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仕事をするうえで、推しの現場があることはめちゃくちゃ大事だったんだと思う

最近、なんだか仕事にやる気がでないな、と思っていた。
気迫が足りないというか。
理由はわかっている。
推しの現場がないからだ。

この騒動で、ライブや舞台といった、いわゆる「現場」から遠ざかってはや数ヶ月。
現場がある数ヶ月前の自分と、いつ現場があるかわからない今の自分。
仕事を進める上では、どう考えても、前者、つまり「現場がある数ヶ月前の自分」が圧倒的に強い。

先に現場が控えている時の仕事の馬力は、自分でも信じられない。
少なく見積もって普段の3倍くらいのスピードでタスクをこなすし、起こってしまった問題の回収もめちゃくちゃ早い。
思い返しても、「そんな綱渡りよくやったわ…」とちょっとゾッとするようなことを平気でして、しかもなんとか乗り切っている。

なぜだろう。

理由1:何がなんでも「現場までは生きなければ」という強い使命感が生まれるから

万が一、この仕事が終わらなくてそのせいで現場に行けなかったら…もう一巻のおしまいである。

だから、何がなんでも終わらす。
どんな状態でもいい。
とにかく生きて終わらす。(どんな仕事だ)

まあとにかく、生きて、終わらせられればいいのだ。
タスクを目の前のものから、とにかくこなしてこなしてこなしまくる。
このヤケクソ感が強いのだ。

理由2:「できれば気持ちよく終わらすぞ」という欲が、意外といい仕事につながる

もちろん、時間内に終わらす、ことは仕事の最低ラインである。
社会人なんだから当たり前、とも言える。

でも、「終わらす」だけなら、「流す」とか「人に押し付ける」とかもありかもしれない。
まあそれももちろんありといえばありだ。
でも大好きな推しの現場。
できれば気持ちよく行きたい。
そのためには、やはり目の前の仕事をある程度、きちんと倒すことが大事なのだ。

いやいや、普段も気持ちよく倒せよ、という感じだがが、なかなか難しい。
わたしは意外と潔癖症で、仕事に集中してしまうと「完璧な解決策を探さなければならないのではないか」と考え込んでしまい、プレッシャーでしんどくなってしまうのだ。
それで問題が先送りになって、かえって悪循環になったりするのだ。

でも、現場が控えているときは別。
気持ちよく現場に行ける程度の解決策でとにかくガンガン進む。(しかない)
この感じは意外とちょうどいい。

とにかく、目先の現場に気持ちよくいければいいのだから。
うまく意識を分散させている、といった方がいいかもしれない。


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ゴール、と言えるものを仕事とは別に持っているのは、大きなパワーを生んでいる。
仕事とは全く関係ないものの存在が、仕事をしているときの自分を強くしてくれる。

現場のために生きている、なんてことは全然思ってないけれど、間違いなく現場に生かされてはいる。
なんとか現場にたどり着こうという気合いに背中を蹴飛ばされて、何がなんでも前向きに走り抜けようとする、この気持ちが大事なんだと思う。

わたしには今、その蹴飛ばしてくれる存在がなく、自走するしかない状況に陥っている。
それでもなんとか、その状況を作り出そうといろいろ試行錯誤をしてみているのである。


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