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黒川弘務元検事長の賭け麻雀は明日あなたの身に訪れるかもしれない

この事件についてまずはじめに伝えておかないといけないのは、かけ麻雀は違法であること、そして黒川元検事帳は法律のプロであるということです。以下はこれを念頭に置いて読んで頂けたらと思います。

さて、先日訓告処分を受けた黒川弘務元検事長の賭け麻雀に関して、懲戒というのは非常に納得がいくことです。しかし同時に怖くもあるのです。明日は我が身だと思うからです。

私たちは決してきれいな世の中に住んでいるわけではない

かけ麻雀が違法賭博であることは自明の理です。しかしながら、実際には世の中には多く雀荘があり、その看板にはレートが(隠語であっても)示されています。パチンコの三点方式にして然り。法律で賭博が禁じられていても、グレーな状態が考え出され、つくりだされ、それを目当てに人が集い、行為が行われているという現実はたしかに存在します。

そう、グレーな状態。

世の中には実に多様なグレーが存在します。そして、誰しもそのグレーな状態に、あるときは救われ、あるときは目をつぶり、あるときは利用し、そしてあるときには強く批判もします。

例えば私は剣道の有段者ですが、喧嘩で棒状の武器を使うと罪が重い(実際は罰則が重いわけではなく情状面で不利ということですが)と教えられてきました。しかし、有段者と言っても様々で、継続的に鍛錬を続け段を重ねている人もいれば、何十年も前に初段をとったきり竹刀を握っていないという人もいます。それをひとまとめにして、(剣道に限らず)武道の有段者はそれだけで罪が重くなるというのは非常に曖昧な見方です。

もちろん、実力の差を問わず自分が有段者だと自覚して、喧嘩をしても棒状の武器を手にとらなければいいだけのことです。でも、相手がものすごく強そうだったら? 自分が子連れだったら? 棒状どころか、そこに銃があれば引き金を引く可能性だってあります。そんなことをしたら、グレーどころか一発アウト。と思いきや、情状を酌量され、場合によっては無罪となる可能性も否定できません。実に曖昧、つまりグレーです。

清廉潔白、公明正大。素晴らしいことです。けれど、現実の社会にはグレーが存在する。

自分も悪さをしているかもしれない

そこに一切近づかないで生きている人も多いでしょう。

君子危うきに近寄らずって言うじゃない。麻雀もパチンコも興味ないし、暴力行為なんて論外。違法性が取り沙汰されるようなことには縁がないよ、と。

むしろそう思っている人のほうが大多数かもしれません。

でも、本当にそうでしょうか。違法と言われるものに、一切接触していないと言い切れるものでしょうか。

例えば立ち小便とか。例えば駐車違反とか。

自販機に残っていたお釣りの小銭をジュースを買う足しにしてしまうとか。

いずれもそれらを禁止する法律が存在しますが、ついついやってしまったことがある、という人は決して少なくないと思うのです。これが不倫など民事で訴えられるものまで範囲を広げるとなおのことです。

そんな些細なことと、賭け麻雀は次元が違うよ、と思うかもしれませんね。それはおっしゃるとおりです。

でも、いけないとわかっていても、欲求にまけて、あるいは面倒くさがって、ついついやってしまうという心の動きは同じことです。どこまでが些細なことでどこまでが大事かも、たぶんバレないだろう、これくらいならいいだろう、みんなやってるしという言い訳も、実に曖昧な判断基準によるものです。

残念ながら、すべての人が完全に真っ白な状態で生きていられるほど世の中は整理整頓されていません。

むしろ、もしそんなふうにどんな小さなことでも完璧に白黒つけられた世の中なんて、息苦しくてやってられないかもしれませんし、そうなれば、おそらく全人類が「犯罪者」になってしまうでしょう。

誰でも、もちろん自分自身も、実にグレーなところで生きているんだ、悪さをしているんだという気持ちを持っていたいものです。

黒川元検事長の事件にしても、また昨今の様々な他の事柄にしても、起こった事実を通り越し、関わった個人への攻撃の拡大は目に余るものがあると感じています。

自分の行いを棚に上げて人のことばかりを批判するのは愚かなことです。自分は悪くないと思い込んでいるのはもっと愚かなことです。

自分は特別な存在ではないよ

お寺の掲示板で

https://diamond.jp/articles/-/186061

「あんたが悪いと指さした
 下の三本は自分を向いている」

というものがあります。

しょせん世の中はどこまでいってもグレーでしかない。そう思っていかないとそもそも生きづらくなります。

「自分も決して白ではない。グレーな部分もある。グレーな部分に救われている」という考えを持って生きることが大切。完全なる正しさなどないのです。

そうでなければ、相手の黒い部分をあげつらい、相手からも指摘され、お互い負の連鎖の応酬になってしまうばかりです。

自分が清廉潔白だといつから錯覚していますか? 世の中も自分も曖昧に濁っている。かっこよく言えば「清濁併せ呑む」というところ。

そう認識しておかなければ、いつかしっぺ返しが来ますよ。

お布施、お気持ちで護寺運営をさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。