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「移植医療」を考える。



1:はじめに

こんにちわ、かくです。

今回は「移植医療」について書いてみます。
医療ネタで、とてもデリケートな問題。しかも、難題です。
ただ、今年は一時的にせよ「移植医療」について報道されたり、議論されたりといったことが多かった印象がありますね。

そして、毎年10月は

移植医療推進月間

なのです。
そして、一応一介の医師でもあるので、少しでも「移植医療」に関心を持ち続けて頂くためにも、記事にすることにしました。

僕は移植医療を専門にやっている訳ではないですが、大学病院勤務時に尊敬する恩師とほんの少しだけですが、肺移植を必要とする患者さんのお手伝いをしていたこともあります。

今回は、その先生にも助言頂き、記事にしました。

大まかには

1:移植医療について(ごく簡単に)
2:移植医療の現状と問題点
3:移植医療のその先

といった内容でいこうかと思います。


2:移植医療について

移植医療については、一般的にも以前よりは随分と知られてきていると思います。広い意味では様々な種類の移植がありますが、ここではわかりやすく「内臓の移植」について記載します。

上記にリンクを共有しますが、押さえておいて頂きたいのは

・ドナー:
 臓器を提供する側
・レシピエント:
 臓器を受け取る側
・脳死下移植:
 脳死と判断されたドナーから摘出した臓器をレシピエントへ移植する
・生体下移植:
 生きているドナーから摘出した臓器をレシピエントへ移植する
・死体下移植:
 亡くなった(脳死以外)ドナーから摘出し臓器をレシピエントへ移植する

という点です。

そして、「脳死がどういった状態であるか」ですが、これも日本では一般的には知られていないのが現状だと思います。
よく「植物状態」と混同されがちがもしれません

実際には「脳死か否か」を判定する基準(脳死判定基準)ももちろん定められています。
ただ、そこまで記載すると非常に専門的な内容になってしまいますので割愛します。
上記の「用語解説」内でも記述があるように、

欧米などの諸外国では「脳死は人の死」とされています。

ただし、現在日本国内で移植医療を考える際

「脳死を人の死と認めるか否か」

が必ず付きまとう問題点です。この点については、本当に様々な考え方があると思いますし、どの考え方・解釈も間違いではないと個人的には考えます。 また日本では、別項目で取り上げる「改正臓器移植法」に基づき、

「臓器提供を行う場合、脳死を人の死とする」

ことになっています。いずれにしても、日本では脳死は人の死であると一律には見なしていません。また、米国でも「脳死を人の死とするか否か」は現在でも議論はあるようです。


次に移植される臓器ですが、臓器提供意思表示カード(通称:ドナーカード)や、運転免許証を所持されている方は免許証の裏面をご覧になってください。

心臓

肝臓
腎臓
膵臓
小腸
眼球(角膜)

といった臓器が挙げられます。

これらの臓器を更に分類すると、生体移植が行える臓器、脳死下移植しか行えない臓器があります。

生体移植を行える臓器:
肺、肝臓、腎臓、膵臓

脳死下移植しか行えない臓器
:心臓

これは、お分かりになるかもしれませんが、簡単に言えば体内に一対ずつある臓器・自己再生能力がある臓器(肝臓)は生体移植が可能です(膵臓は例外ですが)。
ただ、
やはり困難な移植は脳死下移植しか行えない「心移植」です。

また死体臓器移植(心停止後移植)は、心臓が止まった後に移植する臓器をドナーから摘出するので、臓器機能が急速に低下するため、腎臓や膵臓、眼球(角膜)といった臓器に限られます。

詳しくは

にある図表を参考にして頂ければ、よりわかり易くなると思います。

このように、当然の事ながら、
ドナーの方々からの臓器提供ががあってこそ成り立つのが移植医療なので、

ドナー側の評価
=臓器提供の意思の有無ももちろんですが、脳死下移植の場合は、特に脳死判定が最も慎重に行われなければなりません。そして、移植する臓器の評価なども行われます。

