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「幸福」のコツ。


幸福になるためには?

「幸福になるためにはどうしたらいいのか?」

何度、頭で考えても一筋縄では答えを見つけさせてくれません。

ですが、その難題に挑む前に一つ考えるべきことがあると私は思うのです。

「幸福な人生を手に入れた後、人はどうなるのか?」

ということです。

今回お話するのは、後者の方、「幸福の向こう側」について。

そしてそれを考えることが"幸せ"というものの本質を捉える上で非常に役に立つと思うのです。



"幸せ"の向こう側

幸福な人生を手に入れたなら、そのまま幸福な人生を歩んでいくだけじゃないか?と考えるのが妥当かもしれません。

そこで、もう少し視点を先に伸ばして考えて欲しいのです。

「幸福な人生を手に入れたあと、”幸福”そのものに満足しきったらどうなるのか?」

幸福そのものに満足しきる、と言われても「何を言っているんだ?」となるかもしれません。

幸福そのものに満足するというのは、もう人生で幸福になれなくても何の問題もないと思っているということです。

もっと言えば、いつ死を迎えても、幸福に対して未練のない状態です。

そして、幸福になろうとする気もない。なぜならば、幸福そのもの満足しきっているから。。。というようなニュアンスです。

なので、温泉に入ったりして、「幸せだなぁ」と、一時的な状態(幸福)に満足するということを言っているのではなく、幸福という概念自体に満足するということを言いたいのです。


"幸せ"そのものに満足するという恐怖

想像してみれば、少し恐怖を感じるかもしれません。

何が怖いかというと、そうなったときに"やること"が一切なくなってしまうのです。

"幸福そのもの"に満足しきってしまえば、幸せになろうとするための努力も幸せに暮らすことも、何の意義もなくなってしまうのです。それに伴って出てくる悩みや不満も無味無臭になってしまいます。

「充実した生活したい」「幸せになりたい」というのは私たち人間の常の願いです。しかし、それを極めきった先は虚無なのです。



不幸と幸福の狭間で

幸福について否定する気は一切ありません。むしろ、幸せなろうする姿勢と過程を肯定したいのです。

人は幸福な状態を是として、幸福になろうともがくことを非とします。また充実していない・幸せでない自分に自信をなくします。しかし、幸福そのものに満足しきってしまえば、生きる理由がなくなってしまう可能性があるのです。それはとてつもなく悲しいことだと思います。

だから、不幸であることも、幸福であることも、幸福になろうともがくことも全て肯定する。それらの均衡の中で人は生きる力を得られるのだと思うのです。

不幸から幸福へ、不満足から満足へ、不完全から完成へ、その過程の中に生きるためのエネルギーが生まれるはずです。

時々テレビで紹介される豪邸の住人が、少し切なく感じるのはそのせいなのかもしれません。幸福な生活をしているはずなのに、活力が沸いてこない。というふうに。



少しでも人生を前向きに

仮に「幸せな家庭を気づいたはずなのに、なんとなく満たされない。」

という人がいたならば、満たされるために工夫や努力をすればいいのです。

もっとその工夫や努力をつらいものではなく、明るいもととして、肯定すべきだと思います。

たいそうなものはなくて、日常に小さなアレンジを加えることも努力です。そして、そこに結果を求める必要もありません。不満を感じて、それを良い方に持って行こうとしている、その一連の行為こそが生きる活力を与えてくれます。

そうすれば、不満であることや充実していない感覚が180度変わって、明るいものに見えてきます。不満を感じて、満たされようと努力すること自体が明るいもの、前向きなことに見えたなら、きっと人生が活力に満ち溢れていきます。

前述したように、不幸と幸福というのは、トリガーでしかありません。不幸の嫌さも、幸福の充実感もしっているからこそ、上に向かって進んでいこうとする活力を与えてくれます。この全体をひとまとめに肯定することが、「幸福」のコツなのではないでしょうか?


今日はここまでです。本日も一日お疲れ様でした。

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