見出し画像

MASA 第4話 決戦

第四章 決戦

 天気はこないだと同じようだった。夜の間ずっと窓ガラスをノックしていた雨粒の来訪者は、朝になってもあきらめていず、時折り思い出したように振っては、ぱらぱらとガラスを叩いている。空にはくすんだ色の雲が、遠くの山々をまたいで果てしなく続いていた。
「はい、健。これ」
「何、これ。何が入ってるの?」
 前と同じように小山の入り口で集合すると、大和が何かの瓶(びん)を渡してきた。中を覗いて、健は思わず悲鳴を上げた。
「うわああああっっ」
 危うく手から落としそうになったそれを、大和が慌てて押さえる。
「気をつけてっ。捕まえるの大変だったんだから」
「きっ気持ち悪い! 何だよ、これっ」
「何? 俺にも見せて」
「どうぞっ」
 健が佳亜に、押しつけるようにして瓶を渡す。佳亜は中身に目を凝らした。瓶の中では、黒くて長いものがもごもご動いている。虫だ。
「百足?」平然とした様子で佳亜が言った。
「うん、そう」
 大和はその間にも、せっせと他の瓶をリュックから取り出して、健と佳亜に渡した。自分でも一本持っている。ラベルを見ると、黄色地の派手なシールに、力強く「マムシパワーでゴー‼」と書いてある。
「マムシドリンク⁉」
「うん。佳亜、その百足、地面に置いて」
 言われた通り佳亜が百足の瓶を下に置くと、ちょうど三人でマムシドリンクを持ってそれを囲むような形になった。
「じゃあ始めよう。まず乾杯」
 大和が瓶のフタを開け、マムシドリンクを掲げた。
「乾杯⁉」
 健が反応できないでいる間に、「乾杯」と言って、佳亜がさっさと飲み干してしまった。
「……わかった。乾杯」
 腹をくくって、健もドリンクの蓋を開けた。マムシドリンクを高々と曇天に向って掲げると、一気に喉へ流し込んだ。得もいわれぬ濃くて苦い液体が、喉をどろどろと駆け下りていく。と思ったら、急に身体がカーッと熱くなるのを感じた。
「おえっ」
 隣では、健に続いて飲み干した大和が、ごぼごぼと咳き込んでいる。彫像のように整った顔で、平然としているのは佳亜だけだった。
 ふらふらしながら、「では、次の儀式」と大和が言った。
「まだあるの⁉」

「今からこの百足を瓶から出すから、三人でそれを踏んづける」
 隣で佳亜が、ぐっと息を呑むのがわかった。
「僕だって、残酷で気持ち悪いと思うよ。だけど必要なんだ。三人で、こいつが死ぬまで踏んづける。それが儀式なんだ」
「……そんなことを嫌がっていたら、将門の首なんて倒せないよな」
 佳亜が言った。
「……わかったよ」
 健が頷いた。
「じゃ、出すよ」
 大和が瓶の口を開け、素早く逆さにして底を叩いた。百足がぽたりと地面に落ちる。健は意を決し、もがく百足の上に足を出し、力を込めて落とした。ぐにゃりというおぞましい感触が、スニーカーを通して伝わってくる。
 足を引っ込めると、百足は潰れていて、黄色い液体がどろりと出ていた。それでもまだ動いている。大和がその上に足を被せた。
 ぐじゃ。 
 顔中梅干しみたいにして、大和が足を引っ込める。佳亜が続く。
 じゃっ。
 佳亜が足を引っ込めると、百足は完全に動かなくなっていた。大和が土を蹴ってその上にかぶせた。健と佳亜もそうした。
「それから佳亜、お守り持ってきてくれた?」大和が言った。
「うん」
 頷くと、佳亜がリュックからどこかのお守りを三つ取り出し、健と大和に渡した。

