サウジアラビアというサッカー界の転校生
クリスティアーノ・ロナウドのサウジアラビアリーグ移籍は衝撃的だった。
メッシよりクリロナ。マンチェスターは赤。そのような考えを抱いていた私にとって、クリスティアーノ・ロナウドがマンチェスター・ユナイテッドに帰還した21ー22シーズンは非常に心踊るものがあり、彼がこのクラブで引退までするのではないかとすら考えていた。
しかし現実は予想だにしない方向へと向かった。そのシーズンでチャンピオンズリーグ出場権を逃したユナイテッドは新監督としてテン・ハーグ監督と契約。しかし彼の下でクリスティアーノ・ロナウドは序列を落としていき、結果的に前代未聞の途中退席、そして「テン・ハーグは自身をリスペクトしていない」という衝撃的なインタビューまで敢行した。
規律を重んじるテン・ハーグ監督がこれに黙っているはずがない。ユナイテッド上層部も、いくらクラブの伝説的選手でもこのような行為を見過ごすことはできなかったのだろう。カタールワールドカップ期間中にも関わらず、クラブと選手は双方合意の契約解除に至った。
そして大会終了後、クリスティアーノ・ロナウドはサウジアラビアリーグのアル・ナスルとの契約を発表したのだ。
世界最高の選手である一人がヨーロッパを離れる。この事実はサッカー界の一時代が終わり、新たな選手たちによる時代がヨーロッパで始まることの暗示かのように思えた。
しかしここまで今夏の移籍市場を見ているとどうだろうか。私にはむしろ、新しい時代が始まるのはヨーロッパではなくて、サウジアラビアのような気さえしてくる。
サウジアラビアリーグの話題は、クリスティアーノ・ロナウドによる一過性のものかのように思えた。しかし今夏の移籍市場で目にするのはサウジアラビアリーグのクラブばかり。
既にチェルシーのGKであるメンディーやMFのカンテがサウジアラビアリーグへの移籍を決めていて、バロンドーラーであるFWのベンゼマでさえも、カンテの同僚としてサウジアラビアリーグへの参戦が決定している。
その他にもクリバリやルベン・ネべスといった名実ともに欧州サッカー界の注目株とされる選手たちも次々とサウジアラビア行きを決定しており、遂には元リヴァプールのスティーブン・ジェラードが監督として、サウジアラビアリーグで指揮を執ることにもなった。
これはもはや一過性のブームではないように思える。それはかつての中国がしてきた、選手たちの爆買いとは訳が違い、国家戦略に基づいた明らかなサッカーブランディングだ。
実際、サウジアラビアはサッカーを通して国自体が変わってきている。
あまり話題にはなっていないが2020年、サウジアラビアは女子サッカーリーグの創設を発表した。これまで女性の権利が弱かったサウジアラビアにおいて、このような取り組みは明らかに男女平等への前進となるだろう。
「金」。日本はおろか、欧州サッカー界でもまともに太刀打ちできないほどの金が、彼らのような選手たちを集めたことも一つの事実であり、そのような実状をあまり好ましく思わないサッカーファンもいるだろう。
しかし選手たちのなかには母国に住む家族を養うことや、自身の今後のキャリアを考えた上で、大金が稼げるサウジアラビアリーグへの移籍を決めた者も少なくはないはずだ。
私はサッカーというスポーツが今後も発展するためには、その拠点が増えることは重要だと考える。
もちろんかつてのようなサッカー界を望むものも少なくはないかもしれない。しかしコロナ禍における各クラブの経営難や、欧州スーパーリーグ構想、インフルエンサーたちによる試合イベントのようなものを見ていると、サッカー界は既に従来のスタイルのままでは存続が危うい状態にあるのかもしれないと、一人のサッカーファンとして危機感を覚えるのだ。
世界中で観られている、プレーされているサッカーだからこそできるグローバル化があるはずだ。そしてそこに一つでも多くの国を取り込み、サッカーをビジネス面や教育、文化的にもより成熟した存在に押し上げることで生まれるより多くのサイクルが、サッカー界をもう一つ高いレベルに連れていってくれるのではないだろうか。
かつてのJリーグにはジーコが、ストイコビッチが、そしてベンゲルがいた。そしてそれを観て、日本では多くのサッカーファンが生まれ、サッカー文化が生まれ、サッカー界が潤った。私だって、イニエスタを観に行った。イニエスタが日本でプレーしているという事実が、それまで海外サッカーばかりだった私に、どれほどJリーグへの興味を仰いだだろうか。
いま、それと似たようなことがサウジアラビアでは起きている。条件はもちろん違う。だがサウジアラビアの子どもたちが、クリスティアーノ・ロナウドのプレーを生で観戦することは、彼らのような若い魂にどれほどの影響を与えるのだろうか。
もちろん国の介入したスポーツビジネスには問題もある。これからサウジアラビアリーグがさらにサッカー界と関わっていくなかで、議論の対象となる問題はあるだろう。
しかしそこにも必ずサッカーを愛する人、サッカー界を盛り上げようと尽力する人、それを心待ちにしているサポーターたちがいるはずだ。そんな彼らと協力的な議論を交わし、サッカー界が盛り上がることを私は歓迎したい。
浅野凜太郎