そして、臓器提供が行われるのです。

また、他者の臓器を体内へ移植することも大変なことです。それは、人体には
「異物を排除する力」=「免疫反応」
があるため、それを無視してしまうと上手くいかない訳です(これを拒絶反応と言います)。移植後は拒絶反応への対応も必須となります(別項でとりあげます)。

このため、様々な項目の検査、つまり
「ドナー側の臓器とレシピエント側の体との相性判断」=「適合検査」
が必要になります。
また、レシピエント側の病状などを勘案した適応基準も各臓器、疾患などによって決められています。


要は、

1:ドナーが存在すること
2:適応条件を満たしたレシピエントであること
(脳死判定などももちろん含みます)
3:ドナー側、レシピエント側の適合検査をクリアすること
4: 移植可能な医療施設へベストなタイミング(昼夜問わず)で可及的速やかに移植臓器を届け、可及的速やかに移植手術を行う

のすべてを満たすことが必要となるのです。

そして、その上で
移植医療の大前提として(もちろんすべての医療においてですが)、

「公正かつ公平性を担保すること」

も必要です。

以上のように非常に高いハードルをクリアして臓器移植は行われます。

本当にざっと説明しましたが、どうですか??
(これだけ書いてもざっとの説明です)

次に「移植の現状(特に心移植中心)」について書いていきますが、簡単に「臓器移植」といっても、とても大変な治療であることがお分かりになるかと思います。そして、

「臓器移植」が終われば治療終了ということではないのです。

そこからは拒絶反応を抑えるための免疫抑制剤投与が不可欠になりますし、それ以外にも乗り越えていかないといけない難題がたくさんあるのです。


3: 移植医療の現状

さあ、前述しましたように相当なハードルを乗り越えて臓器移植は行われています。

まず、現状を知る前に押さえておきたいことがあります。

1: 移植の歴史(和田心移植含めて)
2: 臓器移植法・改正臓器移植法
3: イスタンブール宣言

この3点の影響です。

まず、移植の歴史です。
これ、意外と歴史は深く

1950~60年代が「世界的な臓器移植黎明期」

になります。腎移植や肝移植、肺移植が米国などで行われ、1967年に南アフリカで世界初の心移植(この時は心停止後移植)が行われました。
振り返ると、約50年くらいの歴史があるんですね。
人間は凄いことを考えるものです。
そして、日本でも移植は同時期に黎明期を迎えます。
ただ、ここでその後の日本の移植医療に大きな影響を残すことが起こります。

それが、1968年の

和田心移植

です。

 こちらに関しては、正直ここで詳細を説明するのは避けます。日本での移植医療を考える上では避けて通れない事象なのですが、ただの一臨床医、しかも当時の状況を知り得ない僕が語るには本当に難しい、そのうえ影響も計り知れない事象なのです。
 ただ、歴史的にみると、やはり日本の移植医療に深い影響を与えたと思います。

その後1968年から約30年が経過した

1997年に「臓器移植法」が、更に2010年に「改正臓器移植法」が施行されました。

これにより、2010年以降、15歳未満のドナーからの臓器提供を含む脳死下移植が可能となりました。

また、時は前後しますが、「臓器移植法」の改正に影響を及ぼしたのが、

イスタンブール宣言

です。

これは、「臓器移植法」改正前の2008年に、イスタンブールで行われた、国際移植学会が中心となった国際会議で採択・宣言されたものです。

要点は

1: 臓器売買、移植ツーリズムの禁止
2: 自国内での臓器移植の推進
3: 生体ドナーの保護

を提言した宣言です。

このような法整備、宣言に基づいて移植医療は行われています。

では、実際どの程度の臓器移植が行われているのでしょうか?
欧米諸国との比較も含めながら、以下のリンクを共有して頂ければと思います。

まとめてみると

1: 2010年の臓器移植法改正以降、移植数は確実に増えてきている。
2:海外諸国と比較すると、臓器提供者数は非常に少ないと言わざるを得ない。
3: 日米間で比較すると、人口比の割に移植施行数、提供者数ともに大きな違いがある。

