昔は釣れたと言うけれど
『FlyFisher』2015年5月号掲載
昔は釣れたと言うけれど、
釣れた昔を僕は知らない。
釣りによく行く川の近くの食堂には、過去に釣れた魚の魚拓が貼られている。
ほとんどの魚拓は紙が茶色に変色しているものばかりだが、かたどられた黒い魚影は40センチから50センチのものイワナが並ぶ。それら魚拓はすべて20年以上昔のものばかりだ。
これら巨大な魚拓を眺めていると、僕がいるその川で釣れた魚たちだとは到底思えないのだ。なにか特別な場所で釣ってきたものだと思えて現実感がない。
「このイワナはどの辺りで釣れたのですか?」と時の経過を物語る茶色く変色した紙に写された、目だけが丸く抜けた少々ひょうきんな表情をした50センチのイワナの魚拓を僕は指差した。
食堂の主人は、それはこの食堂の前を流れる川で釣れたという。
そのイワナを釣った人は釣友と二人で川に出ていったが、一人がバケツを貸して欲しいと慌てて駆け込んできたそうだ。大物を釣り上げたのに二人ともタモを忘れたのだ。
「そんな時に大きいのが釣れるものなんだよね」と食堂の主人は笑った。
また、この周辺の川では釣れることのないニジマスの魚拓もあった。
下流で放流したものが遡上してきたのか定かではないが、釣った人がニジマスは珍しいのでと魚拓を取ったそうだ。
僕がそれぞれの魚拓について質問すると、ご主人は魚拓を取った釣り人や、会話、その時の様子なども事細かに憶えていた。
釣りの記憶が魚拓を通してその地に遺されている。
魚拓を取った釣り人たちは今もこの川に来ているのだろうか。今の30センチに満たない魚にどう思うのだろうか。
昔は釣れたと言うだろうか。
魚が釣れなくなった。魚がいなくなったと嘆くのだろうか。
「おぼえていることが多いほど、なくしたものが多いってこと」
そんな言葉が印象深い小説が『ステーション・イレブン』だ。
致死率90%という新型インフルエンザによって人類の99%が死滅し、文明が崩壊した世界。
文明崩壊前の人気俳優アーサーの人生と、崩壊後生き残った女優キルステンの物語が交互に語られていく。
文明の恩恵を受けて育った人間は激変した世界を過去と対比し悲観に暮れ希望を失うが、崩壊当時まだ幼く当時の記憶があまり無い人間や崩壊後に生まれた者にとっては、現状を素直に受け入れていく。
文明崩壊、ポストアポカリプスと呼ばれるテーマは最近ではSFなどジャンル小説だけのものではなくなってきている。
アメリカ文学界でも指折りの作家、コーマック・マッカーシーは『ザ・ロード』で地球環境が激変し文明が崩壊した世界で生きる親子の物語を描き、著名な旅行作家ポール・セローの息子、マーセル・セローの『極北』は、文明崩壊後の世界のシベリアで人間の生きる標とはなにかを描いている。
『ステーション・イレブン』の著者エミリー・セントジョン・マンデルは「現代社会について書く方法のひとつは、その不在について書く事である」と語る。
日常、当たり前のように享受している水道、電気、ガス、公共サービス、流通、などライフラインは失って初めてその存在を意識するものなのである。
そして秩序、モラル、道義を失った世界だからこそ人間自らを純粋に問うことができるのだ。
今、僕は当たり前のように川で釣りをしている。もし川で釣りができなくなった時、果たして何が残るのだろう。
現在、放射能汚染、管理者の高齢化や不在。現在の釣りの環境は厳しい。
「昔は釣れた」と僕もいつか言う時が来るのだろうか。
『ステーション・イレブン』
エミリー・セントジョン・マンデル/著 満園真木/訳
小学館文庫 950円 ISBN:978-4-09-406026-3
『ザ・ロード』
コーマック・マッカーシー/著 黒原敏行/訳
ハヤカワepi文庫 864円 ISBN:978-4-15-120060-1
『極北』
マーセル・セロー/著 村上春樹/訳
中央公論新社 2,052円 ISBN:978-4-12-004364-2
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