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『FlyFisher』2013年11月号掲載

フライフィッシングを人に説明するのは難しい。「釣りです」というのも野暮ったいし、ここはやはり英国紳士ばりにカッコ付けて横文字を使いたい。けれどどんな釣りかと説明するに「虫を模した毛針を使うのですマダム」というと「ああ、ハエだからフライですね」とマダムは言う。
「ハエではないのですマダム。カゲロウなど川に生息する水生昆虫を模した毛針でお魚を欺く釣りなのですマダム」と言おうものなら紅茶をすするマダムに訝しげな顔をされるに決まっている。
最近では映画『砂漠でサーモンフィッシング』で日本語字幕がフライをハエと誤訳していたりと、国内でのフライフィッシングへの理解はまだほど遠い状況だ。
しかしハエとはイメージが悪い。
なにせ悪霊の名前がベルゼバブ(ハエの王)だったりする。
ウィリアム・ゴールディングの小説『蠅の王』では戦争中にイギリスから疎開する少年たちを乗せた飛行機が南太平洋の無人島に不時着。少年たちだけのサバイバル生活が始まる。当初は秩序を重んじ、協力して生活を送るが徐々にリーダー格のジャックとラーフの二人のグループに分かれ凄惨な闘争へと向う。少年たちは島に潜む恐ろしい獣がいると思い込み、捧げものとして豚の首を槍に刺し置く。
無数のハエに覆い尽くされた豚の首。
「前面には蠅の王が棒切れの上に曝され静まりかえってにやにや笑っていた」という一文で本書に蠅の王は登場する。蠅の王は対峙する少年サイモンに語りかける。「獣を追っかけて殺せるなんておまえたちが考えたなんて馬鹿げた話さ!」
「おまえはそのことを知っていたのじゃないか?わたしはおまえたちの一部なんだよ。おまえたちのずっと奥のほうにいるんだよ?」
蠅の王が語る獣は少年たちの内側にいるのだ。無知な子どもたちが外の見えない恐怖から逃れるには、その恐怖の対象と同化するしかない。闇を恐れず闇と寄り添い、見えない獣に恐れず自らが獣となる。第二次大戦に従軍したゴールディングが描いた、人間性とはなにかを問いかける名作である。

また映画でハエが重要なキーとなるのが『未来世紀ブラジル』である。役所の職員がハエを叩き落とし、タイプライターに落ちたハエが反体制テロリストの手配名をタトルからバトルに誤入力してしまう。誤認逮捕されたバトルは拷問によって処刑されてしまうが、それを知った主人公である情報管理局のサムは反体制側の女性と出会い、徐々に管理社会から逸脱してゆく。
管理社会の徹底した権力からの暴力それ自体が恐ろしいのではない。その暴力を誰か個人が行使しているのではなく、体制という目に見えない不明瞭なものがその暴力を行使していることこそが恐ろしい。「役所が間違えるわけがない」という台詞にあるように傍から見れば完璧な社会を管理している役所が、内部ではハエ一匹のために無実の男を抹殺する。別の部署で間違いに気付いたとしても、自分たちの責任ではなかったと安堵するだけだ。
体制内部のいい加減さは劇中でアパートの壁の中に乱雑に張り巡らされた無数のダクトパイプのように、権力という壁で覆い隠されている。
主人公はタイトルである甘いラブソング『ブラジル』を口ずさみ、自由と冒険の妄想に耽りこの悪夢のような未来社会から目を逸らすしかないのだ。
英国のブラックユーモア集団「モンティ・パイソン」の一人であるテリー・ギリアムが監督した本作は、管理社会を風刺した傑作SF映画である。

 最近フライの店長と呼ばれることがあるが、傍からはハエの店長と思われてやしないかと気が気では無い。
稀にザ・フライ店長と呼ばれるがそれではハエ男ですよマダム。

フライフィッシングへの理解はまだまだ遠い。


『蠅の王 新訳版』
ウィリアム・ゴールディング/著 黒原敏行/訳
ハヤカワepi文庫 1,080円 ISBN:978-4-15-120090-8

『未来世紀ブラジル』
1985年 イギリス
監督:テリー・ギリアム
出演:ジョナサン・プライス、ロバート・デ・ニーロ、マイケル・ペイリン

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