今一番悩んでいること
文章の勉強をしてみようと思っていたところ、最近仲良くしてもらっているお友達から井上ひさし先生の『井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室』と言う本を勧めてもらって読み始めた。
26頁目まで読んだ時にその本の中で、先生が生徒さんたちに宿題を出した。
お題は『今一番悩んでいること』であった。
そこで、その先を読み進めないで文中の生徒さんと同じように私もこのnoteの中に文中の生徒さんと一緒に宿題を綴りながら少しづつ読み進めてみる事にしました。
そして、お題の『今一番悩んでいること』について悩み始めました。
今一番の悩み、悩み、悩み。。。
小さいながらも、会社経営をしている身としては毎朝常に仕事上の悩みはある。環境についての悩みとかならまだしも、家庭内の悩みのことなんてそんな面白くないことなんて書きたくない。大きすぎる悩みなどおいそれと公表できるものでも無いし、重すぎて読んだ人が落ち込むようなものも書きたくない。
そこで結構真剣に向かい合ってるけれどどうしても解決できない『庭の虫問題』について書いてみることにしました。
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家庭菜園と庭の虫
私は子供の頃から食べたものに種が入っているとついつい植えてみたくなります。
食用のものはほとんどが未熟で収穫するので発芽率は低いとわかっていてもどうしても試してみたくなってしまうのです。
それが大きくなる樹だとか、気候に合ってるとか合ってないとかなどまるで考えずにとにかく発芽するかしないのかが見たくて植えてみます。
発芽したら、したで嬉しいけれど植えるところが無くて困る。
それが判っていてもついつい植える。
そんな風にして発芽したのでプランターの隅に植えてみた小さな柚子の木があった。多分、3年前くらいに植えたけれど中々大きくならないのであまり存在を重要視していなかった木なのです。しかし、今年のコロナ禍で、暇にあかして家庭菜園を始めたところでその柚子の幼樹の存在が私の中でムクムクと大きくなっていった。
せっせと水やりしたり、なんとなく肥料を与えてみたり、陽のあたる場所を考えてプランターの場所を動かしてみたり。。。
するとどうでしょう。今まで成長をストップしていたように見えた柚子の幼樹が今年は沢山の新芽を出して青々艶々の葉を広げ出したじゃないですか。
これは嬉しい♡
そして、数日前。いつものように玄関先に座り込んで猫の額ファームと読んでいる自分のプランター菜園を眺めていたところ、私の柚子に何やら黒いものが。
見た目には鳥のフンのような色と形のソレは、そう。アゲハチョウの幼虫でした。子供の頃から動植物が好きだった私は、結構多くの虫の本などもよく読んでいたので、あの黄色い臭いツノを出す緑色のイモムシの正体も、そのイモムシが孵化したばかりの小さい頃の姿も知っていた。
私の柚子が可愛いのは山々だけれど、この綺麗な蝶々になる幼虫がどれだけの食欲があるのかもよく知っている。大きな樹だったらそのままそこにいても良いと思ったけれど私の柚子はまだ樹高30cmにも満たない。更にはミカン科の樹の葉だけで育つことも知っていた。
潰して殺すのも可哀相だし、農薬なんて以ての外。
でも私の可愛い柚子の樹を丸裸にされるのも嫌だ。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。そこで、私は悪いことを考えた。
そう〜っと潰さないように二匹の小さなアゲハの幼虫を手のひらに乗せて、近所の大きな山椒の樹に放しに行った。
空家だし、大きい樹だし大丈夫でしょう。きっと。
何よりも、虫も殺さず済んだし、我家の柚子も助かるし皆ハッピー。
と、ちょっとだけあった罪悪感をこんな言い訳で埋め隠してしまった。
次の日、これで安心して出張に行けると言うことでゴロゴロバッグを手に一週間の出張に出かけたのです。
一週間後。夜中に出張から戻り、フライトの疲れてクタクタで玄関横のプランターを除く間も無く家に入ってその日はバタンキューで寝てしまった。
そして次の日の朝。
玄関先のプランターを眺めに行ったらなんと。。。!!!
私の可愛い柚子の樹は茎と幹を残して丸裸。
悪いことはできない。
神様は私の悪行をしっかりと見ていた。
自分が良ければ、近所の山椒の樹が困ってもいいと思うような悪い子の私にはこのような形で神様は罰を与えたのでした。。。
『我田引水』
『因果応報』
今度から彼らは見つけたら自らの手でちゃんと引導を渡すか、柚子に謝るか、それとも卵を産まないような策を講じる努力をしたいと思います。
と玄関先で筋だけになった柚子に約束したのでありました。
自分が良ければいいと言うのではなく、
次は柚子にも虫にも私にも『三方吉し』の方法を見つけたいな。
と、思いました。
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と言う作文を書いてみた。
やはり前々から思っていてけれど、最後の〆が非常に難しい。
そして、『と、思いました。』をつけると俄然作文ぽくなる。
ここは、落ちとしてちゃんと成立している事件を選んだのでこうやって終了することができるけれど、常にモヤっとした問題と向き合っている森づくりなどの題材は結果が出ていないので書くとなると非常に難しい。
これは、常に私が連載している中で悩んでいることですが最後の最後がどうしてもお説教くさくなってしまうのです。お説教ではなく、読者が、なるほど!私なりにももっと考えてみよう!などと読んで前向きな文章がかけるようになりたい。
ん?んん?
もしかして?
もしかしてこれが私の『今一番の悩み』なのかもしれない。。。
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