「ありがとう。遠かった?」
「まあね。でも知らないところに行けたから、楽しかった」
 わけがわからず、健は二人のやり取りを聞いていた。渡されたお守りを見ると、青の袋に銀の刺繍で「成田山」と書いてある。
「成田山? 行ってきたの⁉」
「うん、そう。学校休んで」
「僕が頼んだんだよ、佳亜に」
「なんで……」
 健としては、何だか自分だけ仲間外れにされたようで面白くない。
「だって、成田山まで行ってくるのって、交通費だけでウン千円かかるよ。健、出せる?」
 ……出せない。
「だから佳亜に頼んだんだ。僕も行きたかったけど」
「だけど……そもそも何で成田山?」
「成田山はその昔、朱雀天皇から、将門討伐の命を受けた、寛朝大僧正が建立したものなんだ」
「あ、そう……」
「そうそう、だからご利益があるというわけだよ、健くん。財力と行動力のある俺に感謝しなさい」
「そっか……。ところで朱雀天皇って誰?」
「朱雀天皇っていうのは、将門が坂東で暴れていたときの天皇。けっこう名君だったって話」
「ふうん」
「実は矢も買ってきたんだ。なんとなく成田山のだと思うと、効きそうじゃない?」

 そう言って佳亜は、白木の矢をリュックから取り出した。羽の付け根に鈴がついている。
「なんだか良さげだな」
 つくづく財力のあるヤツは頼もしい、と健は思った。
「あと、実はこんなのも家にあったんだ。じゃん!」
「弓⁉」
 健と大和の声が重なった。佳亜の手の中で、滑らかな黒の曲線がきれいな弧を描いている。
「すごい! どうしたの⁉」
「探してみたら、お父さんの部屋にあった。どっかの外国で買ったんだと思う。まぁ念のため、持ってきてみた」
「すごいな……」
「健、僕の木刀、渡しとくよ。健のはこないだ砕けちゃっただろ」
 そういって、健に大和が自分の木刀を渡した。
「サンキュ」
 ぱらぱらと雨が降ってきた。見上げると、小山は雨にけぶり、黒に近い灰色でその威容を見せている。
「行こう」
「行こう」
「行こう」

 洞穴に入った瞬間から、風が轟々と激しく吹きつけてきた。首にはわかっているのだ。訪問者の存在が。吹きつける豪風は歓迎の証だ。 
 三人はしばらくの間無言だった。
「なあ、健」
 沈黙に耐え切れなくなったのか、佳亜が言った。風の音に負けないようにしゃべるので、自然と大声になる。
「何?」
「その、早苗って子の苗字わかる?」
「えーっと、たしか石見(いわみ)」
「何? それがどうしたの」
「……俺、その子からラブレターもらったことある」
「ラブレター⁉」
 健と大和が唱和する。
「うん。半年くらい前に、家のポストに入ってた」
「それでどうしたの?」
「別にどうも」
「えぇっ‼」
「だって、そうだろ。どうすればいいわけ?」
「……わかんない」
「返事の手紙を書くとか」
 大和が言った。
「わざわざ? きみとお付き合いはできないけど気持ちは嬉しいよ、とか?」
「…………」
「やだよ、俺。そういうことすると、喜んでもらえるどころか逆ギレされたりするんだぜ。それか『お返事くれるなんて脈あり』って勝手に判断して、ストーカー化するとか」
「……そっか」

「だから、そのままにしとくのが一番良いんだよ。きりがないもん、いちいち対応してたら」
「…………ふうん」
説得力のある言葉だった。きりがない、というのが引っかかるけど。
 健と大和が、それぞれの考えにふけって押し黙ってしまったそのとき、ゴウと一際大きな風が吹いた。
 首の間が近い。風がさらに勢いを増してきて、まるで壁のようだ。禍々しい瘴気が、濁った渦を作りながら流れてくる。だけど臆している者はいなかった。
 佳亜は、紅茶色の瞳を踊るように輝かせている。大和は、眼鏡を白く曇らせている。健は……一応、妹のことを考えている。
 首が八個だって、今度は負けない。

 三人は、首の間に足を踏み入れた。八個の首は、依然としてそこに在った。
 見るなり健は目を見張った。両隣から、大和と佳亜の息を呑む気配が伝わってくる。
 首たちはさらに成長していた。こないだは生首に肩がついているくらいだったのに、今度は腹まで伸びている。八つとも同じように。
 そして瞼はすでに開いていた。十六の同じ瞳が一様に剥き、紫の光で三人を睨みつけている。
「……大和、佳亜……」
 健が言った。
「うん」
「ああ」
 おおおおおおおおおおおお。

