意は水のごとく。見たとおりだが、見えぬものもある。
悪に誠意はないが 正義には悪意もある
正義に見える悪意には利己がある。
世の中に悪がはびこる中でも、正義を貫けるのは素晴らしい。今が悪がはびこる世の中だというわけではないですが。
正義は存在します。間違いなく。またどんな人にでも正義の心はあるでしょう。
ただ厄介なのが、正義の中に隠れる悪意。
敢えて悪意という言葉を用いていますが、おおそれたものをさすわけではありません。
今回取り上げたいのは利己ってこと。
利己を求めるのが悪いわけではありません。誰しも願望もあれば、自分かわいさもあります。素直な欲求ですね。
厄介なのは正義に見え隠れする悪意が、時に人を陥れることもあるところ。
正義を置く場所にもよるかと思います。
例えば…
多くの人が不満をもつ中、間違った現状を正そうとする。ここまでは立派です。ただ、その中で自分の立ち位置を守るために仲間であるはずの人間までも敵だと思うのはどうでしょう。
こんな感じの関係って結構ありますね。
主張は間違いのない正義であっても、方法論の違いや細かな違いから保身に走れば、本来仲間であろうとも敵対することも。
主張は正義であっても、行動は悪意を内包し、利己が垣間見えますね。
言いたいことは…
「正義の中にも悪意があるから気を付けて!」とか「利己に走っちゃダメだよ」ってことではありません。
自我はあるもの。利己もいいんです。
ただし、その中に悪意を持つのはどうかと。
互いの主張には差が生まれるもの。その中で表に立つ人も現れるでしょう。しかし、本来の目的とは離れた敵意は自分の正義すらも打ち砕くでしょう。
対話を考えましょう。そして本来の正義のある場所を忘れないように。ひと時の感情はあなたの全てではありません。
そして相手からも悪意がやまぬ場合…
そもそもの縁ではなかったと身を引くのも大事なことです。
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