メッシは誰よりもサッカーが好きなのか
「サッカーが好きだ」。そんな言葉をよく選手たちから耳にする。
「好き」という気持ちは何事においても「継続する」ためのエネルギーになるはずで、仕事、恋愛、友情、趣味、スポーツなどが続いている人の原動力には必ずどこかに「好き」がある。
ではもし、その「好き」に大きさがあるならば、それもまた僕たちに何らかの影響を及ぼすのだろうか。
先週開催された『#noteサッカー勉強会』では、いまを代表するサッカー実況者の倉敷保雄さんと解説者小澤一郎さん、粕谷秀樹さん、細江克弥さんの4人からお話を聞くことができた。
このイベントではイングランド・スペイン・イタリアを中心に、4人のサッカートークを楽しむというものだったが、そこで感じたのは4人の「サッカーが好き」という気持ちの大きさだ。
もちろんこの4人は日本のサッカーメディア界を代表する存在で、「サッカーが好き」だということは周知の事実ではあったのだが、改めてお話を聞いていると、その知識量や熱が一般人とはわけが違う。
ただ「好き」でなのではなく、それを仕事にしている人はこんなにも常日頃からサッカーのことを考えているのかと、自分への自信が喪失するほどだった。彼らのこの知識や熱は、「好き」だからこそなのか、それとも「好き」があるうえでの「仕事」だからこそ得られたものなのか。そこがどうしても気になった。
「好きこそものの上手なれ」という言葉がある。この言葉を素直に受け取り、多少の過大解釈をすれば、「メッシは誰よりもサッカーが好き」ということになる。おそらくクリスティアーノ・ロナウドも同じくらいには好きだろうが。
もちろん、「メッシが誰よりもサッカーが好き」という言葉は半分ジョークではある。しかしなぜだろうか、どこか本当にその通りなのではないかという気もしてしまうのだ。
ライターやメディア関係者と、選手を一括りにすることは正しくなにのかもしれないが、やはりその業界における「トップ」は誰よりも「好き」の気持ちをもっている人たちなのかもしれない。
しかしだからといって、「トップ」に行くために「好き」になるというプロセスはどこか疑問符がつく。それでは順序が逆である。
そんなデタラメな方法論を考えてしまうほどに、自分の「好き」という気持ちを疑う夜であり、とても良い刺激になった。
メッシにみたいになるため。利き足を左足に矯正する子どもがむかしいた。そのようなプロセスの逆転がこの世にはあることも事実。
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