といった傾向がみえてきます。

更に深掘りしてみると、

移植臓器提供者数(ドナー数)が圧倒的に少ない

というのが現実です。

先ほどもリンクを貼ったページですが、このページ内に「外国の移植事情はどうなっていますか?」というQ&Aがありますが、このデータを見て頂ければ一目瞭然です。

ただ、矛盾しているかもしれませんが、少しずつでも確実に前進してきていることは伺い知ることができるかと思います。

しかし、次で取り上げますが、特に「心移植」に関しては、国内のみでは事足りていないことは明白な事実と言わざるを得ません。

ですから、海外渡航での臓器移植を受け入れることを容認している米国に頼らざるを得ないのが実情です。
(イスタンブール宣言を受けて、海外からの渡航臓器移植を受け付けないという判断を下した国々ももちろん存在します)


4: 臓器移植の問題点(心移植中心に)

ここまで読み進めて頂いた方々には、問題点が少しずつでも見えてきているかもしれません。

列挙してみると

①:圧倒的なドナー不足
②: 海外渡航による臓器移植に伴う高額な費用
③: イスタンブール宣言の影響
④: 移植を行う医療環境

などです。

①ドナー数の問題
 これには様々なことが影響していると言われています。
 まず脳死下移植に関しては

「脳死を人の死と捉えるか否か」

という論点が挙げられます。この論点については、本当に人それぞれだと思います。また、社会背景や宗教の影響などもあると思います。
 ある程度は個人個人考えてはいても、実際にその場に遭遇したとしたら考えが変わるということもあり得ます。

 また、「脳死判定の厳しさ」に関する意見もあります。これもまた難しい点です。だって「人の死」について客観的に判断するわけですから。無理もありません。

 こうしてみると、一見解決策はないようにも思います。お金でどうにかなるものでもありません。個人個人の解釈を変えるのも無理があります。法整備やガイドラインといったものの改正だけで済む話でもありません。

ただ、

個人個人が
「脳死について・脳死が人の死かどうかを考えること」

は現時点で可能です。いつでもできます。
脳死は決して他人事ではありません。残念なことですが、交通事故などでも脳死状態に陥ってしまうことはあり得ます。
「臓器移植ネットワーク」のHPを参考にすると
日本で事故や病気で亡くなる方は毎年およそ110万人で、その1%弱の方が脳死になって亡くなると推定されています(⇒単純計算で、脳死になって亡くなる方々は年間およそ1万人)。

「いつ何時、誰に死が訪れるか分からない」のと同じように、「いつ何時、誰に脳死が訪れるかも分からない」のです。

何かをキッカケにご家族内で話をしてみるのも大事なことだと思います。
そして、

自分なりの答えを持っておく。そして、可能ならば現時点での考えを表明し、家族や大切な方々とそれを共有する。可能ならばドナーカードや運転免許証に記載しておく。
お子様が小さいのなら、両親同士で相談しておく。例え、それが本当にお子様の死に直面した時に揺らいでも、変わっても構わないと思います。

 もちろん、現時点での意思表明を覆すことは、いつでも可能です。あくまでも「現時点での考え」でいいんです。

また、こういった地道なことを重ねて、大げさですが、

「移植について考える文化」を育む
「人の死について考える文化」を育む

ことが大事なのかなと思います。


 そして、僕は

これらの議論・話し合いは「臓器移植を推進するためだけに行われるべきもの」とは思いません。「人の死」というものは必ず訪れるもの。このことに関して、大切な人達と真剣に話し合うということだけでも大切なこと