 八つの首が、地獄の底から響いてくるような声で猛った。
「せーのっ‼」
 健は懐中電灯をしっかりと構え、スイッチを入れた。ピカッという閃光にドームが包まれる。その途端、咆哮が苦しんでいるような響きを帯びた、と健は思った。だけどそれを確認する間もなく、右手をフル回転させ、懐中電灯を素早く点けたり消したりする。ビカッ、ビカッ、ビカッ。眩い光が連続する。
 その様子を横目で見ながら、大和はダダダダダと、頭、首、腰、左手首、それから右手、自分の身につけているすべての懐中電灯のスイッチを入れた。 計五つの閃光で、辺りが一気に明るくなる。
「くらえ!」大和は腕を滅茶苦茶に振りながら、走り出した。走りながら視界の端で、いくつもの将門の顔が、ぐにゃりと歪むのを見たような気がした。
 佳亜は、成田山の、たいまつみたいな太い蝋燭を両手で握った。燃え盛る朱色の炎が、洞穴内を赤く染め上げる。
「ああああああああ」 
 手の中で燃え盛る炎と同じように、喉からも叫びの炎を燃え立たせ、佳亜は首の中へ突っ込んだ。

その絶大な効果に佳亜自身が驚いた。成田山の朱炎は瞬く間に風に乗り、炎の舌は次々に首を黒い炎の塊へと変えていった。
 首たちは次々と、断末魔の叫びを上げた。将門の顔をした七つの首は、光に呑まれ、塵芥(ちりあくた)となって消えていった。この世のものでない存在だけが持っている、憤怒と憎悪で顔を歪ませながら。
「やった‼」
 健たちは叫んだ。七つ目の首が姿を消すと、一つだけが残った。

おおぉーーー のおぉーーー れええぇーーーーー

 呪詛の声と共に、最後に残った本物の将門の首は、ずいと健たちのほうに踏み出した、首しかないのだから「踏み出した」というのはおかしいのだが、健にはそう感じられた。
 むんと眼窩(がんか)からとび出した目が、雷撃の眼光を放って健たちを睨(ね)めつける。
 はあっっ‼
 首が吼えた。体中の穴という穴が開くような叫びだった。それを合図に、風が一段と強く吹く。

 健は懐中電灯を放って木刀を手に取った。大和も、身につけていた懐中電灯をすべて外して放った。もう電灯は役に立たない。それから胸ポケットからナイフを取り出した。佳亜はすでに消えている蝋燭を放り投げると、胸の前で拳を固めた。

 手に、脇に、背中に、じっとりと汗が滲(にじ)んでいる。握った木刀の先がわずかに揺れた。その瞬間、健は大声を上げて将門に向って突っ込んだ。
「わあああああっっっ」
 ジャンプして飛び上がり、刀を振り上げ、叩き落す! こないだ佳亜がやったのを真似したのだ。
 ぐああぅっ
 呻きとも、肉と骨が歪んだ音とも取れぬ、重低音が聞こえた。手から腕を、生き物の肉に触れたおぞましい感触が走り抜ける。まともに一撃が入ったのだ。
「やった!」
 続いて大和がナイフを放った。だが聞こえたのは、ガギッという金属と金属がぶつかり合う不快な音だった。
「あっ!」

 康葉だった。けれどそれは一見して、妹の康葉だと思える姿ではなかった。やつれてこけた顔の中で、赤い唇が耳まで裂けたように吊り上っている。大きな瞳は歪んで、目尻には、小学生にはあり得ないような無数の皺が刻まれていた。邪悪、といってもいいほど醜い顔だった。
「おい」
 健が言葉を失っていると、佳亜が横から肩を突いた。はっと我に帰る。
「あの、妹が手に持ってるのは何?」
「えっ」
 言われてみると、康葉は確かに何かを持っている。それで大和のナイフを跳ね返したのだ。それは包丁を括りつけた竹だった。
「家の包丁と、箒の柄だ……」
「多分、あれは薙刀(なぎなた)だ! 滝夜叉姫は、薙刀が武器なんだ」
 大和のその言葉を肯定するかのように、康葉はにたりと笑った。健は今度こそ目を背けてしまった。その一瞬の隙を逃さず、康葉が健に向って跳んだ。文字通りの跳躍だった。
 健に向かって、光る刃を振り下ろす。
「くっ!」
 健は木刀を横一文字に薙ぎ、妹の一撃を受け止めた。木の砕ける嫌な音がして、手に衝撃が走る。康葉は、間髪置かずに再び薙刀を振り上げた。
「康葉っ‼ 俺がわかんないのか‼」

