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【哲学的考察】人や作品との向き合い方

 文章、絵画、音楽、演劇などの作品に触れたあと、その作者の話を聞く機会に恵まれることがあります。noteで他の方の投稿に触れたあと、コメントでやり取りすることにも通じます。
 今日の記事は、そんな時の作者や作品への向き合い方についてです。特定の文献を読んだあとのメモや感想ではありません。個人的な経験上の雑記です。哲学的考察になればいいな。

■作品との距離感

 これまでの記事にも書いたことがありますが、私は、他の方の作品に触れるとき、距離が近くなり過ぎたように感じる時があります。その作品の中に入ってしまうような感じです。
 以下の2つの質問を想定した場合、私は①の比率が強いと感じるときがあります。両方大事だと思いますが、②の方が、距離感を持って作品に向かっている感じがします。

<想定1>
①登場人物はどんな気持ちか?
②作者は何を伝えたいか?

 少し軸がずれますが、主観と客観、一人称と三人称のような議論にも通じるかもしれません。ここら辺も丁寧に記載すると面白いような気がしますが、長くなりそうな気がするので、今回、これ以上記載することは控えます。

■作者・作品との向き合い方

 次に、作品を鑑賞したり、作者と話したりするとき、どのように向き合うかです。今度は、以下の2つの立場を想定しました。

<想定2>
①作品の立場に立ち、作品や作者に寄り添う。
②自分の考えを持ち、作品や作者と対峙する。

 ①の立場の利点としては、作者の考えや作品の狙いを、(割と)正確に理解出来るところです。相手の立場に立ち、同じ方向を向くイメージです。共感なので、あまり粗探しをせず、相手の良さを引き出す力があります。
 そして、作者と話をする場合、作品製作の意図や考えに対する疑問点が、質問の中心になるかもしれません。逆に言えば、作者の狙い以上の発展性が薄い感じもします。

 他方、②の立場をとると、自分の考えと作者の狙いが混在したり、正確に作品の意図を理解するのとは、ちょっと変わってくるかもしれません。
 場合によっては喧嘩になるかもしれません。ただ、上手く行くと、アウフヘーベンのように発展する可能性を秘めているように感じるのです。エネルギーのぶつかり合いであり、共通点や差異点からお互いを認めあい、違う方向に走り出すというか。

■私が目指したいところ

 私は、<想定1><想定2>ともに、①の要素が強く、作者に共感したり、一緒に和んだり出来るような気がします。しかし、繰り返しになりますが、作者の創作以上の発展に結びつけることは難しいように思うのです。
 そのため、②の要素を強め、相手に上手い合いの手をいれたり、自分の経験を強めに出して、違う視点を見出したりもしてみたいのです。②の方が、相手から一目置かれるような気もします。

 もっとも、相手から一目置かれることが目的ではありませんし、距離感をとって批判ばかりするのも、本末転倒のような気がします。
 そして、①が先か②が先か、場面によってどちらの要素を強めるか、はたまたバランスの問題か、色々と考えられる気がします。

■最後に

 今日記載したことは、学生時代から考えてきたことであり、自分の性格が①の要素とマッチしていることに由来しています。
 こうしたスタンスを意識することは、ここ2年ほど、noteを含め、芸術作品やクリエイターの方に触れる機会が増えたことにもよります。将来的には、上手く質問を組んだり、インタビュー出来るようになりたいと思います。

 冒頭の画像は、「対峙」で検索し、よなかさんの画像を使用させて頂きました。ありがとうございました。本日は、以上です。

 追記:①と②の入り繰りがあったので、修正しました。すみません!

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