だと思います。

また、これは個人的な考えですが、学校教育の中に、「脳死とは?」「人の死とは?」ということを考えることを普及させていくのも大事になると思います。実際にそういう取り組みも行われているようです。「改正臓器移植法」により15歳未満の脳死ドナーからの臓器移植が認められました。このことは、ある程度物心ついた子供達には「脳死とは何か」「脳死は人の死か?」「臓器移植とは?」という問題を投げかけて、一緒に考えてみるということも必要になるのかなと思います。
「どのくらいの世代から教育を始めていくか?」という問題は残りますが、個人的には小学校高学年・中学生くらいからは「保健体育」や「道徳・倫理」という授業時間に話し合う時間を設けてもいいと思います。
 なお、高校生の授業では、こういった問題は取り扱われてはじめているようですね。

少なくとも、日本では「死について語ること」がタブー視されているのかな?とも思いますが、皆さんはどう思われますか?
僕個人は、「死は誰にでも平等に訪れるものであり、避けようのない事実」であるということは個人個人が再度認識すべき問題だと思います。

このようなムービーをご覧になって、移植について考えてみるのもいいかもしれませんね。

②: 海外渡航による臓器移植に伴う高額な費用

次はこの問題です。
「デポジット金」の問題といっても過言ではないでしょう。

デポジット金は、本当によく「移植の順番割込み金」と勘違いされますが、そうだとは言い切れないと思います(ただし、他国の諸事情をすべて把握するのは困難です)

デポジット金=「保証金」

であり、まあ「預り金」というものです。

では、この「デポジット金」が2~3億円と非常に高額になってしまう理由はなんなのでしょうか?

それは、一重に

日本と米国(海外)の医療保険制度の違い

によるものは大きいと思います。

日本では、「国民皆保険制度」や「高額医療負担制度」などが整備されていますので、高額な治療を行ったとしても患者さん側の負担は軽減されます。
ただし、米国では国民皆保険制度は導入されれおらず、基本自費診療となります(保険は任意加入)。移植医療を全額自費で支払う・・・。これは決定的な金銭的負担になります。医療保険制度の壁は崩せません。要は「米国の医療は経済力がものをいう」世界なのです。

もし、デポジット金に「割込み金」という側面があるにしても、基本的に移植の優先順位は「病状の重症度」で決められます。これは当たり前ですよね。重症な患者さんほど優先して対応する。これは、皆さんご理解頂けるかと思います。それは万国共通です。

で、基本日本から海外渡航して臓器移植を行う場合は、日本での移植待機時間が長くなってしまう傾向にあるので、より重篤な状態で移植へ望むことになります。ですから、割込み金云々抜きにして、優先順位上位にランクされるのです。

ここからは完全に僕個人の見解ですが、米国側医師・米国民の視点で考えてみてください。まずは自国の患者さんを優先して救うという気持ちは万国共通だと思います。
そこに金にものを言わせて、移植優先順位に割り込んでくる他国の患者さんがいる。そうなると、米国側医師・米国民はどのように感じるでしょう?皆さんも想像してみてください。
強硬に対抗する場合は、国として海外からの移植希望患者を受け入れないという判断をすることにも繋がりかねないと思います。国家は自国民を守る必要があるからです。
ただし、デポジット金の設定根拠は分からないというのが真相だとも思います。

★追記:10/5に「デポジット金」に関する新たなnoteを投稿しました。

また、米国の移植事情でも、心移植を受けた患者さんの9割以上がすぐにでも移植を受けるべき患者さんだったという報告もあります。いわゆる「5%ルール」というものも存在していますが、焼け石に水のような気がします。

そして、ここでも重要視されるの
③:イスタンブール宣言の影響 です。

「また、イスタンブール宣言かよ・・・」と思う方も多いと思います(-_-;)

上述のおさらいになりますが、
「自国内での移植推進」
ということが宣言されています。

この宣言、今の日本にとっては非常に不利に働く宣言ともとれますが、次のデータを見て頂くと、違う見解もでてくるかもしれません。

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この図表ですが、医学統計の世界ではよく使用される「カプラン・マイヤー曲線」というものです(日本移植学会HPより転載)。

「心移植治療を行った患者さんの経過をみているもので、移植後に亡くなる患者さんがでる毎に曲線は右肩下がりになります。逆に、移植治療後から平行線に近いラインを描くということは移植後に亡くなる患者さんが少ない」といえる

