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MASA 第2話 大和田大和(おおわだやまと)

第二章 大和田大和(おおわだやまと) 

 給食が食べ終わるのも待ち遠しく、健は隣のクラスに急いだ。目当ての人間は、教室の一番後ろで本を読んでいた。クラスの子に頼んで呼んでもらうと、大和田は、健の姿を認めて怪訝な表情(かお)をした。当然かもしれない。
 健と大和田は、一年のときに同じクラスだった。だけどほとんど口を利いたことはなかった。仲が悪いわけではなく、接点がないのだ。サッカー部という、自分で言うのも何だが運動部の花形に属している健に対し、大和田は、文芸部という何をやっているのかよくわからない文化部にいた。共通の趣味があるわけでもなく、学校の外で一緒に遊ぶ機会もなかった。
 だが大和田には、大和田大和(おおわだやまと)という個性的な名前以外に、強力な特徴があった。歴史に詳しいのだ。
 あの首には見覚えがある、と健は思った。
 鳥の巣みたいなぼさぼさの髪、わさわさ生えている髭とゲジゲジみたいな眉毛。赤黒くて汚い、大きな顔。顔面から発せられる異様なパワー。
あの首には見覚えがある。いや、見覚えがあるどころの騒ぎじゃない。この、健の生まれ育った北関東の片田舎。この地のただ一つと言っていい特産品が、歴史なのだった。
 この町は、ある歴史上の有名人の、本拠地だった場所なのだ。関東平野の広大な沃野を舞台に、一千年もの昔に活躍した、偉大な坂東武者。すなわち「平将門(たいらのまさかど)」。
 康葉が言っていたMASAくんというのは、将門のMASAだ。
 見たときはあんまり驚いてわからなかったけれど、後でぴんときた。が、それだけだった。慌てて教科書を繰ってみたが、わかったのは、
・平安時代に、京都の有力貴族たちが政治を疎(おろそ)かにしたので、関東の荒くれものたちを率いて反抗した、らしい
・一時は関東一帯を支配するほどの勢いがあり、自ら「新皇」とまで名乗ったが、結局貴族たちに征伐された、らしい

だけだった。使えない! と自分でも思った。そうして思い出したのが大和田というわけだった。
 何か、役に立つことを教えてくれるかもしれない。何かって何なのか、よくわかんないけど。
「何か用?」
 訝(いぶか)しげな顔をしながら大和田が来た。大きな眼鏡と、それがずり落ちないよう何度も指で押し上げている仕草が面白い。
「実は……」

「じゃあ首は、東京の大手町にあるわけ?」
「そう。こっちで討ち取られた将門の首が、京都に運ばれて晒し首にされた。でも執念深い首は、胴体を求めて京都から飛んでくるんだ。だけど力尽きて、途中の静岡の辺りで落ちてしまった。一方胴体のほうも首と呼応して起き上がり、西の京都に向かったんだけど、武蔵国(むさしのくに)、つまり今の東京で力尽きて倒れてしまった。祟りを恐れた人々によって首は静岡から運ばれ、胴体と一緒に大手町に埋められた。それが今の将門公の首塚ってわけ」
「なんかすごい……」
「大手町の首塚は、戦前には関東大震災で倒れたり、戦後には、GHQが取り壊そうとしたときに関係者が死んだりっていう恐ろしいことが起こって。結局今にいたるまで、大切に祭られているんだよ」
「うわ……」
「でもね」
 大和田は眼鏡を指で押し上げ、唇を軽く舐めた。何だか嬉しそうだ。
「首や胴が埋まっていると伝えられるのは、実は大手町だけじゃないんだ。他にも、将門の胴や腹や手を祭っている神社もあるし、首は、実は西から東に飛んだんじゃなく、東から西に飛んだというまったく逆の説もある。最もこっちは信憑性が薄いと、僕は思っているけど。体の一部じゃなくって、兜やら、霊そのものを祭っているところもあるんだよ」
「……ばらばらだ」
 歴史に名を残す偉人ともなると、死後に体がばらばらにされなければいけないのか。自分だったらいやだ。
「そうだね。まあ、だから結局、本当のところはよくわかんないんだよ」
「首も、大手町にあるとは限らない…?」
 昼休みを潰して二人は話していた。二人のいるグラウンドの隅からは、ボールや追いかけっこをして遊んでいる子たちの姿が見える。
「だね。大手町が一番有名ではあるけどね。だけど首が東京にあったとしたって、将門が一番執念を残しているのは、多分」
 大和田は、そこで一旦言葉を切った。思わせぶりに健を見る。
「ここ……?」
 大和田がこくんと頷いた。二人の周りだけ、急に気温が下がったような気がした。グラウンドで騒いでいる声が、すっと後ろに引いていく。
 と、突然大和田が笑い出した。
「あははは。何、本気でびびってるの」
 けれど、健は一緒に笑うことはできなかった。
「大和田! いや、大和!」
「な、何⁉」
「今日の放課後、ヒマだよな⁉」