 わからないようだった。おおおおおおという呻きを上げると、再び健に向かって跳ぼうとしている。
「康葉っ!」
 康葉の動きが止まった。いつの間にか後ろに回りこんでいた大和が、後ろから羽交い絞めにしている。
「おおおおお、おおおお」
「ぐあっ、くそっ、強い」
 康葉が手足を振り動かして暴れる。大和が、眼鏡がずれるのも構わずに回した腕に力を込める。文化部員の細い腕で。
「大和、そのまま放すなよ!」
 佳亜が、康葉の腕に手刀を叩き込んだ。康葉の顔が歪み、薙刀を取り落とす。佳亜はそれを足で蹴飛ばしながら、腹に一撃を見舞った。
「ぐおぅっ……」
 呻き声をあげると、ぐったりして動かなくなった。
「その辺に寝かせとけよ」
 佳亜に言われて、大和が康葉の身体をそっと地面に横たえた。
「お、おい。大丈夫なのか」健が言った。
「大丈夫だよ、気を失っただけ」
「…………」
 どうか後で俺が怒られたりしませんように、と健が祈ったそのとき、背後で気配がした。三人が同時に振り向く。康葉に気を取られていたその間に、首はまた大きくなっていた。
「なんてこった……」

 ついさっきまで腹までだったのが、もう手足の一部まで現れている。しかもすでに着物と武具を纏って。
「デフォルトで服付きだ」
 健が言った。
「この分じゃ、手が現れたときは刀も持ってるかもな」
 佳亜が冗談ともつかぬ口調で言った。
 体積をさっきまでの二倍にも増やした将門は、半分の腕をぶんと振り上げると、三人に向かって振るった。まるでそこに手があり、刀を持っているかのように。
 びゅんと風を切って、鋭い衝撃波が健たちを襲う。約三人は大体飛んだ。正確には、後方に跳躍したのが佳亜。頭を屈めて、すんでのところでかわしたのが健。驚いてよろけて、免れたのが大和。
 健の額から、切られた前髪がぱらぱらと落ちる。
「ひええ……」
 紙一重だ。こんなことが本当にあるんだ。
「あああっ」
 叫ぶと同時に、佳亜は首に踊りかかった。
 クリティカルヒット。将門の大きな顔に拳が入った。蛙がトラックに轢き潰されたような声を出して、将門の顔が歪んだ。口から鼻から汁を跳ばす。

 健もすぐに続いた。木刀を高く振り上げる。木刀は将門の藪のような髪の毛に食い込み、髪の間からどろどろの液体が滲み出る。健はすぐに刀を引き抜いた。液が飛び散り、頬につく。酸のように自分を溶かしてしまうような気がして、慌ててごしごしと擦った。
 咆哮が響き渡った。
 おおおおおお、おおおおおおお。
 まるで砲声だ。叫びが地響きを呼び、地響きが洞穴全体を揺るがす。風が吼え狂う。壁が震動し、土がぱらぱらと落ちてきた。地面が震え、体の平衡を保っていられない。
「こいつ! まだこんなに元気なのかよ!」
 おおおおお、おおおおおおおおおお。
 何とか体のバランスを保ちながら、雄猛る首に次を浴びせようと、健は木刀を構えた。
「待てよ、なんか聞こえないか?」
「え?」 
「ほほほほほほ」
 突然、高らかな女の笑い声が響いた。なぜ女の声は、他のどのような音も圧して響き渡る力をもっているのか。
 健も佳亜も膝をついていた大和も、声のしたほうを振り向いた。さっき気を失ったはずの康葉が立っている。
「康葉……!」
「ほほ、ほほほほほ」
 康葉は、この震動にも関わらず、小さな顔に醜悪な笑みを浮かべて平然としている。

