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よい「議論」をするために気をつけていること

こんにちは

さて、本日は議論について。
私たちはしょっちゅう”議論”をしています。

プロダクト開発がお互いに頼り、頼られるチームワークである以上、そして自分たちが全知全能でない限り私たちは議論を避けることはできません。

「俺に従え!」
と議論の余地を許さないパワーを振りかざせるひともいますがよほど強いカリスマ性や実績がなければ興醒めされて誰もついてはきません。

「ダイバーシティでインクルージョンでみんなで議論してONE TEAMでフェアネスに建設的な議論をしましょう」

なんて、よく耳ざわりのよい言葉が流行していますがよい議論をするというのはなかなか難しいものです

今回は、私が極力”よい議論”をするために気をつけていることを共有させていただきます。
参考になるところがあれば幸いです

よい議論をするために大切なこと

根回しと予習をサボらない

よい議論ができるかどうか8割はこれで決まります。
なにが論点なのか?どんなメンバーなのか?必要な情報がすでに共有されているのか?どんな環境で話すのか?時間はどの程度あるか。
もし時間が押したらどうするか。

これを事前に考えます。議論する準備が整っていなければ、事前にそれを終えておきます。

「なんとなく集まっても即興で平場の議論ができる」
というのはすでに信頼関係があり、問題意識や価値観が共有されていて、情報格差がない場合です。

共有や指示ではなく「議論」をしたいならば、これが参加する他の方へ示す敬意にもなります。

恥をかかせない

根回しなく議論をふっかけてしまったり、公衆の面前で即答できないような鋭利な問いかけを投げてしまったりすると「恥をかかされた」と思われてしまう場合があります。

それどころか「論破」なんてしてしまったら最悪です。

こうなるともう良い議論はできません。信頼関係が構築されていなければその時点で心の扉は閉ざされてしまいます。
議論は異なる意見や主張を認めるところから始まります。
ですがその心の準備が整っていない人とは「議論」はできません。

議論のやり方を一方的にきめない

議題の重要性は共有できていても、議論の進め方にも参加者が納得感がないと良い議論はできないものです。
議論をしたいと思う人の多くは、問題意識が高く、行動力、そしてアイディアがあります。
これが暴走してしまうと、参加者を置き去りにした自分勝手な”議論”をしようとしてしまいます。

議論を生み出す種火となることは大切ですが、その起こした火を絶やさないように、焼き尽くさないようにコントロールする仲間が必要です。

論戦を始める前にも一定のルールの合意は必要になります

しゃべりすぎない

「議論」をしたいならば、しゃべりすぎてはいけません。
参加した人が満遍なく公平に発言を許される機会がないならばよい議論とはいえません。

熱量が高く、議題に想いの強い人ほど「演説」を始めてしまいがちです。
議論だと思って参加してきたのに、演説を聞かされてはたまりませんよね。

私も自分はしゃべりすぎてしまうタイプだと自覚しているので、チラチラと時間と参加者の顔を気にしながら

「XXXさんはどうですか?」

と話をふることを意識しています。
参加者の意見、とくに自分と異なる意見を引き出せなければ議論をする意味はありません。

多くしすぎない

議論のテーマ、そして参加者が多すぎると議論はより難しくなります。
全員が公平に意見表明し、差異を認め、議論を深め合意する。
というためには十分な時間が必要です。

何を話すのか?誰と話すのか?
これは極力最小限にしようと努めています

ボールを増やさない・打ち返さない

議論の応酬、レスバトル。激論。というような言葉もあります
白熱してくるとまるでテニスのラリーの応酬のような展開を見せる時があります。

打ち合っているボールが1つだけならまだいいですが、たまに議論の最中に新しくボールが追加されてしまうような様相をみせるときがあります。

「いまなんの話をしているんだっけ」

となるのは、こういう時です。

コミュニケーションは打ち合いのラリーというよりもキャッチボールです。
投げられたらまずキャッチして、投げ返す前には相手が受け取れるようアイコンタクトをしてフォームを見せてから投げる必要があります

複数人での議論では特にこれが大切になります。
「誰にむけて投げるよ」「受け取ったよ」
ということを参加者が同じペースで理解していなければ進行が滞ってしまします。言い換えれば、そのスピード感やテンポについていけない状態であるならば
議論に参加する準備が整っていないのかもしれません

型にはめない

議論する前に準備は大切ですが、準備をしすぎてもいけません。
議論に使われるフレームワークもさまざまありますがそれらはガイドラインになると同時に思考の拡がりを制限してしまうものでもあります。

  • Detailまで作りきったイメージ

  • 規定の軸で分類されたテーブル

  • 誰かが縦横の基準を決めたマトリックス

  • 階層構造の箇条書き

基本的に議論はその枠内に制限されます。これらが正しいという保証はありません。
「こうしたい」という自分の固定観念をもとに具体的な準備がされているほど議論の幅を狭め誘導するような働きをしてしまいます。

全員が最も公平にインタラクティブに議論をして、気づきを得て、思考の幅を拡げるような議論をするためには、参加者だれもが同時に加筆、修正ができて議論の流れに合わせて柔軟に姿を変えるツールが望ましいです。

ホワイトボードやフリップチャートで板書するようなイメージです。

そのためには、触れるのを躊躇されるような美麗なデザインや作り込まれた細かい文字、描画範囲が固定的なパワーポイント、同時更新のできないコンフルエンス等は闊達な議論には向かないように思います

例えば、私は「柔らかい」議論をしたい時はmiroを使いますし、初期段階で要求を把握するためにWireを描くときには極力Wireっぽいラフなスケッチを描けるツールを使います

FigmaでHi-Fiなもの本物に近いイメージを描くこともできますが、こうすると見る人の思考がDetailによりすぎてしまい、枝葉末節な部分に意見が集中してしまいやすいです。

また、そのようなDetailは幹が決まった段階で専門家であるUI Designerによって設計されるものであるので、その人たちの創造性を発揮する余地を残すために落書きのような絵を描いています。

記録用のツールと、議論用のツールは明らかに用途が異なります。
闊達な議論をしたいのであれば、自由な発想のスピードと拡がりを妨げず、余白を意識できるものを選ぶことをお勧めします

おわりに

議論は、適切に準備されデザインされた場、メンバーで信頼関係があって初めてうまくいくものです。
また議論をしたいというならば、自分の考えを批判され変えることにポジティブでなければそれこそ「為にする議論」になってしまいます。

議論といいつつ、実は提案や指示をしようとしていないか注意をしましょう

おしまい

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