見出し画像

「協働」を阻害するもの

こんにちは
さて、今回はよく耳にする「協働」について縷々書き留めたいと思います。

これは、私の雑多の思考を整理し、文章力と表現力を培うための鍛錬でもあります
先には組織で協働を育むためになにかアクションにつなげたいと思っていますが、現状の乱筆は何卒ご容赦ください。


協働されていない状態とはなにか

「協働」、「一致団結」、「One Team」・・
こういった否定の入り込む余地のない大きく美しい言葉は、結局曖昧なものになって何も言っていないのと同じ状態になりがち

こういう時は逆の状態を考えてみる
協働されていない状態とはなにか

  • それぞれが好き勝手に動いている

  • 他者のことは気にしていない

  • 自分の都合やわがままを押し付けあっている

では、このようになってしまうための理由を探って、それを防ぐための仕組みをつくれば「協働」に近づけるはず

協働ができないのはなぜか

わたしたちは自分の姿は見えない

「わたしは、常に好き勝手に動いていて人のことなど配慮しません!」

そんなことを本気で思っているひとはいないでしょう

みんな踏むべき手順は踏んで、自分の裁量で動ける範囲でうごいているつもり
でも、他者からみるとそのようには見えないときがある

その結果
「議論が足りない!」「俺は聞いてない!」「勝手なことしないでくれる?」
みたいなことが起きる

行列に気づかずに割り込んでしまったり、
旅先で不思議なお土産を買ってきて贈る相手を困惑させてしまったりする

あなたの持つ認識と他者からみた認識には差がある

「言った」と「伝わった」は違う
「聞いた」と「理解した」も違う

なぜ好き勝手に動いてしまうのか?

それはみな自分のことは見えていないから
言い換えれば、「みんなの中にいる自分」 が見えていないから

自分の伝える能力と理解する能力を正しく評価するのはほんとうに難しい

目標設定がずれている

当然だけれども協働する相手と本当に「協働したい」と思っていなければ協働などできない
相手が成功すれば自分もハッピー、自分が成功しても相手もハッピー
そんな状態でないと「協働」は難しい

めざす目標が同じならば、協働を目指せる。そうでないと「敵」にもなりえる。
昇進、ポジション、選ばれる企画、同僚であっても競争原理はゼロではないし
どうしても相容れない場合は悲しいかなある

アイディアや考え方が違っていてもいいけれど、目指すゴールが違っていると協働することはむずかしい

知っていることが違う

使う言葉、慣習、価値観、決まりごと。知っていることが違いすぎても「協働」はむずかしい

「アレやっといて」
で伝わるくらいになるためには、長い時間が必要

「アレ」を知っているひとが偉いというわけではない
たまたま「アレ」に触れる役割にいて、その文化にすこし長く浸っていただけ

「そんなことも知らないんじゃお話にナラナイヨー」
とバカにしてしまえば、そこでおしまい。
新しく「アレ」を理解して、よりよい「ソレ」を生み出してくれたかもしれない人との協働は生まれない

協働を得たいなら、自分たちのことを理解してもらえるよう発信しつづけないといけない
「アレ」が伝わりにくいならば伝わりやすくする工夫を惜しまないようにしよう

なにができるのか

視点を交換しあう

「自分はこう思っているよ」「自分はこう理解したよ」

先に列に並んでいたならば、「最後尾はこちらです」次の人がどこに並べばいいかすぐわかるようにしておいてあげる
そしてこれから並ぼうという人は「すでに先に並んでいたひとがいるかもしれない」と周りを少し見渡す

車の運転をするときにウィンカーやハザードを使うように
狭い通路ですれ違うときは「後ろを通ります」と言うように
重いものを受け渡すときには「受け取った!」「手を離すよ」と声を出すように
チームスポーツで声をだしあうように
Slackでなにか依頼をうけたら「確認します」とリアクションしたり
プレゼンの後にはフィードバックを求めたり
作る資料は理解しやすく、アクセスしやすいようにしたり