「くそ、この揺れの中で、なんで立ってられるんだ!」
 佳亜の声に、大和が答えた。
「立ってないからだよ」
「えっ⁉」
 健と佳亜は同時に康葉の足下を見て、その意味がわかった。康葉の両足は、地面とわずかな隙間で別れている。浮いているのだ。
「康葉、おまえ……!」
 健が妹に近づこうとしたそのとき、康葉の口から、それまでの女の高笑いとはうって変わった男のような声が洩れた。
「おまえたちの負けじゃ」
 その声が合図だったかのように、すべての音がぴたりと止んだ。耳を聾(ろう)するように響いていた将門の叫びも、空間全体を揺るがすような地響きも、吹き荒れる風の凄まじい鳴りも、すべて消えた。
 「間」は突如、静止に支配された。健たちは金縛りにあったように動けない。その中で、康葉のか細い腕がすうっと上がり、将門を指した。その動きに導かれるように、健は康葉の指の先を見た。そして愕然(がくぜん)とした。
 風が凪ぎ、揺れが静まり、すべてのものが時間を止めたような中、首のそばには早苗がいた。
 早苗は、康葉と同じように宙に浮いている。ただし康葉よりずっと高く。首の上、まるで将門を見下ろしているかのように、厳然と。

 青黒くこけた頬に酷薄な笑みを浮かべ、長い黒髪は千々に乱れて、顔や胸に乱雑に降りかかっている。服は白装束に赤袴。手には、葉の繁る木の枝を一振り。
 巫女だった。康葉が薙刀を振るう将門の娘であるなら、早苗は、目に狂気の光を宿した鬼女の巫女だ。
 巫女はゆっくりと、枝を将門に向かって下げた。早苗の腕が将門の首を指し、そこでぴたりと動きを止める。首と枝と女が一直線で結ばれた。早苗の口が、ゆっくりと動いた。
「たいらの……まさかど……」
 しゃがれた声だった。
「我こそ……八幡(はちまん)、大菩薩の……命により……遣わされしもの……」
 ぐぐぐっという声を、聞いたような気がした。
「八幡様……八万の軍を…」
「はちまんが、はちまんって何だっ……饅頭かっ……」
 佳亜の声だ。このバインドの中で声を発するのは、相当の激痛に耐えているのだろう。
「違うよ……後の八は、意味ないよっ……。とにかく、大軍ってことだろ…………それか、もしかして、坂東八国……」
 大和の声が続いた。
 だがそんな声などまるで聞こえていないかのように、巫女の早苗が続けた。
「八万の、軍を起こして……帝位を授ける」

《新皇》

 頭の中に、その言葉が響いた。途端、暴風の渦が巻き起こった。将門の首を中心として、核ミサイルが爆発したようだった。
「う、うわっ、うわっ。何⁉」
「何が起こったんだ⁉」 
 空気の弾丸が、雨あられのように健たちを撃つ。壁の土がぽろぽろと崩れていく。土や小石が跳ね回るように踊っている。今
 この空間全体が、首を中心として鳴動を始めたのだ。
「ね、ねえ……ここ、崩れないよね……」
「ま、まさか……生き埋めなんて、冗談じゃないよ」
 空砲と土や石が飛び交う中で、健は必死で目を凝らして中心にいる将門を見ようとしたが、まともに目を開いていることができない。
 やがて風の勢いが衰えて、少しずつそれが見えてきた。
「うっ……」
 そこにいたのは、首ではなかった。胴、手、足。五体揃った完全な人間の輪郭だった。
「予想が当たった……」
 佳亜が言った。将門は、堂々たる体躯に、すでに武具と防具をつけていた。
  目の前には、完全に復活を遂げた平将門がいた。
 全身を、血とも見まがう鮮やかな緋と、闇の黒のものものしい鎧で覆っている。右手には、健の身長を軽く凌(しの)ぐ長剣。発せられる気迫は、生首のときの比ではなかった。
 坂東の武者、関東の覇王。将軍 平将門。新皇だ。
 早苗と康葉はいつの間にか将門の後方に回っていて、健たちを嘲笑っている。
 再び風がぐんと強く吹き始めた。将門は、ぎょろと岩のような目玉で健たちを見回すと、ぐいと近づいてきた。
 心臓が悲鳴を上げた。体から何もかも逃げ出していってしまいそうだ。

 将門が近づいてくる。巨躯から風を発しながら。
 健は思わず目を瞑ってしまった。耳を引き裂く轟音と共に、体がばらばらにされたような衝撃を感じて、後ろに吹っ飛んだ。一瞬、体が浮遊する頼りなさを感じた。地面からも突き放されたような感覚だった。その次に、今度は全身に殴りつけられたような痛みが走った。