首はいた。昨日と同じように、浮かんでいた。ぽっかりと。
暗闇の洞穴を進んだ奥深く、現実から隔絶されたような異世界、そこに突如現れるドーム。
 その中央にそれは座していた。見えない臣下にかしずかれ、見えない玉座に鎮座しているかのように。昨日、健の前で開きかけた瞼は、再び真一文字に結ばれていた。
 隣で息を呑む気配がした。
「平将門……?」
「多分」
「作り物……じゃ、ないよね」
「多分」
 大和田は大胆にも一歩踏み出した。宙に浮かぶ首に向かって手を伸ばす。
 すると、瞼がゆっくり開き始めた。その奥に、奇妙に紫がかった光が見える。
「うわあああああっ」
「わっわあああああああ」
 二人は期せずして合唱すると、そのまま百八十度回れ右をした。それから脱兎のごとく走り出した。ゆっくり慎重に進んできた暗闇の中を、無我夢中で逆走する。
「生きてる! あの首、生きてるよっ‼」
「そうだよ、生きてるよっっ! だから言っただろ!」
「言ってないよーー‼」
 気がついたら小山の入り口の辺りで、二人でへたり込んでいた。健が口を開いた。
「あれを、見てもらいたかったんだ。……ごめん。俺一人じゃ、どうしていいかわからなくて」
「……うん」

 場所を健の部屋に移し、健はこれまでのことを全て大和に話した。あの小山の辺りで、妹とその友達を見かけたこと、それから康葉の様子がどうもおかしくて、最近は異常なほど痩せてきたこと。昨日意を決して、あの小山に行ってあの首を見つけたこと。そしてもしかして平将門ではないかと思い、歴史に詳しい大和に相談しようと思ったこと……。
「そうだよ、間違いないよ! あれは平将門だよ! あのボサボサの長い髪や髭、それにあの迫力。あれは絶対、将門だ」」
「やっぱり⁉」
どうやら、根拠は健とそう変わらないらしい。
「すごい……。将門の首だよ、本物だあー」
 大和は、舌の先で唇を舐めながら、何度も眼鏡を押し上げている。興奮のためか、レンズが曇っている。
「将門の幽霊……?」
「幽霊っていうのかな。千年も昔に死んだんだから」
「じゃあ、何?」
「うーん。わかんないけど、怨念っていうか執念の固まりっていうか……。妖怪かな? 首だし」
 ピンポン玉みたいな軽い口調で言った大和だったが、言った後、ことの重大さに気がついたのか、顔色が変わった。
「将門が、甦ろうとしてるのかな……」
「甦って、何すんの? 世界征服?」
「ちょっと広すぎるんじゃない? 将門のいた平安時代って、世界っていうか、日本の全体像も知らなかったはずだし」
「じゃあ、日本征服?」
「うん、そのくらいが妥当だよ。それかもっと狭い範囲かもよ。昔だって、関東地方の新皇だったわけだから」
 何がどう妥当なんだ、と健は思った。
「それでさ。このままいったら、妹とその友達、ヤバいと思う」
「え。ヤ、ヤバいって?」
「多分さ、生気っていうか、生体エネルギーっていうか、何かそういうのを吸い取られてるんだと思う、首に。で、将門は復活しようとしてるんじゃないかな」
「そ、そうかもしれない。康葉のやつ、みるみる痩せてってるんだ。早苗って子も」
「うん。ヤバいよ、ホントに。もしかしてさ、今はまだ首だけだけど、これからどんどん生気を吸い取っていって、首だけじゃなくて体も出てくるんじゃないの」
「そういえば康葉のやつ、『だんだんおっきくなってる』って言ってた……」
「やっぱり」
 今はまだ宙に浮かぶ首だけだが、それが徐々に成長している。首の次に、胸が、腹が、手が、足が。出現していき、ついには将門が復活する……。そうして康葉は、そのための食料なのだろうか。
「だめだよ! 関東征服だろうが茨城支配だろうが知らないけど、だめだ!」
「うん……だめだね」
「だめだよ」
 部屋に沈黙が舞い降りた。天井の古い蛍光灯が、時折り鳴らすパチッという音がやけに大きく響く。窓の外は、すでに夕闇に包まれていた。
 部屋の中は、沈黙を固めて凝縮させたような重い空気が漂っていた。
「親は気づいてないの? 娘のおかしな様子に」
「ぜんぜん気づいてないと思う。康葉のやつ、親の前ではいつもと変わらないんだ」
「じゃ思い切って、親に言ってみるとか」
「信じてもらえるかどうか……。へタすれば俺のほうが、頭おかしくなったんじゃないかって心配されそう」
「そうか……親が気がついたときには、手遅れか」
 テオクレ……そんなことには、させられない。顔を上げて、健は大和を見た。大和も健を見返した。
 二人の視線がぶつかった。しばらくそうしていた後、どちらからともなく頷いた。
「何とかしよう。僕たちで」
「……ありがとう」
 健がペットボトルのお茶を掲げると、大和もそうした。二つのお茶は、カチンという小気味の良い音を立てて触れ合った。
「何か、きっかけがあったんじゃない? 妹があそこに行くようになった」
「うーん……きっかけ……うーん……あ、もしかして」
「何?」
「康葉、一ヶ月くらい前に、小学校の社会見学で東京に行っんだ。たしか、そのとき」
「あっ わかった!」大和も眼鏡を輝かせた。
「大手町の首塚!」
 二人の声が合わさった。
「そう、それ見たらしいんだ。この町に深い関わりがあるってことで」
「それだよ! そういえば、うちの小学校でも行った」
「俺も。多分、市内の小学校ではみんな行くんだろうな」
「そのときに、将門の霊が取りついちゃったとか」
「うん……でも、何で康葉なんだろ? 学年みんなで行ったのに。それに毎年、この町の小学生は行ってるわけで、何で今年の、何で康葉?」
「うーん……」
「それに平将門が生きてたのって、一千年も昔なんだから、その後、甦る機会は他にもあったと思うんだけど」
「うーん、うーん。……もしかして……名前、かも……」
「名前?」
「いや、違うかも……とは思うんだけど……」
「違ってたっていいから、教えてよ」
「妹の名前、『滝川康葉』だよね?」
「うん」
「将門には、娘がいたんだよ。ま、息子も娘も何人かいたんだけど。その娘の一人が、将門の死後その遺志を受け継いで、父親の復讐を果たしにやってくる……っていう後日談みたいなのがあるんだ。で、その娘の名前が」
「名前が?」
「滝夜叉姫」
 と聞いても、健はしばらく反応できなかった。その言葉の音が、やがてゆっくりと脳に浸透してくると……。
 滝夜叉姫。たきやしゃひめ。滝川康葉。
「え、まさか……」
「そう。妹の名前が、父親に従順だった娘の名前に似ている。だから首塚にいた将門の怨霊が、反応してついてきた」
「えーーっ、マジか……。じゃあ、早苗ちゃんのほうは?」

