見出し画像

【歌舞伎】与話情浮名横櫛、連獅子

 2023年4月27日(木)、歌舞伎座で夜の部の「与話情浮名横櫛」と「連獅子」を観て来ました。千穐楽でした。メモを残します。

■松竹の「歌舞伎座」について(「国立劇場」との違いなど)

 歌舞伎にはたくさんの演目があり、初心者の私は「どれを観たらよいのか」悩むことが多いです。また、その道で名を馳せた歌舞伎役者の人も多く、一度では頭に入りません。
 歌舞伎座にはそれほど来たことのない私ですが、今回来てみて頭の整理をしてみました。特徴を2つ挙げてみます。

①上演演目が「歌舞伎」に特化している。
 国立劇場でも演劇の公演としては歌舞伎が中心となりますが、日本舞踊や邦楽に加え、雅楽や声明、民俗芸能などの上演もあります。歌舞伎の公演は毎月ではありません。他方で、歌舞伎座では演目を変えて毎月歌舞伎が上演されており、歌舞伎が好きな人には、たまらないかもしれません。

②民間企業の「松竹」が運営している。
 国立劇場は文字通り「国」の運営なのでしょうが、歌舞伎座は民間企業の「松竹」が運営しています。この点、組織構造や資金の流れなども押さえないといけないかもしれませんが、本稿の目的とずれてきそうなこともあり、ここでは控えます(積み残しが多いですね)。
 国立劇場では歌舞伎の「入門講座」があったり、「通し上演」が比較的多いような気がします。それに対し、歌舞伎座はより華やかな印象です。顧客(観客)ニーズに敏感に反応したりするのでしょうか。また、民間企業だから出来ることもあるように思います。(具体例を挙げず、すみません。)
 その他、若手の育成の場という観点ではどうか、なども頭に浮かびました。
 本項目を書きながら、エンタメ業界については資金回りなど含め、もう少し理解するのもよいのかなと思いました。これも舞台裏の一つと言えるでしょう。

■「与話情浮名横櫛」について

(1)作品概要(筋書より)

・嘉永6(1853)年5月、中村座で初演。
・三世瀬川如皐の作品(世話狂言)
・今回は、「木更津海外見初の場(見初)」「赤間別荘の場」「源氏店の場」が上演されました。
・与三郎役は片岡仁左衛門さん、お富役は坂東玉三郎さんでした。

(2)簡単なあらすじ

潮干狩りの人で賑わう木更津の浜辺。江戸の大店・伊豆屋の若旦那与三郎と、木更津の顔役・赤間源左衛門の妾で、元深川芸者のお富が出会い、ひと目惚れをします。やがて深い仲となった二人。しかし、源左衛門に二人の関係を知られ、与三郎は顔も身体も斬りつけられ瀕死の重傷を負い、海に投げ込まれてしまいます。一方、お富も海に身を投げますが、江戸の商人・和泉屋多左衛門に救われます。それから3年後――

HP「歌舞伎美人」より

(3)感想

①全体について
 背景が木更津の浜辺の場面で、「濡れ場」の場面もあり、与三郎がボロボロにされる場面があり、(全くの私の個人的な印象なのですが)明治に作られた作品なのかな、と最初思いました。現代のドラマにつながるような部分がある気がしたからです。
 実際のところは、上述したように、嘉永6(1853)年5月に初上演された作品で「幕末」でした。HP「歌舞伎美人」には「写実と様式が巧みに融合した退廃的な美しさ」とにも書いてあり、幕末の世情を感じます。

②片岡仁左衛門さんの与兵衛について
 十五代目片岡仁左衛門さんは、もうご高齢ですが(年齢から書き出し、申し訳ありません)、本当に若く若旦那を演じられるなぁ、と思いました。ならず者となってからも、若旦那だった頃の風情を残し、上品さが感じられました。「上品」という言葉の意味が何となく分かったような気がします。
 また、こうした歌舞伎役者に惹かれる人の気持ちや歌舞伎の歴史も、今回少し分かったような気もします。今回三階席から鑑賞しましたが、私は眼鏡をかけていることもあり、前の方の席でかぶりつきで観たいタイプかもしれません。