 誰かが俺を、猫じゃらしみたいに千切って、振って、飽きてその辺に放り投げたんじゃないか? 痛い、痛い、いてええええ。
 健たちは、三人同時に将門に吹っ飛ばされ、地面に叩きつけられたのだった。
 涙が出た。口の中で血の味がする。鼻からも、赤い液体が垂れていくのがわかる。
 将門はまっすぐに健に向かってくる。どうやら、最初の犠牲者は健に決めたらしい。
 がしゃり、がしゃり。近づいてくる。
 突然、がしゃんという音が止まった。
「⁉」
 風が吹いている。将門が発するそれではなく、逆のほうから。
「大和!!」
 いつの間にか大和が起き上がり、ミニ扇風機を将門に向けて回している。そして信じられないことに、玩具みたいな頼りない、プラスチックの羽根が作り出す回転が、豪風を将門に投げつけていた。
「大和! ……すごい!」 
 オオオオオンン、という苦悶の呻きが響いた。
 大和は眼鏡の奥の目を剥き、歯を食い縛った。吹きつけてくる将門の豪風に耐えながら、両腕で扇風機を支えて風を作り出している。ミニ扇風機の風は豪風の刃となり、将門の風を正面から叩き割った。
「くらえ! ×××××だ!」

 大和が叫んだ。風の音が凄まじくて聞き取れなかった。だが確かに、大和の声が響いた瞬間、扇風機の勢いが増した。
「大和!」
 健が叫んだ。声を出すと、腹が裂けるほど痛い。
「健! 手伝って!」
「ったって、どうすれば……」
「僕のリュック開けて! 中に団扇があるから!!」
 健が急いで大和のリュックを開けると、大きな団扇が入っていた。それも二枚。お寿司屋さんに飾ってあるような、赤くて馬鹿でかいやつだ。
「それで扇いで! 佳亜も起こして!」
 健は、そこらで伸びているはずの佳亜を探した。体中のどこもかしこも痛いが、再び、火をつけたような高揚感が満ちてきていた。
「佳亜! 起きろ! おい!」
 カフェモカのような佳亜の後ろ頭を見つけて、健は叫んだ。
「うるっさい……起きてるよ」
「起きてたんなら、早く起きろよ!」
「……様子を伺ってたんだよ」
 そのとき、びたーんと横面をビンタされたような痛みが走った。将門の風が盛り返し、勢いを増したのだ。
「早く手伝ってーー!」
「了解‼」
 健と佳亜は互いに散って、思いっきり腕を振った。団扇がぶうんぶうんと唸りを立て、大風を起こし始める。

「からっ風だ!」
 大和が叫んだ。
「えーっ⁉」
 腕を弛(ゆる)めず、聞き返す。よく聞こえない。
「何!? 大和‼」
 佳亜のよく通る声が響いた。
「からっ風! からっ風って言ったんだ!」
「からっ風⁉」
 言葉は聞き取れたが、意味がわからない。
「何でもいいから、一緒に言えーーっっ‼」
「わかった‼ からっ風!」
 佳亜が叫び、赤い団扇が唸る。おおおと将門が叫び、腕を上げて避けようとする。
「からっ風だ!」
 健も叫んだ。腕に渾身の力を込める。おおおお、とさらに将門が苦悶(くもん)の声をあげる。
「からっ風ぇーっ‼」
 三人の声が唱和した。将門を囲む三方から、ごうんごうんと風が舞い、将門が頭を抑えるようにして縮こまる。大和は卓上ミニ扇風機を高々と掲げた。
「喰らえ、北関東のからっ風だああーー‼」
 おおおおおおおお
 吹いてくる風が止まった。将門の周囲に土煙がもうもうと巻き上がる。
「やった……⁉」
 煙の幕が覆い隠し、どうなったのかわからない。健も佳亜も腕を弛めた。途端にどっと疲れが襲ってくる。
「大和、今のは……」
 立ち込める煙幕から目を離さないまま、佳亜が言った。

 大和は、へなへなと地面に座り込んでしまっている。
「……昔、将門が倒れた戦いでは、……朝廷方の、平貞盛と、藤原秀郷に利するように、からっ風が吹いて、味方してくれたんだ……。だから、それを人工的に作り出して、将門に吹きつけてやれば、と思って…………」
 ようやく煙が薄れ、将門の姿が見えてきた。鎧武具に身を包んだその姿が、さっきより小さくなっている。
「やった‼」
 佳亜が指を鳴らした。
 おおぉーーのぉーーれぇーーー
 体が小さくなっても、迫力が消えたわけではない。むしろ漠然と発せられていた気の波動が、具体的な殺意へと変わったようだった。