自分はここにいる、あなたのことは見えている、または見えていない 
ということを伝え合うのが協働への第一歩

「わかったフリをしない・フリをさせない」
ということが大切

目標を交換しあう

同じ会社にいる仲間であれば、ゴールがまったく違うということはないはず
同じ山に登頂しようとしているならば、どのルート、ペース、パーティでいくかは手段の違いにすぎない
手段で争ってパーティが壊滅してしまったり、登山口で口論しつづけてしまっていては悲しすぎる

でも実は、単独行で登頂することを目標にしてしまっていたり、実は別の山に登りたいという本心があるならばそれを打ち明けたほうがいい。

「理想のプロダクト」「理想の組織」 も一致しているようで、解像度を上げるとけっこうずれていたりする

誰かのお仕着せの表現ではなくて、自分の言葉でゴールを表現して意見交換をもっとしたほうが協働を阻害する目標の違いに気づきやすくなるかもしれない

戦略との整合維持だとか浸透っていうのがそういうこと

知っていることと知らないことを交換しあう

「知っていること」は共有し、広く公開したほうが協働はしやすくなる
「あの人はこのことには詳しそうだ」
と単純に覚えてもらいやすいし、自分の得意分野でお声がかかる機会を得やすくなる

それに何回も同じ説明することも少なくなるし、
自分の知っている情報と似て非なるようなものが新たに産み落とされてしまって
不毛な「どちらが正統か」論争を防ぐこともできる

PoCやリサーチした結果は、広く共有する
特にうまくいかなかったことや予想がはずれたことほど役にたつはず
失敗を隠して、成功したようなケースばかりをアピールされていては逆に懐疑的に見られてしまう

そして「知らないこと」は素直に質問をして共有しよう
ほとんどの人は他人がなにを知っていて、なにを知らないのかわかっていない

質問をするということは、質問をうける側にも「自分たちのこの部分はわかりにくい」という情報を提供することになるし、お互いに理解をふかめるために役にたつはず

恥だとおもわずにSay「ちょっとわからないです」

もちろん、尋ねる前に理解をするために自分でできる努力は惜しまないようにしておくこと

急がずに In Their Shoes

協働するためには、おなじ目線、おなじペースで進む必要がある
両輪というのは肩輪だけギアを変えても前には進まない

どちらかが正しく、どちらかが誤っていたとしても
どちらかが優れていて、どちらかが劣っていたとしても

ともに働くためにはペースを合わせる必要がある

ムカデ競争みたいに

誰も協働をする相手に、一方的にジャッジされたり、”改革”されたいとは思わない
別の部族と仲間になろうと言う時には、その慣わしを観察したり、模倣したりして
「大切にしているもの」を理解することが第一歩になる

例えば打ち合わせに参加して「違和感」や「課題」を感じたとしても、
すぐにそれをぶつけたりせずに、どのようにすれば共通の課題と扱えるかを考えてみる

部外者には理解できないようなしきたりにも理由があったりすることは多い

まとめ

 わたしたちは自分のことも、他人のこともあまりよく見えていない
知っていることも限られているのに、つい「あの人よりも知っている」とおもってしまう
そんな誤解を拗らせると、あのひとよりも認められるべきと協働ではなく敵をつくってしまうようになる

そんな状態になることを防ぐためになにができるのか


  • 自分にも他人にも死角があることを理解して声をかけあうこと

  • 目指したい目標を明確にして人に伝えたり、だれかの目標も理解できるように努力すること

  • 知っていることと知らないことの違いを受け入れてそれを交換しあうこと

こんなところが足掛かりのように思っています

おわり

「協働」についてはこちらの書籍がおすすめです

---

https://amzn.to/3v3YdT5

https://amzn.to/43di5zP

https://amzn.to/3PejiRz



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?