③板東玉三郎さんのお富について
 筋書の「花競木挽賑」を読んで、玉三郎さんが初めてお富を演じたのが昭和49年だということに驚きました。そして、「なるほど!」と思った部分のコメントを引用します。

(お富は)非常に捉えどころがないお役なのです。美しい男が傷を受けるところに演劇的趣向があり、そこに色づけとして存在しているのがお富という女性のように思います。 

筋書の「花競木挽賑」より

■「連獅子」について

(1)作品概要

・松羽目物。能の「石橋」を素材としている、
・河竹黙阿弥の作品
・明治5(1872)年、村山座で初演
・親獅子(白獅子)は尾上松緑さん、子獅子(赤獅子)は尾上左近さん、親子での共演でした。
・松緑さんは、六世藤間勘右衞門として日本舞踊の藤間流勘右衛門派の家元もつとめているようです。(Wikipediaより)

(2)簡単なあらすじ

文殊菩薩が住むという霊地清涼山。その麓の石橋に、狂言師の右近と左近が手獅子を携えて現れ、石橋の由来や、文殊菩薩の使いである霊獣の獅子が仔獅子を谷底へと蹴落とし、自力で這い上がってきた子だけを育てるという故事を踊って見せます。やがて満開の牡丹の花に戯れ遊び、親獅子の精と仔獅子の精が現れると…。

HP「歌舞伎美人」より

(3)舞台の流れと感想

①狂言師が手に持つ手獅子
 前場というのか舞台の最初は、狂言師の右近(松緑)と左近(左近)が、手に獅子を携えて踊ります。親獅子は勇壮に、子獅子は若々しく、しなやかに。二人の掛合いや、親獅子が子獅子を谷から突き落とし、子獅子が這い上がってきて再開する場面など、すごく面白かったです。
 また、小さな手獅子を持つことで後場への期待感が高まりますし、手獅子なので、体の自由が利き、踊りがしなやかに出来るように思いました。

②間狂言の「宗論」
 浄土宗の僧侶・遍念(河原崎権十郎さん)と、法華宗の僧侶・蓮念(板東亀蔵さん)の「宗教論争」が始まります。それぞれ、鉦と太鼓を叩くなど、ここも面白く拝見しました。この「宗論」は、明治34(1901)年に、平山晋吉さんが書き加えたそうです。

③獅子の「毛振り」について
 後場では、頭をつけた親獅子と子獅子が、順に花道から登場します。子獅子は、一度花道を渡った後、振り返らず全力でバックします。(3月の中村又五郎さんの講演会で伺いました。)今回、私は三階席だったので花道の様子が見られなかったのですが、可能なら一階席で観たかったです!

 次に「毛振り」がありました。筋書やイヤホンガイドで、以下のような説明がありました。イヤホンガイドは中川美奈子さんでした。
・毛は、動物のヤクの毛を使っている。
・振り方には、毛を左右に振るう「髪洗い」、回転させる「巴」、毛先を舞台に叩きつける「菖蒲叩き」などがある。
・(首ではなく)腰で振る。
・「巴」は、親獅子(白獅子)が、ストップの合図を出すまで、囃子も子獅子(赤獅子)も止められない。

 「巴」が何回も続き、その間中、観客が拍手を続け、盛り上がりは最高に達しました。私も、今回の舞台を観ることが出来て本当に良かったと思います。
 また、今回は松緑さんと左近さんの親子での共演でしたが、特に親としては、子とこういう演目が出来るのは嬉しいだろうな、と思いました。

(4)関連サイト

 最後に、関連するサイトがありましたので、リンクします。ワールドカップのマスコット「レンジー」も懐かしいです。

珍しく、3000字行きました。
以上です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?