ことを示した曲線です。

さあ、見てお分かりになるでしょうが、日本の心移植後の経過は国際的に見ても、非常にいい経過を辿っているのです。(ただし、対象となる患者さんの数に差があることはもちろん考慮しないといけません)

要因は様々だと思います。

1:もともと日本人の手先が器用であり、繊細な手術に適している。
2:国民皆保険なので、術後しっかりと経過をみることができる。
(自費診療では入院期間が長くなればなるほどお金もかかりますし、継続して通院することが難しくなるケースもあるかもしれません)
3:心移植を国内で行う例が少ないだけに、慎重に慎重を重ねて医療従事者が丁寧に対応している。

などが関係しているかもしれません。

また、長年移植外科医として最前線に立っていらっしゃった先生は

良い移植成績を維持する上で、海外と何が一番違うかというと、「ドナーを大切にしない人が心臓移植を受けられない」ようにしているから。これにはいろいろな意見があると思う。しかし、現時点ではドナーの心臓をもらう適応と資格があるかを、レシピエント本人と家族から徹底的に聴き取りをする。その上で、移植リストへの登録を決定する。でないと、このような成績は出ない。だって、患者が家に帰ったら、僕らは何もできない。重要なのは、ドナーへの感謝とコンプライアンス。コンプライアンスのうまい対訳がなくて、海外の移植関係者にはなかなか最初は理解してもらえなかったけど、最近、講演した台湾では「それだけ、きめ細かいことをやっているからだね」とようやく分かってもらえるようになった。最近は、海外でドナー管理の講演を依頼されることも増えた。ここもやっぱり20年かかった(笑)。
ドナーからの臓器摘出は心臓が一番先。大動脈を遮断したとたんに体が冷たくなっていって、他の臓器が全部摘出できるようになる。この「命を終わらせる感覚」は、心臓移植を担当する外科医だけが味わうもの。だからこそ、命の重みを一番感じないといけない。日本では海外と違い、心臓外科医が到着するまで絶対にドナーの臓器摘出術を始めさせない。チームが全員そろって、ミーティングをして、ドナーの前で黙祷し、手術をして術中管理は心臓外科医が責任を持ってやる。摘出が終わったらもう一度黙祷してから、帰る。
 そういうことを、僕が5年ごとに行っているOne Legacy(米ロサンゼルス地区をカバーする世界最大の臓器移植ネットワーク)やGIFT of Life Institute(米フィラデルフィアに本部を置く臓器あっせん機関)で話している。
 最初はみんな「ふーん」という感じで聞いていたが、2016年に行った時に米・南カリフォルニアのチームが心臓の評価が終わるまでチームスタッフを招集しない。そして、心臓のチームが来るまでは手術を始めない。さらには、摘出術の前に「Wait a moment」と言うんです。「何を待つんかな?」と思っていたら、なんと黙祷を始めた。そして、ドナーの女性の名前を読み上げて、「彼女がどういう人生を歩んできて、この命を大切にしてくださいと思っているか」を話してから摘出術が始まった。これこそ、日本全国で移植チームが行っていること。良い貢献ができていると思う。
 南カリフォルニアでは年間500人くらいのドナーが現れ、日本人がこれまでに110人くらい心臓移植を受けている。最近は、南カリフォルニアでの心臓移植に至る割合が30%から40%に上がった。年に50人、2年で100人増えている。徹底したドナー管理の方法を伝えたことが「日本からの渡航移植の恩返しになっているかも……」は言い過ぎかもしれないが、「まず、ドナーを大切にする」ことへの行動が、海外の心臓移植につながっているのであれば、とてもうれしい。
 とはいえ、日本でもまだやらないといけないことはある。今はできていないが、ドナーの家族が胸を張って生きていけるようにしたい。学会にも「ドナーのことを考えるシンポジウムをもっと作ってほしい」と要望し続けているが、なかなか実現できていない。移植はドナーのためにある。表彰されるべきはドナーとその家族であって、心臓外科医や移植医ではないから。

