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#009 『もえぎ草子』(5) ~手から手へ渡る~

Radiotalk『架空の本屋ラジオ』
#009 『もえぎ草子』(5) ~手から手へ渡る~

『架空の本屋ラジオ』~~~
九回! お届けしてまいります。
いらっしゃいませ、ごきげんよう、えまこです。

ここまで、『もえぎ草子』という本の物語のご紹介をしてまいりました。
今回が『もえぎ草子』紹介編の最終回となります。

前回の最後のほうで、物語とイラストレーションとブックデザインとのこの絶妙な組み合わせ、たまらないっ! 
ていうのでテンションが爆上がりしまして。
それでそのノリのままこの最終回の収録に臨んでやろうって思ったんですけど……

このタイミングでWindowsのアップデートが強制的に入ってしまったんですよ。
このBGM『浜辺でやきそば』可愛い曲ですけど。
これパソコンでかけてるんですよね。
なので、私、曲がないと収録たぶんできないです。
無音の中でスマホに向かって一人しゃべり続けるっていうのは、到底無理だと思います。
なので、ちょっと気持ちが時間をおいて落ち着いた状態で九回の収録に臨んでおります。

ちょうどいい具合に落ち着いたタイミングですので、著者の久保田先生にお礼を申し上げたいと思います。

このラジオを実際に始める前に……
私twitterのヘビーユーザーなので、目的に応じてアカウントいっぱい持ってるんですけど。
別の雑談用アカウントで「こういうラジオをやりたくって、『もえぎ草子』を取り上げたいんだ―」っていうようなことを呟いたんです。
そうしましたら、久保田先生がその呟きを見つけてくださいまして。
「収録して配信をしましたら、じゃあお知らせに上がります」っていうようなことを、メッセージのやりとりをさせていただくっていうことができました。

私はそういうちょっと打算的な、性格の汚いとこがありまして。
タイトルを含めて呟いたらば、あわよくばまぁ見つけていただけるんじゃない? っていう目論見があったんですよね。
大変申し訳ございませんでした。
でも事前にそういうふうにやりとりをさせていただいたっていう経緯がありましたので。
この収録が終わりましたら改めてご挨拶とお知らせ等に上がろうと思っております。

主人公の萌黄(もえぎ)ちゃんが12歳っていう……このプロフィールだけを見たときに……
現代の12歳と平安時代の12歳ってもしかしたら年齢の感覚違うのかもしれないなっていう、そういう感じはしているんです。
たぶん、今よりも昔のほうが、たとえば死ぬことについてが身近だったかもしれないし、寿命が短かったかもしれないし。
そういうふうに、こう、何歳から大人とか、何歳まで子ども、っていうものも、今の感覚とはだいぶ違うんじゃないかと思います。

だから、作中で萌黄ちゃんはいきなり12歳で働きに出るわけですけど、それで早すぎるっていうことはないっていうふうに言われるんですよね。
まぁあの現代感覚では12歳って小学校六年生とかですからね。
早すぎるわってなっちゃうんですけど。
そういうふうに、こう、今や感情移入して読むとはいえ、自分は萌黄ちゃんの親世代以上くらいの年齢にあたりますので……
こう、本人のつもりで苦難に立ち向かう気持ちを共有するっていう読み方ではなく。
身近なところに頼れる大人のいない、どうも孤独の陰がチラチラするこの放っておけないお嬢さんを、柱の陰から見守っているような、そういう目線での読書にどうしてもなりました。

けなげだし、なんかこう、頑張って生きていってほしいんだけれど、なんかちょっと頼りないような感じもずーっとしていて。
周りに気の強い人はいるし、ちょっと大丈夫なんだろうか、そういう思いでずっとハラハラしながら見守っているうちに、なんかこう、見守る者の抱く一種の愛おしさのようなものを感じるようになりました。
お話を読み終わる頃には、萌黄ちゃんが最終的にはやりたいことを見つけたし、頼れる人とも出会えたし、よかった、って。
これで彼女が、まぁ命の危機はなくなっただろうという安心感は得ることができて、ほっとして本を閉じることができました。
この後も、時代が時代っていうのもあって、今の感覚でいう幸せとは違うかもしれないんですけど、大変なことはいろいろあるかもしれないなとは思うんですが。

