見出し画像

日本代表は2026年のために、あらゆる我慢を強いられることになるかもしれない

 昨夜、日本代表はアジアカップでイラン代表に負けた。優勝を期待されていただけに、とてもつらく、そしてピッチ外のごたごたがあっただけに、とてもやり切れない大会となった。

 後にも先にも思うのは、今大会を未来投資的な位置づけで臨んだにもかかわらず、最終的には目先の勝利や優勝に対する想いが比重としてとても重くなってしまったことだ。

 2026のワールドカップ優勝を最大目標に臨んだ今大会。いわば、今大会はワールドカップ優勝への投資的な要素も含んでいた。そして、そのうえで日本代表が優勝することは関係者のみならずサポーターにとっての至上命題であった。

 しかしいざ大会が始まれば、自分たちはまず目の前の一戦に全力を尽くさなければいけなかったということを痛感する。

 デザインされたセットプレーの構築、センターフォワードと中盤の層の薄さ、明確なビジョンと目指す形の見えない戦術。それらの拙さは、ある種の甘さとして、結果に表れた。

 試合終了後、イランの選手たちの喜びぶりに驚いた。彼らがこの試合にかける想いを象徴している情景だった。日本はすこし、先を見すぎていたのかもしれない。

 いま、週刊新潮との一件で、サッカー界が揺れている。なにも確定されたことなど存在しないということを、改めて認識させてくれる時代だ。

 今後、2026のワールドカップで、もしも日本代表が決勝に進もうとも。その直前で、何年か前のスキャンダルを報じられることもあるかもしれない。

 その報道が真か偽かはさておき、報道による余波が選手たちならびにスタッフたちに影響することは間違いないだろう。

 2026という先を見据えるためには。いまの自分たちを見つめ、未来にとって不都合のないような行いを徹底しなければいけない時代に入っているのかもしれない。

 今大会は、あらゆる面において、ターニングポイントとなりそうだ。

 

 


この記事が参加している募集

サッカーを語ろう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?