とも仰っていたのが印象的でした。
(以上の文章は、会員制サイトからの抜粋ですので、原文のまま複写しました)。

この先生の言葉から染み出るのは

・日本人の細やかさ。
・レシピエント側に注目が集まるが、ドナーあっての移植医療。
・レシピエント側のケアと同様にドナー側関係者を二度悲しませることがないようにケアしていく。
⇒ここでの「二度」というのは、「脳死と判断される」ことと「レシピエントとなった方が亡くなることは、ドナーとなった方の臓器も亡くなることになる」ということを示していると思います。

ということも日本での移植成績が良いことに繋がっているんだと思います。

少し話が逸れましたが、米国でしか受けられない治療を受けに渡米せざるを得ないならともかく、この治療成績をみると、

・金銭的にも、治療成績的にも日本で心移植治療を受けたほうがメリットが大きいのでは?

と思えてくるのですが、みなさんはいかがでしょう??

ましてや、

・重体患者さんの航空機での長時間移動
・言葉が通じない中で過ごしていく患者さんの精神的ストレス
・海外で言葉が通じない中で暮らし、しかも患者さんの経過を心配するご家族のストレス
・通訳さんを介しているとしても、立ちはだかる言葉の壁
⇒行き違いによる訴訟問題発生の可能性もあり得ます。
・移植後のケア(日本人医師と米国人医師の引継ぎ問題など)

なども重くのしかかります。

おそらく、これまで海外渡航し移植を受けた患者さんの方々、ご家族の方々も同じような苦難を乗り越えていらっしゃると思います。そして、「なぜ日本で行えないのか・・・」と苦渋の決断をされた方々もいらっしゃると思います。


また、イスタンブール宣言の影響は他にもでてきています。
ちょっと特殊なケースではありますが、

浜松医大が高裁も勝訴、「渡航移植患者の診療継続拒否」裁判
3つの観点から「社会通念上、是認される」拒否と判断
(リンクを貼ることができませんでした)

これは「イスタンブール宣言」を根拠に判断された裁判結果であり、今後海外で移植を受けた方の日本国内での医療ケアをどう行っていくかの争点になる判決ともいえると思います。

イスタンブール宣言の影響を鑑みるに、個人的には

①:日本国内での心移植成績は良好である
②:移植後の経過フォローが安全かつ確実に、そして安心して受けることができる
③:費用の問題(⇒日本国内の移植は保険適応になります)

という点から、日本も遅ればせながら、「自国内での移植推進」を強く推し進める必要があるのは明白なのではないかと思います。

④:移植を行う医療環境

国内での臓器移植が進まない問題点として、「医療環境」が語られることも多いようです。

こちらは「移植コーディネーター」という仕事について

こうしてみると、施設自体は十分な印象はありますが、これから「自国内での臓器移植」が推進されると、不足してくる可能性はありそうです。

また、移植後の患者さんケアも非常に重要になります。

ここで取り上げた文献は医学専門誌に掲載されているものなので専門性が高いです。
要約すると、移植直後の拒絶反応以外にも、

1:移植後冠動脈硬化症
⇒大人でいう狭心症、心筋梗塞の引き金になる状態です。ただし、成人の時に行われるようなカテーテル治療を行ってもまた状態が悪化することも多いようで、バイパス手術)も適応ではないようです。
2:感染症の予防と治療
3:悪性腫瘍の発生(移植後15年で約17%)
4:免疫抑制薬による腎機能悪化
5:身体的発育の管理、精神運動発達の管理
6:治療の経過に沿って心理社会的ケア、集団生活(例えば学校生活)に関する指導
7:移植後合併症として高血圧,脂質異常,糖尿病などのチェックや管理
8:免疫抑制剤などの服薬指導
9:突然死の問題
10:再移植の問題       など

