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真っ直ぐに、空気を写す人。/ studio SOLPH アラタ ケンジさん【前編】

「人が好き」で写真を撮っています

カメラマンのアラタ ケンジです。

―――「アラタケンジ」って屋号なんですか?それともお名前?

そうなんです、よくぞ聞いてくれました、笑。僕、実は 鈴木 健司スズキ ケンジっていうっていう名前なんですけど、検索すると同じ名前の人が8万人ぐらいヒットする。さらに同じ名前でカメラマンっていう人もいたりして、間違って仕事の依頼が来たことも過去に何度かあったりして、苦笑。ちょうど自分のウェブサイトを立ち上げるタイミングだった頃に「自分に辿り着いてもらうために、悔しいけどいっそ名前を変えてみるか」と思って。で「New= アラタ 」健司と。最初は漢字表記にしてたんだけど、しっくり来なくてカタカナに。栃木に移住してきてから本名の方をあんまり言わずに来たら、もうみんな僕の名前を「アラタケンジさん」だと思ってる、笑。この名義で活動して10年以上になりますね。

カクイチビルでは studio SOLPHスタジオ ソルフっていうフォトスタジオを構えています。

SOLはフランス語で土、スペイン語で太陽。そこに、photograph(写真)っていう単語の最初にも最後にもある「ph」をつなぎ合わせてSOLPHという造語です。今いる場所で地に足をつけて、良い写真を追求し、心から写真を撮り、お客様に喜んでいただきたい、という思いを込めました。

カクイチビル1Fいちばん奥に
こんな素敵なスタジオがあるって知ってました?

人物を撮るのがやっぱり好きですが、写真にまつわる自分にできることだったらなんでもやります。栃木県に移り住んで来てからは、七五三とか成人式とか家族写真などの個人撮影が多いですね。一方でフリーランスカメラマンとして商業写真もやってるので、雑誌の仕事とか、東京に行ってタレントの撮影をしたりとかも定期的にやってます。

そうそう、最近は建築写真も撮るようになりました。これなんかはこっちで自宅を建ててもらった工務店さんとの仕事なんですけど。家ができるまでを実際の施主さんも含めたドキュメンタリーとして撮って1冊の本にしました。

住宅が完成するまでを1冊のフォトブックに。

自分はずっと人物写真を撮ってきたんで、いわゆる建築写真家じゃなくてポートレイトの視点で撮らせてもらってます。空っぽの建物じゃなくて、施主さんにも画面に入ってもらった写真を残したい。このときは撮影に計8回ぐらいは入らせてもらいました。施主だけじゃなくて、工務店も、設計士も、みんなにとって記念になる建築写真になったかな、と思ってます。

建物だけの建築写真より「暮らし」を感じる写真

ちなみにデザインやレイアウトも自分でやりました。自分は紙媒体出身なのでやっぱり紙が好きなんですよね。手にとって重みがあってパッと見て伝わるって素敵なことで。物として残るし、手触りがあるし、めくるっていう動作もすごく良くて。ウェブ上でクリックするのとは全然違うでしょう?家のなかの手の届くところに置いて家族でたびたび見返してもらえたらな、って思ってます。

―――人物を撮るのが好きというのは?

やっぱり「人が好き」なんでしょうね。相手の意表をつくというか、カメラを意識しないでいるときの表情とか、本人も気づいてないかもしれない「いい顔」を見せてくれた瞬間を残したいって思ってやってます。撮られ慣れてないのは皆さん当たり前で「写真苦手なんです」って方も多い。だから試行錯誤しながらコミュニケーションとっていろいろ仕掛けます。話しかけたりふざけたりして乗せながら撮ることもあるし、賑やかなのが嫌かなって感じたら黙って撮ることもある。
例えばご友人でもカップルでも2人で撮るっていうときに表情が固かったら、至近距離にいる状態で「隣の人の顔見て」って無理やり見つめ合わせたりする。そうするとはにかんだような顔になったりとかしてその顔がすごく良くて「はい!今こっち向いて!」って瞬間を撮ったりとか、ふふ。

いい顔!

一度は辞めようと思ったけど、自分にはやっぱり写真しかなかった

―――もともと写真撮るのが趣味だったんですか?

僕、英語の短大に行ってたんですけど、2年生の時に「このまま サラリーマンになるのもなんかつまんないな」って思うようになっちゃって。その当時付き合ってた彼女と出かけるたびに「写ルンです」持って出かけてたんです、時代ですね、笑。そんな時期にたまたま撮った1枚が、なんかすっごくよく撮れてて。これを仕事に
できたらいいな、なんて思って写真学校の体験入学に行ったらめちゃくちゃ面白くて、21歳で写真の学校に入りました。それまでは写真には全く興味なかったんです。
でも高校時代につるんでた友人で美大に行った人が結構多かったんで大阪芸大の授業に潜り込んだりとか、今思えばそういうのに興味がなくはなかったのかもしれない。その美大に行った友人が久しぶりに会うと首からカメラぶら下げてたりなんかして、それが妙にかっこよくてね、笑。当時はミーハーだったんで、なんかいいな、僕にもできるかな、みたいな軽い気持ちもあったかもしれない。以降はずっと写真の人生です。始めるのは遅かったけど長いですね。
学校出てからは六本木のスタジオで働き始める。ここでたくさんの撮影現場に関わることができた。場所柄タレントの撮影が多かったんですが、何よりカメラマンになって活躍したいという同じような仲間と切磋琢磨できたのが良い経験になりました。

