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お米畑でつかまえて

村上春樹が訳したJ.D.サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を今読んでいる。
それこそ野崎孝訳の『ライ麦畑でつかまえて』は、主人公のホールデンと同い年の16才の時に、多分読んでいるんだけどさ。
なんでそれを、改めて読んでいるかというと、自分でもよくわからない。
訳者が違うと、作品も違うものなのだろうか?
そんなことが気になったのかもしれないし、でも以前読んだのはだいぶ前で、そんなことを比較できるほど憶えてりゃしない。
多分、ただ無性に読んでみたくなったからなんだと思う。

そんで持って、多分、僕も今の自分の想いをホールデンのように、なんならサリンジャーみたいに、君に伝えたくなったからなんだと思う。
でも、それならそのままストレートに伝えればいいんだけど、まあ、なんていうか、それくらいのことだって、僕には多分からきしできないんだろうな、今のままじゃ。
だから、なんていうか、ちょっとでも動き出そうというか、なんか書きとめてみようかなとか、そんな生き様みたいな大袈裟なもんじゃないんだけど、ホールデンのように記してみようかと、突如まあ、思ったわけだ。
なにせ突然思っただけだから、中身なんで特にない。
でも、そんな想いだけだけでも、書き始めてみようと思ったんだよ。じゃないと、今の僕が、そのままこの世界から消えてしまいそうな気が無性にしたからさ。

でもね、恥ずかしいけど白状すると、実はタイトルが突然想いついたんだよ。そのタイトルは、『キャッチャー・イン・ザ・ライス』って言うんだ。
「駄洒落かよ!」
そう、駄洒落なんだ。
でもなんていうか、僕は生まれてこの方ライ麦畑なんか見たことない。日本にライ麦畑ってあるのかな?北海道にいけばあるんだろうけど。
でも田んぼなら見たこともあるし、小学4年の時は、田んぼに足がはまって抜け出せなくなって死にそうになったことだってある。だからイン・ザ・ライスが、この日本人生まれの僕には、ぴったりなんだと思うんだ。

で、いろいろ考えた挙句、タイトルは結局、『お米畑でつかまえて』にすることにした。
「おい、お米畑って、ライスは田んぼじゃないか、畑ってのは変だろ」って思うでしょ。
でもでも『田んぼでつかまえて』だと、あまりにあまりにダサくない?
なんか源五郎になった気分だし、ひきがえるになったような気分だ。
だからお米畑でいこうと思ったんだよ、そうつまり誤訳だよ、誤訳。
でもさ、そもそも『キャッチャー・イン・ザ・ライ』だって、それを『ライ麦畑でつかまえて』ってタイトルにしたのだって、そもそも誤訳だよね。でもものすごくいい誤訳なんだと思う。なんていうか、僕もつかまえて欲しいし、ライ麦畑の中で。
で、それをそういう誤訳が許されるのなら、お米畑っていうくらいな誤訳だって、許されてもよくないかい?
僕はそう思うんだよ。
だから、そうしてみることにする。

君が読んで、でもダサいとおもったなら僕を速攻呼んでくれ。
そしたらものすごい速さで、そんなタイトルは捨て去ってしまうし、なんならこんなくそ文章なんかすぐにdeleteしたっていい。

そう、つまりなんだかんだ言って、僕はただ君の気を引きたいだけなんだよ。

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