非常に多くの合併症をケアしていく必要がでてきます。確かに移植により元気になるのは嬉しいことですが、本当に大変だと思います。これは、患者さんとそのご家族もそうですし、治療していく医療チーム側も大変で、多彩な職種の医療者が連携をとっていかなければなりません。
何度も同じことを言うようですが、移植を行った外科医の先生との連携も必要ですから、やはり海外渡航しての移植治療の困難さが浮き彫りになると思います。そして、患者さんとそのご家族の不安というものも計り知れないでしょう。


5:移植治療とその先・・・

前項で「日本での移植治療の問題点」を考えてみましたが、やはり一番の問題は、

本来移植治療のスタート・原点・要となる臓器提供者の不足

が一番の問題なのだと思います。

そこを解決していくには、実際にドナーとなった方々のご家族の声を聴いてみるのが大事だと思います。

以下にたくさんあるドナーとなった方々のご家族の思い、ご家族に関わった移植コーディネーターの想いを引用させて頂きます。
検索してみると、本当にたくさんのドナーとなった方々の関係者の声を聴くことができます。

あとは、やはり一時的なものにせずに、語り続けること。

そして、これも同じことの繰り返しになりますが、

①:「脳死」や「人の死」は決して他人事ではなく、いつでも自分や家族、自分の大切な人達に降りかかることである。
②:「臓器移植」も決して他人事ではない。自分や家族、大切な人が、いつ「レシピエント側として臓器を必要とすることになるか」・いつ「ドナー側として臓器を提供する可能性がでてくるか」は分からない。
③:今子供がいない方々でも、新しく生まれてくる命=自分の子供が、「レシピエント側」「ドナー側」になる可能性もあり得る。

⇒決して、「移植医療について話すことは他人事ではない」ことを意識する。
「移植について考える文化」を育む
「人の死について考える文化」を育む

こういったことも大事なのではないかと思います。


そして、ここまで書いてきながら考えたのですが、

「臓器移植」という治療を最終手段としたままでよいのか?

ということです。
矛盾しているように聞こえると思いますが、ここまで辛抱強く、時間を割いて読んで頂けた方ならお分かり頂けるかもしれません。
いまは「臓器移植が最終手段」なのかもしれませんが、その先を考えてみませんか?

移植に携わって思うことは、移植が必要となくなるような治療法を開発できるよう、難病の研究基金に100億くらい寄附して欲しい。短視眼的には、成果はでないけど、長期的には世界中で苦しむ難病患者に福音となります。

今回相談した恩師の言葉です。プライベートなメールなのでほんの一部改訂しましたが、これは本質をついているような気がします。
(僕の恩師は、とある難病疾患の世界的なエキスパートで、臨床医としても研究医としても、世界的トップランナーだと思います)

人間は戦争や自然破壊といった愚かなこともしてしまいますが、様々な難病を乗り越えてきた生き物です。人間の英知を傾ければ、

「臓器移植が必要となくなるような治療法」

も開発できるかもしれません。

例えば、2012年10月にノーベル生理学・医学賞を受賞された山中伸弥先生の研究成果であるiPS細胞を用いた再生医療。

心移植の適応疾患として、「拡張型心筋症」といった心臓の筋肉=「心筋」に異常が起こり発症する疾患が多いのですが、再生医療により、病気の元となる「異常の来した心筋」を再生しようというのです。
また、皆さんもご存知の3Dプリンタ技術。この技術(バイオ3Dプリンタ)とiPS細胞を用いて人工心臓を創ってしまうというのです。実際患者さんの細胞を用いての作製まで漕ぎつけています。

短期的には実現は難しいかもしれませんが、中長期的には実現可能だと思えます。

ただし、こういった基礎研究分野でも問題はあります。
ストレートに言えば

研究資金の問題=お金の問題

です。

山中先生の研究部門でも支援を呼び掛けていらっしゃいます。


僕も大学病院に勤務していた経験があるので理解できる部分も多々ありますが、いろいろな研究を行っていきたくても資金調達ができなければ頓挫してしまいます。実際に、資金面で研究を断念せざるを得なくなった先生もいらっしゃいました。
残念ですが、それが現実です。