学生の頃からずっと好きだったトータス松本さんと、スタジオマン時代のアラタさん
たまたまスタジオで撮影があったときの1枚だそう

スタジオマンを2年経験して、引き抜きというか個人のカメラマンのアシスタントをやらないかって声がかかって。それで付いたカメラマンが、徒弟制度というか、まぁ、そういう感じで。時代だったのかもしれないけどそれで半年も経たずに神戸に逃げるように帰った、笑。写真なんてやめようって勢いで飛び出してきて地元の友達に久しぶりに会って飲んだりしてたんだけど、そこには自分のやりたいことが見つけられなかった。いろんな人に会ってきっとその当時の僕なりにはいろいろ考えたんだけど、でも自分にはやっぱり写真しかないなって東京に戻ってくることになる。
それからは知り合いのカメラマンのお手伝いしながら、フリーランスカメラマンとして自分の営業活動をして、ちょっとずつ撮影の仕事が入ってくるようになっていったって感じですね。
すごい作品を見ると感動すると同時に、到底敵わないなって打ちのめされたりもします。ただいろんな経験を重ねてきたので、その経験値を生かして自分なりに写真に落とし込みながらチャレンジしています。

栃木移住のきっかけは金沢と、雑誌「TURNS」にあり

―――東京での活動から、どうして栃木県に移住を?

直接的な理由は妻の実家が栃木市だったこと。でも大きなきっかけになったのは、東京にいる頃から携わらせてもらってた雑誌「TURNSターンズ」周りで感じたこと・起きたことかな。「TURNS」でよくご一緒してた編集/ライターさんが長年金沢に住んでいた人だったんです。その人に「いつか金沢の本を作りたい」って相談されて、まだ何も決まってない状態から目ぼしい人たちをプレ取材撮影させていただき、それを叩き台にして出版社に企画を持ち込んで歩いて。書籍になったのがこれなんだけど。

「ふだんの金沢に出会う旅へ」主婦の友社刊

かなり長い期間金沢に滞在しての仕事になったから、現地に友だちもたくさんできて。結婚式の撮影したりとか、赤ちゃんできたからマタニティフォト撮ってとか、取材以外の部分で人間臭いイベントにもたくさん関わらせてもらった。そのときに出会った多くの人が、地方でも魅力的な暮らしをしながらやりたい仕事をしてる人たちだったんですよね。それで「別に東京じゃなくてもいいんじゃないかな」って。

移住の大きなきっかけになった雑誌「TURNS」

そんなタイミングで「TURNS」の栃木県タイアップ仕事をいただいて、日光珈琲 風間さんと、森の扉 野原さんの2人を取材させてもらった。さらにそれに連動したトークショーが東京の3331 Arts Chiyodaで催されて、栃木にまつわる人たちが結構いっぱい集まって。「栃木に来たらこんなことしたい/こんなことできる」とかディスカッションしたり懇親会があったりして。
自分も移住に興味があったから家族でそれに参加させてもらったんだけど、懇親会の時に既に栃木にいる人たちがすげぇ背中を押してきて、笑。その1ヶ月後にはもう栃木に住んでました。子どもが3歳になる前だったから、栃木市に住んでもう8年経るのか。

―――移り住んでからの活動はどうやって広げてったんですか?

栃木市に住めば東京も栃木もアクセス悪くないし、どっちの仕事もできたらいいなって気持ちだったものの、しばらくは栃木では仕事が全くなくて東京に通ってました、苦笑。地道な営業活動の賜物で…と言いたいところですが、実のところまだまだです、笑。とっかかりになったのはここでも「TURNS」でのつながりですかね。当時そのタイアップを担当していた栃木県庁の地域振興課にいた職員さんに良くしていただいて地元のデザイン事務所を教えてもらって営業に行ったり。それでちょっとずつ使ってもらえる機会が増えてきた。

あとはベリーマッチとちぎっていう栃木県の移住定住促進ウェブサイトの仕事がその後につながるキーになりましたね。今カクイチビルでもご一緒しているbiggotのまちこさんにもその取材で出会ってますからね。初めてお会いしたときに面白い人だなぁ!と思ったのをよく覚えてる。まちこさんが自主企画でイベントとかやってるって聞いて、初対面のくせに「僕も呼んでよ」ってお願いしたら快くOKしてくれて。それから本当にイベントに呼んでくれてどんどん横の繋がりが増えていった。「ベリーマッチとちぎ」の中でも、まちこさん繋がりで出会った人を県に紹介して取材させてもらったりとか、そこからぶわぁっと広がっていったって感じがある。

【後編】へ 続く。


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