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欧米人と選択的夫婦別姓について議論してみた

昨日までの2週間、マルタの語学学校にてビジネス英語コースに参加していたのだが、最終日にプレゼンテーションの機会があった。テーマは自由だったので、以前のnoteで書いた「選択的夫婦別姓」について、チェコ・ドイツ・マルタから来た3人のクラスメイトとイギリス出身の先生にプレゼンしてみた。

結果としては、思ったより興味をもってもらえて、良い議論ができた。

プレゼン要約

■結婚後の苗字は、現状ほとんどの国で同姓・結合姓・別姓の選択肢から選ぶことができ、同姓しか選択肢がない国は日本とジャマイカのみ。国連からも是正勧告を受けている。
■結婚して苗字を変えてみて、以下を経験した
・苗字変更手続きのめんどくささ
・旧姓(ビジネスネーム)と新姓の2つの名前を使い分け続けるややこしさ
・両親が姓名判断でつけてくれた名前が失われる寂しさ
■世論は夫婦別姓賛成の方向で動いており、わたしは日本政府が多くの選択肢を認めることを望んでいる。

各国の状況

オーディエンスになってくれた4名の出身国すべてで、同姓・結合性・別姓の3選択肢が認められている。
・ドイツでは、現在の日本と同じように、徐々に伝統的性別分業の文化が薄れ、議論を重ねて、別姓の選択肢が認められるというルートを辿っている。 かつては夫の姓しか選べなかったが、1976年に妻の姓ならびに複合氏が認められ、さらに1993年の選択的夫婦別姓となった 。
・チェコもドイツと似ており、近年になってから結合性・別姓が認められた。
・イギリスは結婚時の苗字を規定するルールはなく、結婚に際して苗字を変える場合は改正証明書が必要になる。
・マルタは厳格なカトリック文化で、2011年までは離婚が禁じられていて(改正後に初めて離婚したのは法務大臣らしい)、中絶は今でも違法。夫婦別姓は、EU加盟に際して、ヨーロッパスタンダードに合わせるために認められたとのこと。

結合性を選んだとあるカップルの話

イギリス出身の担任の先生が自身のエピソードを語ってくれた。彼の苗字はBriscoe White。自分の旧姓のWhiteと、マルタ出身の奥さんの旧姓Briscoeの結合姓だ(響きのよい順番にしたらしい)。彼は苗字変更のスーパーめんどくさ手続きを経験しており、わたしの話に激しく同意してくれた。

彼らは約30年前の結婚当時ロンドンに住んでおり、すでに苗字の選択肢があった。結合姓を選ぶ人は多くはなかったが、奥さんが著名なコンサートピアニストであり、キャリア上Briscoeという名前を維持する必要があった。

結婚後に旧姓をそのまま使う女性と夫の苗字に変える女性とで、生涯年収に50万ドルの差が出るとの調査結果がある。もともと年収が高い人が別姓を選んでいる可能性が高いが、彼女のように自分の名前で仕事をしている人の場合、苗字変更でキャリア・評価がリセットされてしまうリスクもあるだろう。

Briscoe White夫妻のエピソードに話を戻す。その後、妻の故郷であるマルタへ移住すると問題が起きた。当時のマルタは結合姓が認められておらず、紆余曲折あって、マルタで生まれた自分の息子たちの苗字がWhiteで登録されてしまった。その後の戸籍関係の手続きのたびに、子供の苗字が両親のものと異なることでエラーが起き、めちゃくちゃ面倒だと憤っていた。

結局みんな夫の姓を選ぶ?

チェコ人のクラスメイトによると、チェコでは結合性も別姓も選択できるけど、慣習的に9割以上は苗字をそろえるし、大概選ばれるのは夫の姓だ。「だから日本と同じじゃない?」と。確かに、今後日本で法改正により別姓が選べるようになったとしても、実際に別姓を選択するカップルはしばらくのうちは少数だろう。「あんなに選択的夫婦別姓の実現を望んでたフェミニストたちはどこにいったんだ」という保守メディアの反応が目に浮かぶ。

今も、日本の法律は「夫の姓に揃えろ」とは言っていないけど、96%のカップルが夫の姓を選ぶ。わたしたち夫婦もそうだ。なぜならマイノリティな選択をすることはコストがかかるから。

もしわたしの姓を選んでいたら、わたしがやったスーパーめんどくさい手続きを夫がやることになるんだけど、役所・銀行・勤務先の窓口でいちいち「えっ旦那さん側が?」という反応が追加され、だるさが増すのは明白だ。

妻サイドでも、いくつかの場面で「結婚したけど苗字変更手続きは要らないんです」という説明を要するし、
 「結婚おめでとう!苗字何になったの?」
 「私の苗字を採ることにしたんです」
 「へえ~!理解のある旦那さんだね~!」
という会話の裏に(旦那は尻に敷かれて可哀そうだな~…)という相手の気持ちが透けて見えたりするだろう。

それでも、選択肢があるのとないのでは大違いだ。夫婦ふたりの間で議論をして決めることに意味がある。

政治の話じゃなくて、生活の話

ちょっと話がずれるが、チェコの公用語はチェコ語だけど、ほとんどの人が第二外国語をペラペラに話せる。わたしと同年代のチェコ人クラスメイトの第二外国語はドイツ語で、小学校から習うそうだ。最近、その小学校で教える言語が英語に変わった。そして彼の両親は、英語・ドイツ語の代わりにロシア語を話す。

使う名前も、使う言葉も、政治が決める。
彼らとの会話を通じて、「政治は文化であり生活そのものである」という当たり前の事実を再認識させられた。

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