どのような研究も有益な研究だと信じていますが、こういった研究への支援促進・貢献も必要なことです。


6:僕たちにできること。

まったく関係なさそうで、大きな関係があるなと思う記事です。
CR7とメッシの記事が多いのは、僕がサッカー好きなだけです。

僕たちにできること。この列挙した記事の中にもヒントはたくさんあると思います。

僕がTwitterを通してフォローしている方がいるのですが、「自分のできる応援」について、こう書いてました。

「自分の身の丈にあった応援を」
「自分のためでなく、人を応援するために影響力を身につける」

このことは、上記のいわゆるミリオネアと言われる方達の支援・応援・貢献にも共通していると思うんです。

クリスチアーノ・ロナウド選手、リオネル・メッシ選手、ジャック・マー氏

おそらくどの方達も、

自分の身の丈にあった支援・応援・貢献を行っている。
自分が世の中への影響力があることを知っている。
自分の貢献がどう影響するか想像している。

のだと思います。そして、

公平に、公正に貢献する。

ことも意識していると思います。

だからこそ、個人への援助も行っていますが、財団を個人的に立ち上げたり、他の財団・支援団体への援助も並行して行っているのだと思います。
そして、

「影響力を持つ自分達が動くことで、大きな波を起こそう」
「自分が波を起こすことで、より大きな波が起きるだろうと想像している」

のだと思います。

ただ、僕たち小さきもの達にとって、一番大事なことは

「身の丈にあった貢献・応援」を「継続して行う」こと

だと思います。

僕は「身の丈にあった貢献」ということを

「人それぞれの手の大きさ」

と表現することが多いのですが、

「小さな手の人は、まず目の前にあることから」
「大きな手の人は、目の前のことを含めて、そこからより多くの人を包み込むように」

といったイメージでしょうか?

僕の場合は、

「医師である」「恩師が移植に携わっていた」ということを元に、この記事を発信する。

ということを選択しました。
ただ、影響力なんてありません。じゃあ、どうするのか?

僕は、

・他に影響力を持つ人を頼る。
・他の方に関心を持って読んでもらえる記事を書く。
・時間を割いてでも読んでもらえる記事を書く。
・小さい影響力でも、それを結集させて大きな影響力に変える努力をする。

それだけです。

でも、「どうせ届きっこないでしょ?」っていう方達にも届けば嬉しいですし、興味深いことです。


7:さいごに

さあ、やっと最後にたどり着きました。

あれよあれよと、相当な文字数になってしまいました。最後までお付き合い頂いた皆さん、本当にありがとうございました。

仕事していないようにみえる僕が、今回は一応仕事しました。

今後は、この子(この記事)がどこまで大きくなって、どこまで遠い人まで届くのか見届けたいです。

今回お世話になった恩師のチェックは受けてないので、もしかしたら途中一部が変異していますかもしれませんが、この子がどんなことになるのやら、最後まで読んでくださった方々も、見届けてください。

そして、最後まで読み終える時間を割いてくださったことに感謝致します。
本当にありがとうございました。

本当に、この内容に共感して頂けたのなら、少しでも皆さんの影響力をお貸してください。
いろんな方々に届けばいいなと思います。

そして、今も頑張っていらっしゃる患者さん・そのご家族。
そして、ドナーとなるかもしれず悩んでいらっしゃる患者さん・そのご家族。
皆さんに少しでも貢献できたなら、こんなに嬉しいことはありません。

最後まで、長文・駄文にお付き合いくださってありがとうございました。

また、いつかnoteでお会いしましょう。


追伸:
僕ら家族も話し合いました。そして、もう一歩自分なりに踏み出しました。

僕が「脳死」と診断されたら、すべての臓器を提供します

妻の考えも聴きましたが、それは内緒です。
六歳の娘っ子が居ますが、その子については、「今はなかなか考えられないねえ・・・」となりましたが、少しでも前進しました。
(署名は後程します。身バレしちゃうので)

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