この時代でね、最後に萌黄ちゃんが選んだようなお仕事を女性がするっていうのがどれくらい一般的だったんだろうなーとかそういうふうにはちょっと思ったり、新たな興味がわいてきたりっていうこともありました。
まぁなんといっても『枕草子から生まれた物語』っていう文章がくっついてるくらいですから。
枕草子も知っておいて読み始めることができたらもっと気づきや面白いポイントっていうのがあっただろうなっていう、それは確かに惜しいんですけれども。
逆に古典の世界にまた親しんでみようかなっていう気持ちを呼び起こすことにもなりました。はい。
本当に教科書でやったくらいでしか知らなかったのは大変惜しかったなと思って。
またちょっと読んでみたいかなと思います。

それで、最初のほうで申し上げているんですけど、私これはあの、図書館でお借りしてきた本です。
今手元にもありますけれども。
なので、図書館の本なので、ビニールコーティングがされています。
なのでこの、カラーカバーとかが書籍本体ともう一体化したような状態になっています。
なので、カバーをはがしたこの下の書籍本体のタイトルに何か印刷されているなーとかっていうのが隙間から見えるんですけど、その全貌がわからないのがちょっと口惜しい。
そういう思いがあります。

せっかくこのように題材に取り上げさせていただいて、好き勝手しゃべらせていただいてしまったので、きちんと自分の家の本としてお迎えしたいなと思っております。
カバー下も存分に眺めたいなと。

やっぱり紙の物語っていうのが、あんまりない……なくないですかね?
何を隠そう、紙フェチですけど。
いいですよねー……

紙が主役の物語、ドキュメンタリーみたいなものとか、大人向けのそういう話っていう本はいくつか心当たりがあるんですけど、紙の本、この時代の紙の本……

そうやってその、紙の文化っていうのは今に至るまでずーっと続いてきているんですよね。
この本のおそらく本来の読者層と思われる小学校中学年高学年くらいの子たちが、これを読んでどう思うのか。

オビに、本文から抜粋した文章が載っていますけど。

  文字を介して、
  顔をあわせることも、
  話をすることもない
  清少納言の気持ちのはしを
  知ることができる。
  同じだと思ったり、
  ぜんぜんちがうと思ったり、
  すばらしいと胸を打たれたり、
  ひどいことをいうと
  腹を立てたりできる。

  書きうつされて、
  多くの人の目にふれる。
  するとまた読んだ人ごとに、
  さまざまに思うのだろう。

  その紙を、父たちが
  つくりだしている――。

この抜き出しがあります。
ちょっと引用して読ませていただきました。

この、紙っていうものの、この遙か昔から担ってきた役割。
人の心を書きつけて・物語を書きつけて、それが手から手へ伝わっていく。
そしてその伝わった先々で読んだ人たちが思い思いに想像を繰り広げ、何かを感じる。
涙したり笑ったりするっていうことが起きていく。
そういうことが、平安の昔から、たぶんそれよりももっと昔から、現代までずっと脈々と続いているんですよね。
それに、やっぱり、ちょっと感じ入るものがあります。

私が好きで選んでいるこの本屋っていう仕事も……
紙に書きつけられた物語なり・人の気持ちなり・考え方なりを求める人がいて、探す私がいて、お金を出して買っていただいて、お手渡しするっていう、こういうことの繰り返しですから。
また、誠心誠意を込めてこの仕事を続けていきたいなぁっていう気持ちの中に、この物語のこういう根底につながる部分があるなぁっていうふうに、思っています。
今後もそういうふうに、私は多分死ぬまで一生本屋なので。
こういう気持ちで、求める人にしっかりと手渡していきたいなぁと思います。

この、図書館から借りてきた本は返却しましたあとに、誰かの手にまた借りられて読まれて、読んだ人が何かを思ったり感じたりするのでしょう。
そういう連鎖が起きていくっていうことに、ときめきとか感動を感じています。

すばらしいお話をどうもありがとうございました。

著者・久保田香里さん
挿絵・tonoさん
監修・赤間恵都子さん
くもん出版より出ております。
ブックデザインはアルビレオさんが手がけました。
『もえぎ草子』ご紹介してまいりました。

ご興味のある方、ぜひ読んでみてください。
平安時代を見てきたように、歩いたような気持ちになることができます。
おすすめの本です。

では、ご来店ありがとうございました。
長々とお付き合いいただきました、ありがとうございました。
また次回、お時間が合いましたらお付き合いください。
えまこでした。

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