 将門が長剣を水平に払った。
「佳亜!!」
 自分が青ざめるのがわかった。だが佳亜の胸は、腹と永久にさようならすることはなかった。ざっくりと切られ、鮮血が吹き出したが。
「大丈夫か、佳亜!!」
「大丈夫、なわけないだろ……」
 健はほっとした。良かった、しゃべれる。
「大和、次はどうすればいい……」
 健は大和を振り返った。
「血……血が……う~ん」
 大和がは何やらぶつぶつ言いながら、ふらふらしていた。
 健は、体の痛みも忘れて駆け寄ると、胸を摑んでビンタを食らわせた。

「痛い!」
「あほっ! 痛いのも血を流しているのも、おまえじゃないだろっ! それよりどうしたらいいか考えて!」
「あ、あ、ああ」
 そのとき、びゅんと後ろで風を切る音がした。将門の二激目を、佳亜が紙の差でかわしたのだ。けれど足元がふらついている。次はないだろう。
「早く、早く! 大和、何か!」
 健はつかんだ胸を、ぐらぐら揺らした。眼鏡ががくがく揺れる。
「あ、ああ、そうか! 健、成田山の矢で射るんだ!」
 大和は健の腕を振り解くと、佳亜のリュックに飛びついた。成田山の矢を取り出し、健に向かって放る。
「早く!」
「あ、ああ。あわわわ。せーの!」
「待った、ストップ!」
 まさに健が矢を投げようとしたそのとき、大和が叫んだ。
「何だよ、大和!」
「投げるんじゃない、射るんだ!」
 叫んで大和は、次に弓を健に向かって放った。が、重くて矢のようにはいかない。ぼたっと落ちたのを健が急いで拾い上げた。
「射るんだよ、投げるんじゃなくて!」
「い、射るって、どうすれば……俺、やったことないよ」
「適当でいいから!」
 気楽なことを言っている。
「ああ、もう‼ 当たれ、くそ!」

 叫びながら、健は矢をつがえ、力の限り弓を引いた。びゅんという小気味の良い音とともに、矢が将門目がけて弾き出される。
「いった!」
「よっしゃあ!!」
 矢は、額の中央につき刺さった、かに見えた。だが首はくあっと大口を開けて、矢をばりばりと噛み砕いてしまった。
「嘘……」
 その呟きが聞こえたかのように、将門は健のほうを振り向いた。口から出ている矢が牙のように見える。鬼、と健は思った。
「あ、あわ、あわわわわわ」
 鬼が闊歩して近づいてくる。
「や、やま、やま、やまと」
「な、なな、な、なになに」
「だだ、だめだった。なにかないか、なにか」
「え、え、えと、あった! はい、これ!! それと矢!」
 大和に、新しい矢と一緒に渡されたそれはカブだった。白くて丸くて、青々とした長い葉っぱがついている野菜のあれだ。
「何だよ、これっ‼ どうすんの⁉」
「それを矢の尾につけて、もう一度、射るんだ‼」
「は⁉」
 とうとう狂ったか。
「早く、つけろーっ!! 俺を信じて!」
 破れかぶれで、健は白いカブの実を矢の尻にぶすっと刺した。
「よーし、今度はそれで射るんだ‼」
「こんなの重くて飛ばないよ!」

 言ってるそばから、カブ付き矢はごろごろしてバランスが悪い。
「いいから! いいから射て! 射ろーーっっ」
 大和が絶叫する。もうやむを得ない。健は、強引にカブ矢を弓につがえた。
「あーもう! カブ矢だ、喰らえ、くそ!」
「カブ矢じゃない! 鏑矢だーーーっっ」
 健が弓を射ると同時に、大和が叫んだ。
「えっ」
 矢がびゅうと鳴った。カブ矢は、まるで鷲が獲物を狙うときのような鋭さで、将門に向かって飛んだ。
「それは鏑矢だ!」
 いつの間にか、さっきのからっ風仕様卓上扇風機を再び回転させながら、大和が叫んだ。矢は風に押されるようにして将門のオーラを突き破り、ブスッと額のど真ん中に命中した。
「やった! 健、唱和しろ! それは鏑矢だ!」
「それは、カブラヤだ!」
 声に反応するようにして、ぐおおおおおという咆哮が将門の口から洩れる。洞穴が鳴動する。
 射られた将門は額を押さえながら長剣を振り回して、狂ったようにのた打ち回っている。
 ミニ扇風機が紡ぐからっ風は、凄まじい勢いで将門に向かって吹きつけ、矢をぐいぐいと押した。矢が額に深く減(め)り込んでいく。
「大和……あのカブ……、鏑矢……」

