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『眠れない夜に。』コロナで眠れない夜が増えて分かったこと。

眠れないので自分の眠れない夜遍歴について考える。

 私の1番古い「眠れない夜」の記憶は、小学校2年生の時。夕食時になんとなく流れていたドラマで、人がボコボコに殴られて、血だらけで車に押し込められるというシーンがあって、何故かそれに死の恐怖を感じた私は、「死にたくない。」と一晩中シクシク泣いた。

 それ以降も中学卒業くらいまでは、漠然とした不安や恐怖を抱えては眠れないということが、隔月に一度くらいのペースであった。

 高校にあがってからは、感情のコントロール力も向上したのか、眠れない夜の数は激減した。彼氏と喧嘩したとか、その日の親に対する態度への反省とか、言葉通り「訳ありの眠れない夜」しかなくなった。

 そしてコロナ禍で外出自粛を強いられる今、私の眠れない夜は子供がえりをしている。眠れない夜が小学生の時くらいの頻度に増えているのだ。特段理由もないのに。

 しかし、このコロナ禍の不眠をキッカケに、「眠れない夜」は、眠らない暇と体力があっただけなんだという事に気づく。

 当たり前のことなのかもしれないが、私にとってはかなりの大発見で。。。

 私にとって「眠れない夜」の苦しいポイントは、眠れないという事実以上に、「眠れなくなってしまう程心配性で、メンタルが弱い自分」を一晩中責めてしまうことだった。だけどコロナで眠れない夜が増えたことで初めて気づいた。部活にも入っておらず家で読書とピアノに没頭していた幼少期は体力が有り余っていただけで、課外活動や人付き合いが忙しかった高校時代は自然と眠れない夜が減り、今は出勤やオフィスでの気遣いで体力を使わない分、眠らない夜を過ごす余地があるだけだ。

 子供の頃から幾度と眠れない夜を過ごし、もう夜は明けないだろうと本気で思うくらい鬱々としたり、早く寝なければという自分との葛藤を必死に重ねてきたりしたが、体力があるから眠れないだけだと考えると、実に動物的で、滑稽で、すこし気が楽になる。

 だから眠れない夜はきっとそんなに深刻に受け止めなくて良いのかも。どんなに悩んでいても、眠れるだけの体力を使ったら、いつかは寝てしまうだけだから。

おやすみなさい


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