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自分がそう認識しているからそう見えている

ルビンの壺、知ってる?



ルビンの壺


これは盃だ!と思うと、盃が見えるし

これは、人だ!と思うと、人と人が向かい合ってる姿が見える。

ひとつの絵なんだけど、ふたつを複合してる。

おそらく、現実っていうのはこういうもんじゃないか、すべてにおいて!

ふたつじゃなくて、すべてを複合してる。
すべては無であり、すべては全であるってこういうこと。

なにか、あるものが、これはこれだ!っていう意味を決められたものではなくて、すべてが自分の認識したとおりに見えている。


老婆に見えるのも



若い女性に見えるのも




自分がそう決めたから、


そう認識しているから!!


そう見えてるんじゃないか!



(だまし絵でググってみて。そういう例は山ほど出てくる。静止画だけでなく、動いてるものでも同じものが、右回転、左回転どちらにも見える。脳の錯覚と言われるけど。そう、人間は脳の錯覚で物事を認識してるんだろう。そして、どう錯覚するか決めてるものは、いままで親や社会からこれはこういうものだ!とおしえこまれた刷り込みとか認定によって自動的にそう見えている)



それはエゴの範疇だから



それに気づくには、いったんエゴの外側に出て、エゴを客観的に観る必要がある。




そして、これは思い込みなんだ!
過去の刷り込みなんだ!!


だからそう見えるんだ!
と気づくことができれば



その思い込みをキャンセルできる立場に立つ。




難しいかな?




うん、たぶん、難しい




思い込みっていうのは、思い込まされていて、その思い込まかされてる!っていうことにまったく気づかないほど思い込んでるから、「思い込み」だからね。




だから、ああ、これは思い込みなんだと、自分の意図で認定することが最初の一歩かもしれない。
 


この時点では、認識できないかもしれない。




でも、これは自分が選択した思い込みなんだ!
と認定する。




断じて認定するっ!!!




そして、別の思い込みをそうだと認定、認識する立場に立つ。




その!!立場に立つ!!んだ!






まとめに入るよ。




いま、自分の認識が、自分にとって望むものならば それはそのままでオケマルやん
d(ゝω・´○)



でも、それが自分にとって望むものでないならば、それはすべて単なる過去にあった出来事で、自分が刷り込まれた思い込みに過ぎないから、その思い込みを、今日!いま!に当てはめる必要はまったくないていうこと。

 

まったくないっっっ!ていうこと!!!




それらは、今日の時点ですべて




ゼロにしよー!!!




稲葉も言ってる!!!




ZEROがいい、ZEROになろうーー!!

って!!!


過去は無いとして、



今日が始まり!



一日一生!!!

 


自分は、このことについては
こう思いたいんやーᐠ( ᐛ )ᐟワァァァァァァ
わるいか!ばかたれ!(っ’ヮ’c)アッヒャァァァァオウワァァァァ


 

で、生きていけばいいんやないかなー。



なんか、話しがまとまらんかった(っ'ヮ'c)<イヤダナァァァァア




【認識の変更】




それは、認識がすべてやからやんね。



僕は、過去、ある人をとっても優しい人だと思っていた。
でも、その人はたぶんはたから見たら適当でちゃらんぽらんで悪い部類に入る人で、付き合いのある人はみんなそう思ってたんだろうとは思う。




でも、僕は話していく中ですごく純粋な面を感じたし親近感を覚えた。




あるとき、その人は豹変した。
僕に対して牙をむいてきた。
僕は真正面から話した。
まわりは、そんなこと聞く相手じゃない。
無駄だと言った。
でも僕はその人は根本的に優しくて良い人だと思ってたから、どんなふうにされてもその人を悪く思うことは無かった。
それは、その人の本性じゃないと思ってたから。




それからていうか、そのときもそれからも自分が信じていたことが信じられないような出来事ばかりが現実に続いたけれど、




ぼくは、現実のほうがおかしいと思っていた。




おそらく詳細を100人が聞いたら、圧倒的にその人は悪い人で、その悪い人を優しいなんて思っている僕は明らかに馬鹿で狂ってるて思われてたと思う。



でも、僕はその人は優しい人だと思っていて、たとえ何をされたとしても、その人は優しい人だと思ってたから。




そして、しばらくたってある日、一緒に居る機会があって、その人は

「あのときは悪かったな、、、」

って、ポツリと言った。




そんなこと言う人じゃないんだよ
そのひとは、



でも、そう言ったんだよね。




「いや、別になんとも思ってないからいいよ」

って僕は返した。



現実は関係ないし、なにが起きてても
それを自分がどう捉えているか




それがすべてやと思うよ。






もし、それが難しいならば




今日を、今日一日を




自分の一生として生きればいいかもしれない



過去はなかったんだ!




きょう、日が昇って僕はうまれた!




そして、今日、日が沈んだらぼくはシヌんだ。




今日一日を、自分の一生として

過去の思い込みとか、世間の常識とかに縛られず




きょう一日を、過ごしてみよう。






これは、そういう思いで
書き下ろした書なんだ。

一日一生




きょう、一日だけでも


そう過ごしてみよう。




一日一生で





”いま”を生きよう






そして、それが、ああいいなぁって
感じたならば




明日もそうやって過ごしてみよう。




明日も





そのまた明日も。

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