「うーん。……ついで。きみの妹と一緒にいたから」
「…………」
 そのとき会話を切り裂くように、きいいぃーーという音が響いた。二人の身体が同時に強張る。康葉が立っていた。
「あ、お、お邪魔してます。こんにちは」大和が慌てて頭を下げた。
「何だよ、ちゃんと挨拶しろよ」
 健は強いて明るく言った。しかし声とは裏腹に、心臓は口から飛び出しそうなほど緊張していた。いつからそこにいたんだ?
 顔を上げた康葉を見て、健は固まった。背後で、大和が息を呑む気配がわかった。
 妹は痩せて頬がこけ、薄暗い目をしていた。
「……康葉?」
 健がもう一度声をかけると、康葉はついと首を曲げて、何も言わずにいってしまった。
 康葉の部屋のドアが閉じられたのを確認してから、二人で顔を見合わせた。
「急いだほうがいい、ね」
 大和が言った。健が頷いた。
 
 夕飯を食べ終わって自分の部屋に戻ると、チチチと可愛らしい声が出迎える。マシュマロみたいな、文鳥のチーだ。
「よしよし、今あげるから」
 小鳥用のペットフードの袋から、一掴(ひとつか)みして籠に手を差し入れると、チーは大和の手から直接ついばんだ。その様子を見守りながら、大和は今日の出来事を頭の中で思い返していた。
 突然自分の元にやってきた、滝川健。に強引に誘われて行った小山。そこで見たもの……宙に浮かぶ生首。そいつから発せられたパワー。平将門。
「健のやつ、何てものに引き合わせてくれたんだよ」
 主人の独り言に、チーがチュン? と鳴いて首を傾げる。
「首退治なんて……相手は、怨念の怪物だぞ」
けれどもそう言いながら、自分の口元が緩やかなカーブを描いていることに大和は気がついていた。こんなにいろいろあった一日なのに、疲れを感じない。
「首退治なんて……僕、関係ないのに」
「チ」
 結局、大和はやる気なのだった。小さい頃から歴史が好きで、休日と小遣いのほとんどを費やしてきた。本を買ってDVDを買って、歴史関係の番組は欠かさず録画して。最近ではネットで、同じ歴史好きの仲間を見つけて。
 だけどどんなに詳しくなったって、結局机上の学問、推論の集合。お寺や神社、史跡に実際に行ってみても、物足りなかった。だけどこれは実践だ。学んできたことを、実際に生かすことができるのだ。
 健は妹のためだろう。だけど自分は、自分のために。やってやる。

彼は、それが近づいてくるのを感じていた。だが恐れてはいなかった。けれども近づくにつれ、彼はそれが、彼に対し負の感情を持っているのを感じた。
 小賢しいと思った。小賢しい。うっとおしい。
 彼は無駄なことは好まなかった。無益な争いも殺生(せっしょう)も。けれど必要であれば、ためらいも迷いも容赦もなかった。
 殺す。己のためならば。そして喰う。 
 かつて彼には多くの仲間がいた。けれど今はもういない。ならば。彼は念じた。
 ボツン、ボツン、ボツン、ボツン、ボツン、ボツン、ボツン。
 彼の周りにそれらは現れた。

#創作大賞2023  


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