縮して元に戻るときに激痛になる。
自律神経の問題とも言われ、やっぱり心身的ストレスそのものだったんだと思う。
血管が老朽化すると、痛みを感じ無くなってくるともいわれ、最近は、閃輝暗点が出ても、酷い頭痛は起きていない。
ともかく、閃輝暗点が出たら鎮痛剤。先に効いてくれば、痛みからは逃れられる。
そして、真っ暗な部屋でゆっくり休む。
偏頭痛で閃輝暗点が出るタイプと出ないタイプがあることも知った。
妊娠初期は、つわりとともに出た。
ホルモンのバランスも、関与しているのかもしれない。
そして、頭痛も深呼吸して酸素を身体に取り込むことが、痛みの軽減にもなることを知った。

母親失格

不安だから聞いたことに対しての、先生の応えだった。

息子は、産まれてまもなく黄疸が酷くて、ブルーライトを浴びることとなった。
生後4日目に、膿?と思われる発疹があり、どんどん増えていった。

伝染性膿痂疹‥とびひ
院内感染で、全身に、膿のある湿疹が出来た。
治療法は、膿を針で刺して出す。
イソジンで消毒する。
一緒に退院出来たものの、毎日産院へ通い処置してもらう。
膿を針で刺すのだから、泣き叫ぶ。

『お母さん、しっかり押さえて』

辛かった。
どうして、この子がとも思った。
乗り越えた。

そして、3年後に入院。

息子が3歳
蚊に刺されると、腫れる。
腫れ方が娘より酷い。
新生児の伝染性膿痂疹が頭をよぎる。

ブドウ球菌との相性が悪いのか、アレルギー反応なのか‥

夏、とびひになった。
皮膚科に通院し、治ったものの、
膝のとびひのあとが、妙に赤く見え、気になっていた。
プールが大好きなので、お弁当を作ってプールに行く準備をしていた。
中々起きて来なくて、部屋に迎えに行くと怠そうな様子。
目ヤニが酷い。
夫と眼科へ、お盆休みのところもあって、やってるところを探すのが大変だった。
病院に連れていくと、目じゃないかもしれないと言われて帰宅した。

首を触ると、リンパが腫れてる?
熱が上がり始めた。
皮膚がなんだか変?
刻々と進む症状。

かかりつけの小児科は、予約制。
なんとか症状を伝え、診察してもらえることになった。

病名は、
ブドウ球菌性熱傷様皮膚症候群
ブドウ球菌による、毒性の全身火傷。
肌がパリパリになって剥けてくる。
オカルト映画を見ているような‥。
肌が突っ張るのだろう。
関節を動かしたがらない。
ママっと、力なく呼ぶ。

必死だった。

この状態、入院は、必要ないんだろうか‥…。
翌朝、予約して再診。
『また、連れてきなさい』
不安になった私は、
『いつ、連れてくればいいですか?』
その途端
『あんたは、母親失格だ!
子どもをこんな病気にして
毎日連れてくるに決まってるじゃないか!』

堰を切ったように、涙が溢れた。
反論出来なかった。
私の気持ちは、先生には届いていなかった。

待合室で待つ夫にも聞こえてたらしく、車に乗ると夫も涙ぐんでた。

翌日連れて行くと、やっと市立病院を紹介してくれた。

紹介先の診察で呼ばれた時のこと
歩くのが辛くて、ママっと手を広げて涙目で待つ息子。
看護師さんに、
『そんなに痛いの?あまったれてるんじゃない!』 

息子の目から涙がこぼれる。
私は、お構いなしに息子を抱いた。

白衣の天使?
私には、堕天使としか思えなかった。

皮膚科の先生に
『どなたかのお見舞いで、病院に行かれませんでしたか?』
義父が足の指を切断しなくてはならなくて、お見舞いに行ったことを話した。
『それですね』
MRSAの説明をしてくれた。
抗生物質に耐性を持ったブドウ球菌の怖さだった。
膝の赤いキズの様子から、それが原因ととれるとのことで、感染の懸念で個室に入院することになった。
義父が元気になるようにというお見舞いが、引き金となってしまった。

息子は、2週間入院して完治出来た。

私が経験した、言葉の暴力。
思い出の中の、辛かった出来事。

振り返って思うことは、
嫌だと思うことを、少しだけど置き換えることが出来るようになった。
人間は、喜怒哀楽がある。
怒っても、泣いてもストレス。
笑ってもストレス。
ならば、笑っていたいと思う。

悩むと、頬杖ついたり頭を抱えて、どんどん下を向いていく。
下を見たらキリがない。
上を見てもキリがない。

それなら、深呼吸して胸いっぱいに、空気を吸う。
そして、背伸びすることなく、前をむきたいなって思う。
叫びたくなったら、立ち止まればいいじゃない。
深呼吸したら‥…
もっと大きな声で叫べるかも。

そして、ひとりじゃない。
周りが見えたら、嬉しいな。



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