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それは身から出た錆かもしれない あるいは、神の恩寵かもしれない。
それは身から出た錆かもしれない
あるいは、神の恩寵かもしれない
なんか、糸がプツンと切れてしまった。
すると意図が見えなくなってしまった。
もともとそんなもの無かったのかもしれないけれど。
KITEは糸が付いてるから飛べる。
なんか、ふらふらする。
頭が重い。
易占すると山地剥から天地否。剥がれて否されている。
すごいな、なんでもわかってしまうんだ。
逝くのが早すぎて、想いが追いつかない。
狼月 Wolf Moon
今、本を書いている
書いてはいるけど、傑作が書けない
とても苦しい
そんな中、ネットを見れば
知ってる人が、知ってる以上に活躍をする
知らない人が、想いもよらない作品を作る
その度、打ちのめされる
それができないだろう自分の未来を
それを選ばなかった自分の過去を
その度、消えてしまいたくなる
そして、ぼくの需要は、減って
やがて、ぼくの欲求は、消えていく
とてもやるせない
でも泣けない
「夜は開けぬまま、黄昏に In the Twilight without the Dawn Coming」
かつて45歳を過ぎて、「いまだ、夜明け前 Still Before the Dawn」という掌編を書いたことがある。
それはたしか、いつかは小説でも書いてみたくて、でも書ける勇気も無くて、自分の人生のことならなんとか書けるだろうと思い書いた作品。
自分が23歳でテレビ局に入ってから30代も、40代も、何度も何度も夜明けを待ちながら、今か今かと、未だ未だと、自分の人生にまた朝はやって来ないのかと、自
BC21「いまだ、夜明け前 Still Before the Dawn」
[水道橋博士のメルマ旬報 vol.68 2015年8月25日発行「オトナの!キャスティング日誌」より]
僕が赤坂のテレビ局に就職したのは1994年の4月でした。
大学では文学部で西洋史を専攻し、専門はフランス革命で本当は大学院に進んで研究したかったものの、「君のような成績じゃ受かんないよ」と指導教官に言われ、当時は4年生になって就職活動をはじめたものですが、特に何も考えておらず、いざ考え始める
le blanc est né 白の誕生220328
白から、いろんな色は生まれる。
でも、いろんな色から、白は生まれるのだろうか?
言葉では伝わらないことがある。
本当は、伝えたいかどうかなんか、わからない。
伝えたいことなんか、本当は、無いのかもしれない。
生きる意味を知りたくて、生きる。
でも、その軌跡には、意味など無い。
奇跡など、人生ではほとんど起こりはしないし、ならば、そんな人生は、奇蹟で、溢れているとも言える。
絵を描くとは、そん
選ばれなかった未来にいるアナタへ
選ばれなかった未来にいるアナタへ
ワタシがあの時、選ばれなかった未来の方にいるアナタ、お元気ですか?
ワタシは、というわけで、選ばれた方の未来を向かっているのですが、選ばれなかったアナタのことを時々憶い出します。
季節は秋めいてきて、こちらは夜が長くなってきました。いかがお過ごしですか?
あるいは選ばれなかったわけですから、同じ季節を過ごしてないのかな?
それともアナタはそもそも存在していないのか
When this wonderful war is ended,〈想稿〉
この素晴らしい戦争が終わる時、この世界はどうなるのだろう?
人はいつしかこの戦争を、すばらしい戦争《wonderful war》と呼ぶようになった。
この戦争はいつ始まったのかよくわからない。というかいつの間にかはじまったと言われている。
なので、戦争が無いということを、人は想像できない。
この世に無いものは、誰もが想像できないからだ。
でも、この戦争の前にも、戦争があったと言われている
現実回帰線 Tropic of Reality
「つまり、フィクションと現実の違いって何なの?」
キミがボクに聞く。
「全然違うんじゃないかな。フィクションってのは空想というか、本当じゃないってことで、現実ってのは、そもそも本当なことだから。」
「でもそれがフィクションであれ、現実であれ、辛かったら悲しむし、楽しかったら喜んでるよ、ワタシ。そこに違いはあるの?」
「でもたとえば、現実で最愛の人と別れてしまったら悲しいけど、フィクションならその別
世界中のすべてのスケべな女子と男子のための未完成な戯曲
この文章は2012年の8月15日16時41分に突如として書き始められた。
いや、でも別に突如始めたわけでは実はないのだ。もうずーっと、かれこれ高校時代くらいからだから、もう25年くらいか。なので四半世紀間ずーっと書かなきゃならないと思い続けてはいるのだ。しかし全然書かない、僕は書かないのだ。
これだけ書かないと、それはもう書けないってことなのかもしれない。僕は書けない。書けないのだ。ふだんいろいろ
悲熊
その熊は悲しさに溢れていた。
その熊に出会った人は、その悲しい熊を、悲熊と呼んだ。
そして出会った人は、悲熊に食べられた。
悲熊は人をムシャムシャ食べながら、涙を流した。
食べられながら人は、最後に瞳に映る悲熊の涙を見て、涙を流しながら死んでいった。