 健は、自らの放った矢の効果に呆然としながら、大和に聞いた。
「……平貞盛と、藤原秀郷との戦いにおいて、将門は、」
 そのとき、苦しむ将門の背後に佳亜が現われた。左手で胸を押さえながら、右手に木刀を持っている。
「あ」と言う間もなかった。佳亜は木刀を、まるで重さなんてないかのように振り上げ、高々と掲げた。そしてそのまますとんと下ろした。
 刃は真っ直ぐに地面に落ちた。平将門を二つに分けながら。

 ギャアアアアアアアアアアアアアアア。

 一際大きな声が響き渡った。断末魔の声だった。
 それが合図だったかのように、洞穴全体が音を立てて崩れ始めた。壁がぐらぐら揺れ、天井から土や小石が振ってくる。地面が激しく震動し、倒れている康子と早苗の体がばたんばたんと跳ね出した。
 そんな中で佳亜が、黒い血だまりの中に肉塊となって倒れた将門の上に足を乗せ、宣言した。木刀を真っ直ぐに、上に向かって差し上げながら。
「宗藤佳亜、十四歳。ここに平将門の怨霊を、討ち取ったり!」
 よく通る佳亜の声が、まさに崩れんとしている洞穴の中、高らかに響き渡った。
「あ、ずるい!」 

 健は、ぐらぐら体を揺らしながら、自分も近くへ駆け寄った。同じように将門の上に足を乗せて、すっくと立った。本人的には立っているつもりが、傍から見ると踊っているように見えることに気がついていない。
「滝川健、十四歳。平将門の怨霊を討ち取ったり!」
「僕も‼ 大和田大和、十三歳! 平将門の怨霊を討ち取ったり!」
 三人の勝利宣言が済んだ途端、待ってましたとばかりに大きな土の固まりが落ちてきた。地面が大揺れを開始する。
「あたっ」「いてっ」「本格的に崩れるぞ!」
 佳亜の声を合図に、健は康子を、大和は早苗を、佳亜は自分を、抱えて首の間から逃げ出した。
 脱出する直前、健は後ろを振り返った。赤黒い染みの上に、揺れる地面に翻弄されるままに、上下する塊が見える。
 大和が令を発し、健が射て、佳亜が斬った平将門、千年のときを超えて甦った怨霊だ。
「何してるんだよ、健、行くぞ!」佳亜の声がする。
「うん」
 健は前に向き直った。その直後、天井が崩れ去る大きな音が聞こえてきた。

 世界はみるみる色を失い、暗くなっていった。

 彼は感じた。自分の意識が消えていくのを。存在を取り戻し、力を得た喜びが、怒りさえもが消えていくのを。けれど仕方ないと思った。
 仕方がない。負けたのだ。戦って負けたのなら、それが道理というもの。完全に消滅するわけではない。始まりの闇の中で、また眠りにつくだけだ。
 彼は強い。だから完全にはなくらない。いつの日かまた、揺り起こされるときがくるだろう。それまでは再び眠りにつく。
 必ずやってくる、目覚めのそのときまで。

 三人は、洞穴の崩壊に尻を追こに黒い穴があったことなど嘘のように、突然、穴は消えてしまった。跡にはわれるようにして、闇の中を走り抜けた。しんがりの健が、穴を飛び出した瞬間に。
「あ」穴の入り口が閉じられた。そただ土の壁だけがあった。
 三人は、それを黙って見つめた。
「……消えちゃった」
 大和が言った。
「……うん」
 佳亜が言った。
「……俺たちしか、知らないことになっちゃった……」
 そう言って健が土の壁に触ろうとしたそのとき、ばたんという音がした。驚いて振り向くと佳亜が倒れている。
「あーっっ、佳亜‼」
「そうだった‼ 佳亜、胸を怪我してたんだー‼」

#創作大賞2023

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?